世界の全てが愛おしい。これは、彼がくれた一番のプレゼントだ
「では、ごゆっくりどうぞ」
仲居さんが丁寧に両手を床に付き、深々とお辞儀をして、静かに襖を閉じた。
私と大鷹くんは、同じタイミングで仲居さんに会釈をして、ドアの音が閉じるまで黙っていた。
お互いに間合いを見計らって、
「この部屋すごいなー!」
「この部屋すごいねー!」
と大きな声で叫んだ。
大きな窓からは、松島の絶景が見渡せる。
なんと部屋に露天風呂までついている。
寝室用の部屋があって、小上がりでゆったりとくつろげるスペースまで付いている。
私が予約した部屋よりもかなりグレードが高い。
後で調べてみたが、やはりこの部屋はスイートルームだったらしい。
「俺ら、運ええよなぁ。ほんまに」
なんと、私たちが止まるはずの宿のエアコンが壊れてしまったようで、空いているのがこのスイートルームしかなかったそうだ。
そんなドラマみたいなことって、起きるんだなと感心していた。
家族連れでももて余すほどの広さのこの部屋には二人しかいない。
でも、結果としてサプライズで素敵な部屋に泊まることができたので儲けものだ。
「そうだね。だって、今日は特別な日だから」
そう言った自分が急に恥ずかしくなった。
今日は特別な日。
大好きな大鷹くんの誕生日。
そして。
「俺らの記念日やからな」
そう。
私たちが交際をする日。
そう言った大鷹くんも何を思ったのか、顔が少し赤くなって、目をそらした。
わざと顔を隠そうとしているのか、勢いよく私に背を向けて「この掛け軸高そうやなぁ」なんて言っている。
お互いに意識しないことはない。
意識できないわけがない。
個室に男女二人きり。
年頃の、それにお互いを強く意識し合い、惹かれてあっている。
幾度となく訪れたお互いを受け入れるという大人の営みは邪魔されてきた。
それも、昨日までで終わり。
私たちを遮るものは何もない。
松島の海が穏やかに揺れている。
明日の朝、また違った景色に松島はなっているだろう。
それは、松島が変わるからじゃない。
私たちが変わるからだ。
今夜、私は大鷹くんの正式な彼女になる。
心も、体も。
チェックインの15時から、部屋でゆっくりすごそうということした。
長時間の運転は大鷹くんがいくら若くても体力を消耗しているだろうし、何よりも本番は夜からだと思うから、なるべく療養した方がいいと考えていた。
この松島のホテルには、ゲームセンターやカラオケ、庭園などホテル内でも楽しめる施設が充実していた。
夕食を17時から個室にしていたものの、また数時間あるので、ホテル内を散策することにした。
「庭園でお酒飲めるらしいで」
大鷹くんが机の上にある案内を見ながら、嬉しそうに伝えてくれた。
「いいね!行こうか」
私は鞄から所持品を取り出して、忘れ物がないか確認をして、庭園へと向かった。
金曜日の宿泊であるものの、庭園は込み合っていた。
さすが、松島。
観光地なだけある。
それでも、十分に座るスペースを確保しているのは、高級ホテルたる由縁を感じさせてくれる。
すぐそばに池がある席が空いていたので、腰を掛ける。
周りの旅行客もお酒を飲んで少し意気揚々としている。
黒のアイアンの椅子はひんやりとして座ると気持ちよかった。
席につくとすぐに店員がやって来て、メニュー表を持ってきてくれた。
私たちは迷わずに「ビールで」と、注文をして、お酒が来るのを待った。
心地よい風が頬を撫でる。
とても穏やかな気分だ。
緑に囲まれた庭園は、自然がいっぱいで、時折トンボや蝶々などの虫の姿を見つけることができた。
トンボは赤い色をしていて、秋が来たことを知らせてくれる。
「アキアカネだ」
私が言う。
「アキアカネ?」
「そう。秋のトンボだよ。赤とんぼっていう方がメジャーなのかな。地元にはいっぱい飛んでたなー」
「せやなぁ、もう秋やなぁ」
「早いね、大鷹くんと知り合ったのは春と夏の間くらいだもんね」
「せやね」
出会った頃を思い出しているのか、少し間をおいて返答してくれた。
「本当に毎日楽しかった。ありがとう」
「なんや、別れの挨拶みたいやないか」
「違うよ、こらからもよろしくってことだよ」
「やないと、困るわ」
はははと、笑う彼が好き。
風に揺れる前髪が好き。
そのしっかりとした肩が好き。
しなやかで長いのその指先が好き。
本当にあなたが好き。
私のすべてを受け入れてくれて、私に未来を見せてくれる、あなたが大好き。
「お待たせしました」
先ほどメニューを持ってきてくれた店員がビールを2つ持ってきてくれた。
「ありがとう」
「おおきに」
「ごゆっくりどうぞ」
店員は軽く会釈をして、黒子のようにさっと姿を消した。
「乾杯の挨拶、お願いしていいかな」
「もちろんやで」
大鷹くんが白い歯を見せて、ビールを高々と上げた。
「俺らの明るい未来に乾杯!」
とてもシンプルな挨拶だけれども、全てが凝縮された挨拶だ。
「乾杯!」
ビールグラスをコツンと響かせて、金色の液体を体に注ぎ飲んだ。
ビールの金色は、私たちを祝ってくれるかのように、夕方の光を浴びて光輝いていた。
「これ、忘れないうちに、というか、忘れないんだけれども、早めに渡したくて」
ビールをお互い三杯目になったところで、私はおもむろに肩から下げていた鞄から小さな包みを取り出した。
「ん?」
ちょうどビールを口につけたところで話しかけたので、大鷹くんは声にならない反応をくれた。
「え、ちょっと待って、何々?」
慌てた反応も子供のようで可愛い。
私がテーブルに置いたのは、手のひらに乗るくらいの小さな物だった。
「良かったら、もらってくれる?」
「え?ほんまに?まじ?嬉しいんやけど!何入っとるん?」
茶色の包み紙に入ったプレゼントを渡す。
「何がいいかなって迷っていろいろ探してみたんだけど。気に入ってくれると嬉しいな」
本当に、気に入ってくれると嬉しい。
正直、きちんと男性にこうしたプレゼントを渡すのはじめてだった。
今までも彼氏にプレゼントを渡したことはあるが、それは相手から「これがほしい」と指定されていたものを買っていた。
それゆえに、相手のほしいものがわからない状態で、一からプレゼント選びをするのははじめてのことで、それが逆に嬉しくて、何を選べばいいか分からなくなっていた。
「あ、ちなみにこれはね、誕生日祝いじゃなくて、はじめての私たちの旅行記念日なの。誕生日プレゼントは、別でちゃんと送りたい、大鷹くんの欲しいもの」
「ちーちゃん…」
少し涙ぐんだような声で私の名前を呼んだ。
「そんな、気使わんでええよ、ほんまに。俺、この旅行がプレゼントやって思っとるし、ちーちゃんとこれから付き合えるのが一番のプレゼントやで。ちーちゃんがいれば、何も要らんよ」
私がずっと欲しかった言葉。
この人は、本当に私が欲しいものを全部持っている。
「えへへへ」
今度は私が泣きそうになった。
えへへへとしか、返せなかった。
目に溜まりつつある涙を必死で隠して、「はいっこれ!」と彼の手のひらに乗せた。
「本当に大したものじゃないから、期待しないで。当たり障りのないものだから」
「んなことないで。ちーちゃんが選んだものは、ベストオブベストやで。ほな、開けるな」
大鷹くんは、茶色の包み紙を慎重に開けた。
中から黒い箱が出てくる。
ゆっくりと黒い箱を開ける。
すると、今度はつるっとした表面の黒光りした革張りの箱が出てくる。
「じらすなぁ」
大鷹くんはワクワクしながら箱をあげる。
「もしかして、結婚指輪?」
「そんなことないよ」
「やな」
冗談を言って嬉しさを隠しているのだろうか。
手のひらに乗るその小さな黒い箱を開けた。
「ほんまに?え、めっちゃ嬉しい」
「ほんと?ありがとう。気に入ってくれたかな」
「ほんまほんま!ちーちゃんさすがやわ!俺の好み分かっとる!めっちゃ使う!毎日使う!」
「良かった。選んだかいあったよ。気が向いたら使ってね」
「いや、気が向くとかやなくて、ほんまに毎日使う。私服でも使うわ。なんなら、今でも」
「それは、素敵かも」
お酒が回ってきたのか、庭園に響く私たちの声は大きかったようだ。
他のお客さんが、「なんだ、なんだ?」とこちらに視線を送ってくるのが分かる。
それに、お互い気がつき、今度は極端に小さな声で大鷹くんが
「ほんまにおおきに。一生大切にするな」
と囁いてくれた。
「もっと良いの買ってあげるよ」
私もつられて小さな声で返した。
はじめてのサプライズプレゼントは、大成功した。
私たちは、そのあとも何倍かビールを飲んで、時間を過ごした。
世界の全てが愛おしく見える。
目に見える景色すべてが美しくて、色鮮やかで、光輝いていて、生きるものすべてが幸せであれと願う私がいる。
この景色は、彼がくれたものだ。
この他者を慈しみ、愛する気持ちも彼がくれた。
満たされた人間は、他社にも気を配ることができるのだ。
それならば、私は彼に何を返してあげられるのだろう。
彼に何ができるのだろう。
彼が私に求めていること。
それにただひたすらに答えるだけなのだ。
一生かかってもいい。
それが、私が彼にできることだ。
そろそろ、夜ご飯の時間である17時が近づいていた。
携帯電話で時刻を確認して、
「そろそろいこか」
と大鷹くんが言った。
「そうだね」
私も答えた。
庭園での飲食代はホテル代として後日精算とのことだったので、そのまま部屋に向かうことにした。
足元で優雅に泳ぐ紅白の鯉たちに別れを告げて、私たちは席をあとにした。
「ちーちゃんの浴衣、楽しみやなぁ」
手にプレゼントを握りしめ、軽い足取りで進む大鷹くんが本当に嬉しそうで何よりだった。
ここから、運命のカウントダウンが始まる。




