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【完結】私の子  作者: 小野花壇
26/50

カラオケの中で二人きり。暗闇。吐息。

あと三ヶ月経てば、大鷹くんと付き合える。

大鷹くんこと、大野鷹志くんは19歳であるがわたしと同じ24歳と年齢を偽って出会い系アプリに出会いを求めて登録をした。

なんといままでの交際経験はゼロ。

すごく純粋でまっすぐな彼がとった行動はいささか不思議に思える。

本当に心から好きになれる人を見つけるなら、出会い系アプリではないのかもしれない。

ただそれは一般的な考えであって、彼が考えた一番の策だったのだと後から教えてくれた。

周りからは愛のことばをもらっていた彼だったから、それはすべて受け身の行動であった。

周りに好意を抱く人がいないのであれば、もっと視野を広くして探したい。

如何わしいというイメージはあったものの、ダメもとでやってみよう、それがきっかけだった。

やってみて、やっぱりだめだったな、という落ちまで想定して始めたものの、意外にもすぐに気になる人が見つかってしまったということだった。

初めて私の写真を見たときに、なぜかは分からないけれど「この人だ」と思ったらしい。

「この人に連絡を取らねば」と心がせかされたのだという。

それは、はじのうちこそ恋愛感情というものではなかったものの、いつしか私と幾度かのデートを重ねていくうちに、「恋人」という概念が生まれていったらしかった。

それは、やはり年頃の男女という性がそうさせたのかもしれない。

しかし、私たちはいまひとつのゴールに向かって進んでいる。

“交際する”という尊い行為に向かってただひたすらにお互いの心を燃やしている。

大鷹くんにとっては、初めての恋人。

わたしにとっては、結婚を意識した人になること。

目の前にある掴みそうで掴めない幸せを睨みながら、千羽子は彼の誕生日をカウントダウンした。

それは、運命の日になることを誰も知らない。


「今度、どこかいかへん?」

クーラーが効いた喫茶店でカフェオレを飲みながら、額に汗を浮かばせながら提案をくれた。

「それいいね」

店員さんが持ってきてくれたばかりのレモンスカッシュをごくごくと飲みながらわたしは賛同した。

八月も下旬だというのにまだまだ暑さは止まらない。

上野駅で待ち合わせをして、当初は上野動物園に行くはずだったが暑すぎる気温に二人で一旦喫茶店に逃げ込んだのは10時30分過ぎのことだった。

入店早々にメニューを見て即決した飲み物をいまはもう半分以上飲み干していた。

「どこにいこっか」

大鷹くんの長くて白い首筋を流れる汗が美しいと思った。

もう少しでこの汗も私のものになる。

それまでの辛抱。

私は自分の思いに蓋をしつつも、溢れる大鷹くんへの好意は止められなかった。

「せなやー。仙台とかどう?」

「仙台?宮城だよね。牛タン食べたいとか?」

「せやせや!ほんまもんの牛タン」

「東京からなら新幹線で日帰りかな」

「ん?」

「え?なに?」

「泊まりの予定やったんやけど」

泊まり。

その言葉が私の胸を貫いた。

そして同時にあれもしない妄想を始めてしまった。

大鷹くんの浴衣姿。

温泉にはいる姿。

部屋でゆっくり二人で懐石料理を食べている様子。

そして、彼の寝顔。

あれ、大鷹くんっていままで彼女いなかったんだよね?

そうすると、そういうことだよね?

いやいや、分からないよ。

最近の若い子は、恋人がいなくても恋愛は進んでいるんだから。

でも、もしも、いままでに“そういう人”がいなかったとしたら、私が初めての人?

私はもう妄想だけで心がいっぱいだった。

「あかんかな?」

「ううん!いいね!旅行。ずっと近場だったもんね。よし、そうと決まればホテルとか先に取っちゃおう」

ついに私も行くところまで来たのだ。

心はもう止められなかった。


予定していた上野動物園は、大鷹くんと一緒だったのもあってとても楽しかった。

ただひとついえば、暑すぎて、正直動物どころではなかった。

それでも楽しかったのは、大鷹くんが子供のようにはしゃいで、園内にいる誰よりも楽しそうだったからだ。

私はずっと大鷹くんを見ていたのかもしれない。

動物なんて見ていなかったのかもしれない。

それほど、大鷹くんに釘付けだった。

まるで、母がはしゃぐ子供を見るように、ずっと視線を外さずにいた。

視界から、絶対に彼を逃さないように。


園内にはたくさんの親子連れで賑わっていた。

もしかしたら、私と大鷹くんが上手くいったら、結婚して、いつか子供ができるのかな。

女の子かな。

男の子かな。

どちらでも、かわいいに決まっている。

大好きな人の子なら、絶対にかわいい。

そして結婚するなら、私たちと同じ目には会わせない。

片親の辛さは、言い表せない。

あとからあとから、傷口に塩を塗られるように染みてくるのだ。

我が子には、底知れぬ愛情で応えてあげたい。

それが、わたしの昔からの願いだった。

そして、必ず兄弟をつくってあげるのだ。

私が叶わなかった未来を、私は作りたい。

その未来が、いますぐそばにある。

すぐそこにある。

この未来を私は離したくない。

大鷹くんから距離が離れないように少し足早に歩いた。

彼は気を使っていつもわたしに合わせるようにゆっくり目に歩いてくれるが、今日は動物に興奮しているためか、結構なスピードで歩いていく。

私は置いていかれないように、腕をたくさん振って彼の後ろ姿を追った。


動物園をまわったあと、私たちはカラオケに入ることにした。

カラオケでランチをかねてゆっくりしようとのことだ。

どこのレストランもカフェもこの暑さで人がいっぱいで、入れなかったことも理由にある。

お互いにカラオケは嫌いでなかったし、ある程度まとまった時間を確保できるので、むしろいい選択肢だとお互いに思った。

部屋はひんやりとした空気で満たされていた。

モニターには今流行りのアーティストのインタビュー映像やCMでよく聴く歌のPVがエンドレスで流れていた。

L字型の無機質な赤いソファの上にそれぞれ座った。

私はL字の短い方。

大鷹くんはL字の長い方。

それぞれ少しだけ距離をとる。

そういえば、大鷹くんとこうして個室で二人きりになるのは初めてのことだ。

今までたくさんデートは重ねてきたけれども、今までの場所はすべて公共の場であり、不特定多数の人がいつもいた。

カフェや居酒屋、公園や駅ビル、ショッピング。

いつも賑やかな場所で常に他の人の声が響いていた。

しかし、ここにはいま二人しかない。

二人の男女が。

交際を間近に控えた男女が。

「ちーちゃん、なに飲む?」

メニュー表を見ながら問いかけられた。

「あ?ごめん、ビールにしようかな」

「昼から攻めるね~。じゃあ俺もビール」

「未成年がお酒のんじゃダメなんだよ」

「あと少しやもん。多めに見てや」

「見ないふりしますー」

「おおきに」

大鷹くんは個室に備え付けられた電話の受話器をもって慣れたように注文をした。

「さ!カラオケは年上から歌うのが関東のルールやろ?ちーちゃん、一発目頼むわ!」

「なにそれ、聞いたことないよ。大鷹くんの会社だけじゃないの?」

「せやろか?まぁ、とりあえず入れてや。いつもなに歌うん?」

「そうだなー」

私は投げ掛けられながら、デンモクを慣れた手つきで操作した。

一人の時間が長かった千羽子は、よく北千住にある安いカラオケで一日過ごすことも多かった。

そのかいもあって、歌が上手いというので周りからの評判はよかった。

しかし最近は休日のほとんどを大鷹くんと過ごすようになって練習はしていなかったので上手く歌えるのか少しだけ不安だった。

それでも千羽子の歌は上手かったらしい。

「ちーちゃん、やばない?めっちゃ歌うまいやん。歌手になれるで。今からでも遅ないで」

「あはは、ありがとう」

「ほんまやって。まじしびれた。そこらへんの歌手よりも何倍もうまい」

「ありがとう。素直に受け止めておくよ」

「ほんまやなのになー。伝わっとる?」

「伝わってるよ。あ、大鷹くんの曲始まったよ」

「あ、ほんまや!」

急いでテーブルの上に置いてあったマイクを手に取り、イントロが終わったあとに伴奏に合わせて歌い始めた。

「え…うそ…」

私は自分の耳を疑った。

こんな上手い歌聴いたことがない。

言葉では表現できない。

上手いという言葉では絶対に足りない。

伸びやかな歌声には曇りがなくて、どの音も迷いがない音程で次々に彼の口から産み出される。

まるで彼のために作られたような曲にすら感じた。

他のどんな歌手でも叶わない。

彼の歌声は本当に人を魅了してならない。

ボイトレで矯正されたような歌声とは違う。

これは、神様からのギフトだ。

彼は神様から愛されている。

「ちーちゃん?」

いつの間にか大鷹くんの歌が終わっていた。

ずっと聞き入っていたらしい。

「あれ?もう終わり?」

「そうやで、次ちーちゃんの番。まだ歌入れてへんやろ?」

「私、もっと大鷹くんの歌聞きたい!」

勢いでぐいっと顔を彼の前に近づけた。

すると勢いが余って、両手でソファについていた腕が、がくっと下に落ちるのを感じた。

「危ないっ」

大鷹くんの声がして、ふわりと体を抱き抱えられた。

私はソファのすぐとなりにあるテーブルに顎をぶつけそうになるのを防ぐため、顔を背けた。

すると、体が安定感を得たときにはすでに、私たちの距離は、すごくいい感じになっていた。

漫画やドラマでよくあるような、本当にキスできそうな距離まで近づいていた。

それはもう鼻と鼻の間が拳いっこないくらいの近さだった。

もうキスしてもいいような距離だった。

カラオケボックスの個室の暗闇は、わたしの心を助長させてならなかった。

大鷹くんとこうなったのは、恵比寿で初めてのんだ帰り道に私が階段を踏み外したときにも同じようなことが起こった。

そのときは、ある意味でお預けをされた。

私だっていい年齢の女だ。

目の前に自分のことを好きな異性がいて、それでいてしばらく女として扱われていなかったのであれば、わたしの中でも止められないものは生まれてくる。

もう、止めなくてもいいよね?

わたしは拳一個分の距離をつめるべく、自らの瞼をゆっくりと閉じて体をさらに前に進めた。

彼の息を感じた。

もうあと一秒なくても彼に飛び込める。

彼も動く様子もない。

きっと、もしかしたら大鷹くんも私と同じ気持ちなのかもしれない。

私が大鷹くんを求めているように、大鷹くんも私を求めているのかも。

そう考えるとからだの力が抜けてきた。

もう何も恐れることはないのだ。

もう、飛び込んでしまおうこのまま。

私はゆっくりと時が動くカラオケボックスの中で、静かに体を倒していった。

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