夢でもすべて覚えていたい
大鷹くんとのはじめての出会いは、私のなげやりな提案から始まったものの、最後には理想以上の着地となった気がする。
たまたま休みだった私とたまたま仕事が早く終わる大鷹くんとの接触は恵比寿の鉄板焼から始まり、何件かはしご酒をして、そして階段でのハプニングもあり、急接近したように感じる。
電車の中でも連絡を取り合い、挙げ句の果てには家でも長電話をして、自分でも何をそんなに話すことがあるのは不思議なくらいずっと会話を続けていた。
大鷹くんもテンションが高く、お酒が入っていたからなのかもしれないが、何回も何回も私の名前を呼んでくれて、ほれでいてことあるごとに「ちーちゃんさんは可愛いから」を連呼していた。
きっとこの人は私のことが好きなんだ。
そう勘違いでは収まらなくなってきた。
階段でのハプニングで、あえてキスをしなかったことは逆に好感度を上げることに繋がった。
大鷹くんが勢いに任せて欲に勝てない人間でないことが証明され、少なくとも少しでもわたしのこを大切に思ってくれているのがわかった。
私もキスをするのはあの場面ではないと感じていた。
できることならもっとロマンチックに、もっと気持ちが高ぶったときに、そうなりたい。
千羽子は完全に受かれていた。
それもそのはずだ。
はじめてあった日からもう一ヶ月。
あの日から一日足りとてお互いに連絡を欠かしたことはなかった。
まるで恋人のようにお互いの近況を連絡し合い、時間があれば夜遅くまで長電話をした。
毎週なにかときっかけを作って会うようになり、先週は土日どちらも一緒に過ごした。
恋人らしく喫茶店でお茶をして、カラオケに行って、映画館に行って、ウィンドウショッピングを楽しみ、夜は居酒屋に行ったりした。
しかしお互いの心の距離はもうこれ以上近づけないほどに近づいたものの、物理的な距離は埋まらなかった。
それが千羽子の最近の悩みだった。
こんなにも心が通じあって、こんなにもお互いの時間を共有していて、お互いに思いあっているのに、大鷹くんからは「付き合おう」や「好き」という言葉を聞いたことが一度もない。
一回お酒の勢いで言ってくれないかなと、かなり飲み込んだ日もあったが、大鷹くんは千羽子以上の酒豪で先に千羽子がダウンしてしまったこともあった。
その夜は家の近くまでタクシーで送ってくれたものの、千羽子の部屋の玄関までは送り届けてそのまま帰ってしまった。
確実に大鷹くんは私に好意がある。
私以外に他に女の影は見当たらない。
もしも昼に仕事以外のことをしているのであれば、女と会う時間もある。
しかし大鷹くんもなかなかな激務だった。
実は外資系のコンサルタント企業に勤めているようで、会社のバッジも見せてもらったが、誰もが知る有名企業ではあるものの、完全実力主義の会社で休みがあってないようなものらしい。
会社の名前をネットで検索すると第二検索ワードで「ブラック」「残業」「やめとけ」と出てくるほどだ。
それでも仕事にはやりがいを感じているようで、若くしてあの会社には入れたのは父のコネもあったそうだが、まだ辞めるには何も成し遂げられていないとよく飲みの場で言っていた。
そういえば、千羽子の父もコンサルタント系の会社に勤務しているといつか母から聞いたことがある。
なんでも金融コンサルトいう仕事らしく、高給取りで合コンが多いのだとか。
母は父の仕事に偏見を持っていたようだ。
そんなこともあり、千羽子は満足しつつも少しだけ不満を感じていた。
贅沢な悩みだけれども、宙ぶらりんの関係は嫌だった。
恋人なら恋人、友達なら友達。
はっきりとしたラベルが欲しかった。
そんな中、会合は始まる。
同期メンバーとの飲み会が今宵も開かれる。
今回の会場は池袋だ。
小倉台ちゃんのたっての願いでお肉が美味しいと噂の隠れ家BALを予約した。
みんな時間通りにお店について18時30分には一杯目のビールを乾杯していた。
前の会合から一ヶ月ぶりだった。
この前の会合の帰りに、意図せず松谷さんと出会った。
しかしそれから一ヶ月、大鷹くんとの距離は急接近し、いまでは恋人までもう一歩のところまで来ている。
辛かった時期もがんばれば神様が手を差しのべてくれるんだ。
「みんなー会いたかったよー」
小倉台ちゃんがニコニコと猫なで声で言う。
トレードマークにもなりつつあるノースリーブはとても似合っている。
白いニットから出る腕は白くてするりと長い。
「元気だった~?みんな、変わりない?」
穴川ちゃんがいつものように微笑みながら言う。
どこからどうみても優等生な穴川ちゃんは少し痩せたように見える。
その後浮気をしていた彼とはどうなったのだろうか。
「元気だよー。変わりなく」
千葉ちゃんがビールをぐびぐび飲みながら言う。
「私も元気。お陰さまで」
千羽子も元気だと報告する。
「あれー?流山ちゃん、なんか肌艶良くなーい?」
小倉台ちゃんがずいっとテーブルに体を乗せて食いついた。
「え?そんなことないよ。化粧品変えてないし相変わらず残業ひどいし」
「そうじゃなくてー。なんかね、余裕出てきたって言うか、なんか女らしくなった気がする」
「そ、そうかな」
「そうだよー」
えー、なになに?とみんながニヤニヤとしている。
これは恋愛の話に入るパターンだ。
「そういえば、流山ちゃんに良い人いたんだよね?」
「アプリで出会った人だっけ?」
「どんな人?最近どう?もしかして付き合った?」
「流山ちゃんの子の話、詳しく!」
みんなが寄ってたかって質問を投げてくる。
流山ちゃんの子。
つまり、私の子。
大鷹くんは私の子。
その響きが妙にくすぐったくて、妙に気に入った。
「私の子は、まぁまぁだよ」
「何よまぁまぁって。付き合ってる?」
「付き合ってはいないよ。付き合っては。でも連絡は取ってるし、何回か二人でも出掛けたから、あとはタイミングかなぁって」
「ほほーう」
みんなの目がキラキラしている。
「連絡とりはじめてからしばらく経つよね?結構奥手?」
「流山ちゃんを目の前にして手を出さない男がいるのか?」
「どんな男よ。今ここに連れてきなさい!」
みんなテンションが上がっていく。
みんなの嬉しそうな顔が見れて私は何よりも嬉しくて楽しかった。
「私としては、むしろゆっくりいけて嬉しいよ。大事にしてくれる感じがすごく伝わるし。それになんだか兄弟みたいな感じで話しやすいしさ」
「じゃあもし付き合って結婚ってなったらOKする?」
三村との交際が順調な千葉ちゃんが直球の質問をしてきた。
「それは、まぁ、そうだね」
「いやー!すごい。今度会わせて。みんなで合コンしようよ」
「千葉ちゃんは合コンしなくてもいいじゃん、三村いるし」
「たまに刺激がほしくなるときあるんだよ。小倉台ちゃんだって、彼氏いるけどたまに合コンしてるんでしょ?」
「そうだよー。でも彼氏には言ってるよ。セッティング要因だからわたし。今は彼氏が一番だし、向こうも理解してくれてるし」
出会い系アプリで知り合った相手との交際が順調な恋多き乙女の小倉台ちゃんが幸せそうに言った。
「えーいいなあー。私も今度合コン誘って。絶賛募集中だから」
そう言ったのは穴川ちゃんだった。
ほんの一瞬だけ穴川ちゃん以外の三人の動きがとまった。
しかしすかさずみんながリアクションする。
「穴川ちゃんなら歩くだけで彼氏できるよ」
「合コン穴川ちゃんの一人勝ちじゃんー」
「結局私が一番最後か~」
最後に発言したのは私だった。
当の本人は私たちの一瞬だけの沈黙を察してしまったのか少し困った表情をそれこそ一瞬だけして「みんな気遣わせてごめんね。私なら大丈夫だから」とビールジョッキを高々と上げて笑顔で答えた。
「あれからきちんと向こうから説明してもらって、私も気持ちの成立ついたから。だから、ちゃんと次の恋できます。早く彼氏作らせてください!」
穴川ちゃんは本当にどこまでも優等生だ。
仕事もプライベートも模範生だ。
私も最近新しい恋に向かって歩きだした一人だ。
穴川ちゃんに先を越されてしまうかもしれないけれど、私も一生懸命がんばるよ、と心の中でエールを送った。
肉バルでの会合は美味しい料理とワインとお陰でかなり盛り上がっていた。
でも小倉台ちゃんが今日は彼氏と池袋で落ち合うことになっているらしく、一人先に抜けていった。
恋する乙女の顔は生き生きとしていて、どんな花よりも美しかった。
私も大鷹くんと付き合うことができたら、あんな瑞々しい顔になるのだろうか。
残った三人でせめて開けたワインボトルだけは飲みきろうと言うことになり、それぞれのグラスに並々と赤ワインを注ぎ込み、残ったつまみをちびちびと食べ始めた。
「流山ちゃんのタイプってどんな人?」
千葉ちゃんは彼氏がいるし、穴川ちゃんは失恋したばかりと言うこともあり、話の矛先は私に向きやすかった。
それにこの前の会合のあとの松谷さんと一件と私と松谷さんとの人には言えない出来事を知らない穴川ちゃんは、純粋に訪ねた。
「んー、どんな人かなぁ。今までは顔で全部選んできたがする。私一重が好きなんだよねぇ。切れ長でかっこいいなぁって」
自分でそう言って、そういえば大鷹くんはきれいなくっきり二重だと思い出した。
「一重の男の人なんて世の中にたくさんいるよー。他には?」
「他、かぁ」
そう言いながら、私は大鷹くんの顔を思い出していた。
前髪は少しくせがあって、自然な斜めに流れている。
眉毛にかかるくらいの黒髪の前髪は艶々していて、若々しさが感じられる。
襟足は出会った頃は少しだけ長かったけれども、きっと切り揃えられていたときにはかなり刈り上げに近い短さだったのだろう。
長くて細いまつげは女の子が憧れるポイントだ。
黒目が大きくて、一瞬目が合うと目を反らせない。
鼻筋がスッと通っていて、横顔がとてもきれいだ。
唇はふっくらとしていて、桜色の健康的な色合いは彼の白くて透明な肌に良くあっている。
きっと彼と口づけを交わしたなら一瞬で虜になってしまう。
整った顔立ちとは裏腹に首筋には男らしさを感じさせる喉仏や太くてくっきりした血管が隆々と波打っている。
それでも首筋は白くて、服の襟まで見える鎖骨は色気が尋常ではないほどに感じられる。
ずるい。
本当にずるい。
これまでいろんな男の人に会ってきたが、これほどまでに千羽子を魅了する男性はいなかった。
それもいままでのタイプとは全く異なる相手で自分でも不思議だった。
それは容姿以外に惹かれているところが多かったからだ。
彼の底抜けの明るさと純粋さと素直さ。
それに相手を一番に考えている姿勢が素敵だった。
「流山ちゃん?」
私は大鷹くんを思い出して一瞬フリーズしていたらしい。
「あ、ごめんね」
「いま流山ちゃんの好きな子のこと考えてたでしょ」
「ばれてた?」
「ばれるよー。そりゃあもう口元がゆるゆるのにやにやで、見てるこっちが恥ずかしい」
「あはは、ごめんって」
お酒の力もあって千羽子はふわふわとした気持ちだった。
でも、いまはお酒だけではない。
大鷹くんのことを考えるだけで、こんなにも幸せな気持ちになれる。
彼ともっと、つながりたい。
きっともっと、幸せな展開が待っていると思うから。
「流山ちゃん、元気そうでよかった」
池袋駅で穴川ちゃんと解散をして、私たちは山手線で上野駅まで向かっていた。
終電までにはまだいくぶんか本数はあるが、山手線はひとで満員だった。
幸いにして池袋駅からふたりぶんの席が空いていたので、そこに二人で腰を下ろして電車の揺れに体を任せていた。
「もっと落ち込んでると思ったけど、良い人なんだね、その人」
「ありがとう。おかげさまで。あの夜は一生忘れないよ」
「あの夜はごめんね。ひどかったわ」
「いいよ。久々に流山ちゃんが潰れたの見れたし」
ケラケラと笑いながら千葉ちゃんは楽しそうに笑った。
止まる駅ごとに人が増えていく山手線で私の失態が知らない人といえども知らされるのは恥ずかしい。
「あの夜は忘れないや」
「流山ちゃん、ストレス溜まってるんだよ。発散しよう。飲みなら付き合うから」
「ありがとう」
松谷さんに偶然再開したあの日、連絡をくれた千葉ちゃんとその彼氏の三村と朝まで飲んで私が潰れたのは良い思い出だ。
松谷さんのことは本気ではなかったとは言えども、心についた傷は本物だ。
ようやく癒えたと思っていた傷に塩を無理矢理練り込まれたら、どんな傷でも痛い。
でもその傷を優しく癒してくれるのは純粋な水であり、心を許した相手との時間だ。
千葉ちゃんには本当に感謝している。
「あ、次上野だね」
あっという間に時間は流れ、私たちは上野駅で日比谷線に乗り換えて各々の駅に降りて各々の家へ向かった。
誰かといるときは極力携帯電話を見ないことは、千羽子の信念だった。
なんとなく千羽ちゃんといた後に、携帯電話をいじるのはなんだか嫌だった。
このまま友達に満たされた感覚で家に帰るのはすごく幸せな気分だった。
それでも私は家についてから大鷹くんと繋がりたいと思い、彼が恋しくなって玄関で鞄を置くや否や携帯電話をチェックした。
大鷹くんからは2時間前に連絡が来ていて、「ちーちゃんさんいまごろ同期と飲みやんね?楽しんできてや」とあった。
私はすぐに返信をした。
「いま家につきました。すごく楽しかった。大鷹くんはどんな日だった?」
返信した後にすぐに着替えてシャワーを浴びて紙を乾かして冷蔵庫から発泡酒を取り出してベッドに座った。
携帯電話を見ると着信があった。
大鷹くんからだった。
わたしは躊躇わすかけ直した。
「もしもし?大鷹くん?」
「あ、ちーちゃんさん?電話ありがとう」
元気な関西弁が飛び込んできた。
「飲みどうだったん?詳しく聞かせてや」
「あ、飲みね、楽しかったよ…」
そのあと二時間ほど電話をしてお互いに眠りについた。
私の人生は上向いてきた、と千羽子は眠りの狭間で思った。
このままわたしは幸せになるんだ、と。
今週の土曜日にまた二人で会う約束をした。
そこで大鷹くんの気持ちを聞いてみようと思った。
ここまで来て付き合えないことはないと確信していた。
大鷹くんの胸に飛び込める日は近い。
千羽子はまだ見ぬ大鷹くんの胸を思いながら深く深く眠り夢を見た。
それはそれは素敵な夢だった。
朝起きて覚えていないのが悔しいほどに。




