松谷さんは、いい人。先輩。以上。
「正直、何をしたらいいか分からないんです。お客さんが何を求めているのかとか、どう言ったら良いかとか考え出したらきりがなくて。それで結局なにもできないでいるんです」
船橋オフィスの昼過ぎは銀座オフィスと異なりゆっくりとした時間が流れている。
同じように時計の針は進むのに、いる場所で感じ方が変わるのは不思議だなぁとつくづく感じた。
千羽子が所属している銀座オフィスは会社の管理職がほぼ毎日会議やら研修やらで人が出入りしている。
しかし船橋オフィスはめったにそうした偉い方々の出入りがほぼないので社員はどこかまったりしたところがある。
そんなこともあり、今日も船橋オフィスにいる千羽子は松谷と向かい合ってコンサルを受けていた。
事務のアルバイトの津田沼さんはシフト休みで、管理職の所長は銀座オフィスでの会議に参加している。
たまたま午後特に予定がお互いになかったので、松谷さんからの提案で、千羽子のお悩み相談会を臨時開催していた。
千羽子はうまく言葉にするのが苦手なのでありのままを松谷に伝えた。
同期が順調に売上を伸ばしているのに、自分はまだまだなこと。
代表電話をとることすら怖いこと。
一回お客さんに怒られてから、相手の機嫌ばかりを図ってしまうこと。
すべて、洗いざらい話した。
同期にも母にも言えず、松谷さんしか捌け口がなかった。
松谷さんはなにも言わず聞いてくれた。
「うん」「そうなのか」「それはつらいな」と途中短く相づちを打ってくれた。
その相槌が私の心の鍵を開けたのか、より話しやすくしてくれたのか、私はいつの間にか話さなくてもいい元カレの話や両親が早くから別居をしていたことまで気がつくと話しきっていた。
「…」
松谷さんは話終えた私を無言で見つめていた。
私は、しまったと感じた。
出会ってそう時間も経っていない人に、しかも事もあろうが会社の先輩と言うある意味での他人に、こんなプライベートなことをペラペラと話すなんてあり得ない。
どうしようもないおしゃべり好きな新卒と思われて当然だった。
「す、すみません」
もうこれ以上恥をさらせなくて、顔が赤くなり俯いて手をもじもじさせた。
「本当にすみません」
謝罪の言葉ばかりが次から次へと出てくる。
あまりにも沈黙が長かったので、恐る恐る顔をあげてみる。
松谷さんは、ポカンと空いていた口を次の瞬間にはぎゅっと結んで何かを決心したような表情になっていた。
「…すみません」
「…いいや」
「え?」
「流山」
「はい」
「今日帰り送ってくから、残業するなよ」
「え?どういうことですか」
「そういうこと」
松谷さんはそう言って営業書の隅にある小さなブースの椅子から腰をあげた。
「北千住だろ?家さ。送るよ」
「いや、でも大丈夫ですよ」
松谷さんの家がどこかは知らないが、私の家の方向じゃないことはなんとなく知っていた。
「大丈夫じゃない」
両手を腰に当てて、怒るような動きでこちらをじっと見た。
「お前には必要なんだよ。話し相手が。まぁ、とりあえず今日は先輩の言うこと聞いておきな。17時30分で上がるからな」
そう言い残して、営業所の自分のデスクへ戻っていった。
ぽつと取り残された私は唖然としていた。
それに誰かから送迎してもらうなんて、いつぶりだろう。
男の人と二人きりで車内なんて。
ううん、だめよ。
松谷さんはきっとそういうのじゃない。
だって彼には奥さんと子供がいるんだもの。
左手の薬指にはシルバーに光るリングがあり、子供の写真が入ったキーホルダーを私用電話につけているのを何度も見た。
松谷さんは既婚者。
いい先輩。
それだけ。
大丈夫、大丈夫と言い聞かせて、千羽子も遅れて自分のパソコンがあるデスクへと向かった。




