#16<イベリア半島の異変>
スペインはなぜ建国されなかったか?
戦禍うずまく12世紀のイベリア半島。
ここから異変は始まる。
イベリア半島北部をキリスト教圏王国が支配していた。
南部をベルベル人のムワッヒド朝(イスラム教圏)が支配していた。
北部キリスト教圏には、カスティーリャ=レオン王国があった。
この国が後のスペイン、ポルトガルの始祖となる王国である。
1072年カスティーリャ=レオン国王サンチョ2世はサモラ攻城戦で戦死。
かわって英雄エルシドがカスティーリャ=レオン国王となった。
1096年ポルトゥカーレ伯領はレオン王国に占領された。
幽閉を解かれ、平伏していたアルフォンソ6世の統治領となる。
ポルトゥカーレ伯領がポルトガル王国になる筈だったのだ。
1143年建国の年、ポルトガル王国はその姿すらない。
キリスト教勢力がイスラム勢力を排除する運動レコンキスタ。
エルシドがカスティーリャ=レオン国王となった事でレコンキスタは起きない。
エルシドは南部ムワッヒド朝(イスラム教圏)との共存策を模索したからだ。
アル=ムクタディル(サラクスタのタイファ)の援助もあった。
一方、東部の地中海沿岸のアラゴン王国は事情が違っていた。
アラゴン王サンチョ1世は教皇との絆を深め、十字軍とレコンキスタに準じた。
教皇のレコンキスタに呼応し、十字軍騎士らを国内に招き入れた。
テンプル、オスピタルなどの騎士修道会を含む大軍団である。
これに対し英雄エルシドも、ムワッヒド朝と連合軍を組んで対峙した。
アラゴン王国とムワッヒド朝の国境付近で二軍は激突した。
エルシド=ムワッヒド朝連合軍は、南下するアラゴン=十字軍連合を撃破。
アラゴン国の十字軍体制は崩壊し、騎士達は欧州に引き揚げていった。
ムワッヒド朝(イスラム教圏)はその後も勢力を維持、キリスト教圏王国も国境を維持した。
その結果、イベリア半島の勢力地図は1200年代からそのままであった。
ガリシア=アルフォンソ王国、レオン=カスティーリア王国、ナバラ王国、カタルーニャ君主国。
これらは統一する気配もなく、ムワッヒド朝と戦端を開くわけでもなかった。
ムスリム商人は莫大な流通と貿易の利益をキリスト教圏にもたらしている。
エルシドは思った「英知を以て寛容とすべき」時が来たのではないか?
すでに流通と貿易によって、多くの人々が相互に関係し合っていた。
モサラベ(イスラム教圏に住むキリスト教徒)がイスラム教諸国に数多く定住していた。
その多くは裕福な商人であり、すでにムスリム宮廷で高位の者もいた。
ジズヤ(人頭税)を払い、ハラージュ(地租)を払う事で地位を得たのだ。
その息子娘の若者達は、異教徒の自由人として振る舞っていた。
彼らの数は多く、イスラム政権の貴重な収入源となっていた。
さらにキリスト教圏の貴族も、イスラム教諸国に傭兵として出向していた。
多くの戦争には自国の徴兵だけではなく、傭兵が雇われている。
金さえもらえれば、敵味方の別なく、従うのが傭兵だ。
かつて、アレキサンダー大王がペルシャ王ダレイオスと戦ったイッソスの戦い。
ダレイオスが率いていたのはギリシャ傭兵のファランクス槍騎兵だった。
カネのためなら敵にも付く、いわゆる「背に腹はかえられぬ」というヤツだ。
自国の徴兵は温存し、ギリシャ人同士が戦って消耗する。
双方が疲れ切ったところで、温存した自軍が一気にカタをつける。
実際には傭兵が自国の兵士と戦うのを嫌い、グダグタになってしまったが。
その愚行が再びここで起こるのをエルシドは嫌った。
エルシドは思った「空しくも悲しい同士討ちではないか」
「ここは共存共栄の道を選ぶべきだ」
イベリア半島に統一国家スペインはとうとう誕生しなかった。
これはポルトガルについても同様である。
こうして平和が保たれていることが、また未来をひとつ消した。
大航海時代が来ることはなかったのだ。




