23話 『初めての魔法と』
澄み渡る青い空、鼻に抜ける緑の香り。こんなにも自然を強く感じられた事が、今まであっただろうか。
久々に飛行艇の外へ出られたトリシャは、大きく深呼吸をする。足元には芝生の様な短い草が生えていた。所々、地面が剥き出しになっていたが、それは大した問題ではない。
奥の方には木々が立ちふさがる様に並んでいるのが見える。さしずめ、この場所は森の切口付近といった所だろう。
「あれ、アイリスは?」
気が付くと先ほどまで隣にいたアイリスの姿が無い。いつもトリシャの横に付き添うように側に居る彼女が見当たらないのは不自然である。
「アイリスなら邪魔が入らない様に障壁を張ってもらっている。ほら、あそこにいるだろ」
ルミエーラが指で示した方を見ると、森の入り口の方で何か行っているアイリスの姿がある。少し距離があり、背中を向けていることから何をしているかは分からなかったが、ルミエーラの指示で動いているのだろう。
なんにせよ、目の届く範囲にいるのであれば心配する必要はない。トリシャよりも彼女の方がしっかりしているのだから。
「よし、早速魔法を教えていく事になるわけだが、魔法使った事無いよな?」
「もちろんありません」
当然の事だが使った事があるわけがない。首に下げている桜の形をした宝石を光らせた事はあるが、魔法と呼べるものでは無い。
例えるなら、懐中電灯のスイッチを押して明かりをつけただけで、光の元になる電気を起こしたわけではないのである。端的に言えば道具の機能に過ぎないのだ。
「だよなー。どこから説明すればいいか分からないが……まずは使ってみるか」
ルミエーラは簡単に言ってのけるが使った事のない人間に、いきなりそんな事を言われても魔法を使えるはずがない。
「でもどうやって?」
「私がトリシャのマナを使って無理やり魔法を使うから、その感覚を覚えてもらう」
トリシャは無理やりという言葉に眉をひそめるが、魔法の使い方を知らないので仕方ない事だと割り切った。
ルミエーラはトリシャの後ろに回ると、手首を掴み前方にかざした。後頭部に胸が当たった時は一瞬後ろから殴られたのかと思ったが、それが胸だと分かると、トリシャは彼女の胸が凶器に見えてしまった。
「それじゃあ、使ってみるぞ」
初めて魔法を使うという体験に緊張と期待で心臓が高鳴る。自然と体に力が入り、瞬きをすることを忘れて、その瞬間を待つ。
体の中を何かが流れる感覚がする。血液でもないその感覚はルミエーラに握られた手首に集まっている気がする。
熱とも血液とも違う、その不思議な感覚は手の平に集まると、手の前に金色の模様を描く。
次の瞬間、閃光と共に前方に雷撃が放たれる。10メートルほど進んだかと思うと、地面へ突き刺さる様に落下して光を失った。
一瞬の出来事にトリシャは目を丸くする。雷撃が落ちた地面を見ると草を燃やし、地面を焦がしていた。その範囲は狭く直径20センチメートルにも満たないが、トリシャの期待に応えるには十分な成果だった。
「すごい、いまの何?」
興奮を抑えられないトリシャは後ろを振り向くと、ルミエーラを見上げる。まるで宝石の様に輝くその瞳は、ルミエーラにとっては雷撃よりも眩しく映る。
「今の魔法は小規模な雷魔法だよ。それよりマナの流れは分かったか?」
「熱とも血液とも違う何かが体を流れている感覚はわかりました」
どうやれば魔法が使えるかは分からないが、マナというものが流れる感覚を体感する事が出来た。
「その感覚がわかれば話が早い。次は簡単な魔法でも使ってみるか」
「さっきの雷魔法じゃなくて?」
今、試しに使ってみた魔法は雷魔法だ。簡単な魔法とはどんな魔法なのか気になるのは当然である。
「ああ、雷魔法は私が使いやすいだけで、今のトリシャには少々難し過ぎる。まずは初心者向けの風魔法を覚えてもらうつもりだ」
初心者向けの魔法が風魔法なのか、風魔法の中の初心者向けの魔法を覚えるのか。どちらにせよ初心者向けの魔法を覚えないと、先程の雷魔法は覚えられないみたいだ。
「どんな風魔法教えてもらえるんですか?」
「まずは手始めに空気の塊を前に飛ばすやつだ。名前は……まぁいいや、早速やってみようか」
ルミエーラは肝心の名前を忘れてしまったみたいではぐらかされる。初めて覚える魔法の名前を知らないままでは、意欲に差し支えてしまう。
「良くないよ。名前を知った方がやる気が出るから思い出してください。」
「なんだったけなー。ウィンドショットかエアショットだった気がするんだけど……好きな方を選べ」
そんな選べと言われても、もし間違えて覚えてしまったらと思うと簡単には選べない。だからといって、このまま彼女が思い出すのを待っても時間が過ぎていくだけだろう。
早く魔法を教えてもらいたかったトリシャは諦めてどちらかを選択する事にした。
「じゃあ、エアショットでいいです」
何となく音の響きで選んだトリシャは、これからこの魔法を覚えていく事になる。
「それじゃあ、まずは何から教えていこうかな。まずは魔方陣を描くところから始めてみるか」
そう言うと、彼女は地面に何かを描き始めた。草の生えていない土が剥き出しになっている地面を選び、円形の模様を描いていく。
「確かこんな感じだったかな。使う時はわざわざ描いたりしないから、これと同じものを覚えておくように」
ルミエーラが描いた模様は二重の円の間に、この世界の文字を円に沿って書かれている。更に中央に初めて見る印が描かれていた。
「ねぇ、この中心にある印模様って何ですか?」
「ああ、これは風属性を表す記号だよ。他にも火、水、土と属性を表す記号は何種類かある」
彼女は円形の模様の横に別の記号を描き始めた。3種類描いた事から、それぞれ火、水、土を表す記号だという事はトリシャにも理解できた。
「風よ……打て?」
「はぁ、本当に文字の勉強進んでいるのか? 風よ、対象を打ち抜け、だ」
文字の勉強は進んでいると言いたい。しかし、ようやく絵本以外の本に手を付け始めたトリシャにとって、初めて見る単語は山ほどある。完璧を求められても期待には応えられないのは仕方のない事なのである。
「だってー」
「式を口頭で言っても使える事は使えるんだが、これから私が教える魔法や魔術は全て魔方陣を描くやり方で行ってもらう。だから早めに文字の読みだけではなく書く方も覚える事だな」
文字を読める事が最終目標だったトリシャにとっては思わぬ誤算が生じた。まさか今まで勉強していた文字が魔法を扱うために必要だとは思わなかったからである。
さらに、文字を読むだけでなく書くことを覚えないといけなくなると、今までの様に悠長に勉強をしていられない事だろう。
ただでさえ覚える必要がある事が山ほどあるのに、このままで魔法を習得できるのか、急に不安になってきた。
「文字は今後の課題として、まずはこの魔方陣を頭に入れてもらう」
トリシャは彼女の描いた魔方陣を模写してみる。頭に入れろと言われて一発で記憶できるほど頭は良くない。まずは描いて覚えるのが定石だろう。
「お、初めてにしてはなかなか上手く描けてるじゃないか」
ルミエーラは褒めてくれてはいるものの、彼女の描いた魔方陣と比べたら円の形が少し歪んで見えた。かといって大きく崩れているわけではなく、彼女の描いた円がまるでコンパスを使って描いた円の様に正確すぎるだけである。
「どうしたらこんなに綺麗にかけるの?」
「慣れだな。これでも十分、発動に問題ない。そのうち上手くなるさ」
魔法の発動に問題が無いのなら、気にする必要は無いのだろうとトリシャは感じた。気を取り直して魔法の習得に集中する事にする。
「この魔方陣を、マナを使って空中に描く。それが出来たら後は発動するだけだな」
サクサクと説明をするルミエーラと違って、トリシャは完全には理解できていない。
空中に魔方陣を描くというのは、魔法を扱う時に彼女の手の平に現れていた魔方陣の事を指すのだろう。しかし、マナを使って描くという事が、トリシャには理解する事が難しいものだ。
「マナって何ですか?」
「マナも分からないのか?」
先ほどから何度か耳にしたマナという言葉だが、そんなに驚かれても知らないものは知らないとしか言えない。
「魔法を扱うために必要な力とだけ言っておくか。さっき魔法を使った時に感じたって言っていたじゃないか」
つまり、マナというものを使って魔方陣を描き、魔法を発動するというプロセスになるのだろう。
トリシャはようやく流れを理解することが出来たである。
「何となくわかりました。ではどうしたら魔方陣を描けますか?」
「何となくでも分かったのならいい。マナを手の平に集めてこうするんだ」
ルミエーラは徐に手を前にかざすと、緑色の光で出来た魔方陣が手の平付近に描かれる。それが描き終わると同時に、前方に空気の塊が押し出される。
空気の塊が目に見えたわけではないが、そう見えたと錯覚するほどの風圧を肌で感じ取ることが出来た。
「今の魔法が使えることが出来たら今日の所は上出来だな」
呆気に取られるトリシャを前に、ルミエーラは平然と進行する。突拍子も無く魔法を使われたら驚かないわけがない。
「魔方陣を描くとこからやってみようか」
彼女の声に我に返ったトリシャは早速、魔方陣を描くところからやってみる事にした。しかし、ルミエーラみたいに上手くいくはずも無く、そもそもマナの概念が理解出来ていないトリシャがいきなり魔法を使える方がおかしな話だといえる。
「どうやったら魔方陣描ける様になるんですか?」
諦めにも似た表情でルミエーラに泣きつく。最初の頃の期待に満ちた表情はほとんど見られない。
「無理やり魔法を使った時の感覚を思い出してみろ。その時の感覚を再現したら出来るはずだ」
ルミエーラの説明はなんとも雑な言い回しで、それが出来れば苦労は無いと、トリシャは思うのであった。
トリシャは不満に思いながらも目を瞑って、先ほど感じ取れたマナを思い出してみる。全身の力が流れる様に手に集まる感覚を、その後、手の平に熱を感じると、魔方陣が空中に描かれたと同時に魔法が発動していた。
あの時感じた感覚を一つ一つ振り返っていく。トリシャの集中力は増していく。
「不完全だが、出来たじゃないか」
ルミエーラの言葉に目を開けると、前方にかざした手の平付近に、途中まで描けた魔方陣が見える。彼女が言ったように不完全な状態で、まだ途中までしか描けていない。
「その調子で残りを描いてみろ。」
トリシャは再び目を瞑ると、魔方陣を完成させるために集中し始める。細部まで忠実に再現しないと、魔法が発動しない気がしたトリシャは、時間をかけて一歩ずつ完成へと近づける。
「よし、魔方陣は描けたみたいだな。次は魔法を前に打ち出してみろ」
ルミエーラの指示に、トリシャは目を開けて前方に狙いを定める。すると、前方に空気が集まる感覚がした。トリシャは思い切って魔法を使ってみようとする。
次の瞬間、トリシャは後方へバランスを崩す。後ろへ2歩下がると同時に重心が揺らぎ、尻もちをついてしまう。腰に衝撃を受けると同時に痛みが伴う。
「いてて……」
「大丈夫か?」
トリシャの元にルミエーラが近寄ると、手を差し伸べる。その手を取ると、トリシャは彼女の助力で起き上がる。
「あ、ありがとう」
「初めてにしては上出来だ。後は慣れるまで練習だな」
控えめにお礼を言うトリシャは魔法が成功したのか失敗したのか確認できなかった。彼女の言葉を聞けば成功と言えるのかもしれないが、次は尻もちをつかない様に魔法を使おうと意気込むのであった。
しばらく、風魔法エアショットを練習してみたが、さほど上達しなかった。魔方陣を描く速度は短くなってはいたが、一瞬で出来てしまうルミエーラと違い、1分以上かかってしまっていた。
前方に打ち出す風も、10メートルそこらが限界で、彼女みたいに風圧を起こせなかった。
「私と比べること自体がおこがましい。初心者にしては上出来だよ」
と、ルミエーラは言うが、彼女ほどとはいかなくとも、それなりに実用性がある水準まで精度を上げたいとトリシャは思う。
「魔法なんて感覚が全てだ。式や陣も多少変化させたところで魔法は使える。自分の使いやすい方法を探してみるといい」
「変化って例えば?」
「魔法式を【風よ、対象を打ち抜け】といったが正しくは【我は風を打ち放つ】とかだったかな」
全く違う文章にトリシャは驚いた。これほど文章が変わっても同じ魔法を使えることが不思議に思えてならない。
「なんにせよイメージは大事なもので、トリシャはこの魔法に付いてどう思う?」
「ショットってつくから空気とか風を打ち出すイメージかな」
正解がエアショットだろうがウィンドショットだろうが空気の塊を打ち出すイメージに変わりはない。
「なら、その打ち出すイメージを形にしたらいいんだよ」
ルミエーラの言われた通りイメージを持つのなら、片手を前方にかざす仕草ではなく、ある仕草が思いつく。
「なんだそれ?」
トリシャの仕草にルミエーラが疑問を抱く。親指と人差し指をまっすぐ伸ばすと、それ以外の指を折りたたむ。右と左の指を絡め両手で銃を構える様子を表現すると、肘を曲げて銃弾を打った時の反動を表す仕草をする。
「え、銃をイメージしてみたのだけど変ですか?」
「いや、トリシャがそのイメージでいいのならいんじゃない」
そのような淡白な反応をされると、かえって恥ずかしくなるのだが、こういうイメージを持ってしまったのだからしかたがない。
トリシャは気を取り直して新しい仕草で魔法を使ってみる事にした。
指先に魔方陣を作り両手で狙いを定めると、魔方陣ごと打ち抜くようなイメージで前方に空気の塊を打ち出す。今までよりも大きな風圧が生まれると同時に、風が遠くまで届いているのを感じる。
ルミエーラと比べると、まだまだ劣るわけだが、今までで一番彼女の魔法に近づいた風圧を纏っていた。
「ほぅ、やるじゃないか。初めてとは思えんほどの上達ぶりだな。もう少し陣の描く速度を上げれば使いこなせたと言えるんじゃないか」
「これで魔法覚えたって言えるよね?」
トリシャはルミエーラからお墨付きをもらおうと確認を取る。魔法を覚えたという事実を認めてもらいたかったのだ。まるで芸を覚えた犬の様に褒めてと言わんばかりの表情で訴えかける。
「ああ、この魔法は覚えたって言っても良いんじゃないか」
「やったー」
1つの魔法を覚える事ができたトリシャは喜びを露わにする。
「まだ序の口だぞ。これからもこの調子で文字の勉強ともども頑張りたまえ」
文字の勉強という現実を突きつけられてトリシャは興をそがれた。なんにせよ魔法を習得できた事は、直接関係のある文字の勉強のやる気にも繋がる。
トリシャはこれからも魔法を教えてもらうために文字の勉強を頑張ろうと思うのであった。
「ルミエ、そろそろ時間です」
今まで森の入り口付近にいたアイリスが、いつの間にか近くに来ていた。
「もうそんな時間か。きりが良いし今日はここまでにしてアリアを迎えに行くか」
もっと練習していたい気持ちもあったが、アリアを1人で待たせても悪いと思い、今日の練習は止める事にした。
「ねぇねぇ、魔法1つだけだけど覚えることが出来たよ」
「はい、遠くからでしたが見ていましたよ。これからのトリシャの成長が楽しみです」
嬉しい事が起きると誰かに話したくなるもので、トリシャは早速アイリスに報告する。彼女はそんなトリシャの様子を傍から見ていたようで、子供の様に喜ぶトリシャを微笑ましく見ていた。
「おーい、早く乗り込めよ」
ルミエーラはどこからともなく飛行艇を取り出すと、楽しそうにお喋りをする2人を呼ぶ。トリシャとアイリスが急いで乗り込むと、飛行艇は高度を上げてアリアを迎えに行くために飛び立つのだった。




