委員長:記号としての名前
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委員長の中学時代の話。
目の前で女子マネージャー二人が泣いている。
中学三年になり、中等部剣道部の部長を任されるに至り深刻な問題が発生していた。
女子部員の名前が覚えられない。
頭に叩き込むためフルネームで呼びかけるように努力をしているのだが、ただでさえ見分けが付かないのに、いったん覚えた者が髪を切ったりしてきたらまた面倒だった。再度覚えなおさないといけない。
部員などは垂に苗字を刺繍しているのでそれを視認して何とか誤魔化していたが、女子マネージャーともなるとそう簡単にはいかなかった。
学園のジャージには胸に小さく名前が入っているので胸元を見れば名前が分かる。けれど剣道部で統一のジャージには名前が入っていない。
そのため顔を見て判断しないといけないのだが、これが案外難しかった。
女子マネージャー二人はどちらも同じような髪型で同じような背丈だった。
何度も間違えても彼女たちは苦笑して「違いますよ」と訂正してきていたのだが、とうとう溜まっていた鬱憤がはちきれてしまったらしい。
「なんで覚えてくれないんですか」
「そんなに私たちに関心がないんですか」
しくしくと泣く声の合間に不満が混じる。
部のために献身的に世話をしてきたという誇りを傷つけたことだけは分かった。
「すまない。俺が至らないばかりに」
謝罪もしたが、「そういうことじゃないんです!」と二人して声を合わせて抗議をされた。どう謝ればいいのか分からない、と頭を悩ませていると副部長の太田が助け舟を出してくれた。
「はいはい。そこまで。部長も謝ってるし、勘弁してやってよ。こいつの物覚えの悪さはマネージャーたちも知ってるだろ。俺がよーく言い聞かせておくから、今日のところはこれでおしまい」
副部長の太田とは小学校からの縁だ。通う学校は違ったが、剣道の道場で行き合って仲が良くなった。 太田の言にマネージャー二人が引き下がる。まだ多少の恨めしさが残っている瞳だった。
二人分の視線から開放されて小さく息を吐く。
ああいう視線は試合相手の目とはまた違った威圧感があって苦手だと感じた。
「ったく、お前のそれはある種病気だな。今度は間違えるなよ。俺の胃に穴が開く」
太田がぽんと肩を叩く。
つんと上に立つ短い髪に細い目はいつも笑っているように見える。この容姿と穏やかな雰囲気のため、太田は人に警戒されにくい。
対して自分は表情が表に出にくく、堅い印象を与えがちだというのは幼い頃からの経験で理解していた。
一度真剣にもう少し自分は笑ったほうがいいのだろうかと相談したことがある。
「やめとけ。お前が笑うと女子部員の士気が下がる」
こちらも真剣な顔をしてそう返されたので、無理して笑うことはしないことにした。「そんなに俺の顔は恐いだろうか」と問えば、「あぁ、抜群の破壊力があるからな。最終手段として取っておけ」とかみ殺した笑いが返された。
「どうせあの子たちの気持ちなんて理解してないんだろ。お前にできることは名前を間違えないこと。それだけ覚えとけ」
こういったことはこれまでも何度かあった。その度にフォローしてくれるのが太田だ。太田のおかげで対人関係がこじれずにすんだことは片手で数えるよりは多い数だった。
「お前の剣道は型どおりだな」
出会った当初に言われた言葉だ。少しだけ嘲るように言われたことに、型どおりにすることの何が悪いのか分からなくて首を捻った覚えがある。
仲が良くなり、互いの家に行き来するようになってからはこうも言われた。
「お前が堅物な理由が分かった気がするわ」
太田の言によると、岩田家は昔ながらの家で厳格な父親に静かな母親、何年経っても変わらないんだろうなということだった。
そう言われてみると父親は昔から同じような服装であったし、母親も記憶にある限り長い黒髪を結った姿のまま年を重ねているように思った。将来的にもそのスタイルが変わることはないのだろうな、と漠然とながらも想像ができる。
指摘されて初めて、変化に乏しい家だったのだと実感がわいた。
「変わらないことが普通の生活をしてきたから、他人の変化が分かりづらいんだろうな」
太田は笑いながら持参してきたゲーム機を開いた。岩田家では絶対に買ってはくれない代物だ。親に隠れてそれをするのは楽しく感じた。
ゲームだけでなく、漫画なども太田は持参してきて見せてくれることがあった。
「もうちょい笑えよ。それギャグ漫画だからな」
「これでも笑ってるつもりだ」
太田がもたらす小さな変化は充分に自分の頭をやわらかくさせたと思ったが、それでも「まだまだカチカチだって」と太田は言うのだった。
「型どおりのお前が型を抜け出したらどうなるんだろうな」
そんな自分は想像がつかなかった。
他人は真面目だと言ってくるが、型どおりであるほうが簡単なのだ。その型の外れにあるほうが難しい。
自分の中でそれと判断して型を取ったと思った相手が型を破ってくるのは苦手だ。
特に女子は変化球が多くて困ることが多い。
「相手に興味がわけば自然に覚えられるだろ」
そうしたら相手の髪型が変わったくらいじゃ間違えたりしない、と太田は言う。
女子が泣いたり怒ったりするのは苦手だが、間違えたら泣いて怒ってほしいと思えるような相手といずれ出会うこともあるのだろうか。
そんな日は来ないと思うと言うと、「いやいや、人の出会いってのは分かんないもんだからな」と太田が竹刀を投げてきた。
「あの子たちにはお前との縁がなかったんだ。だから覚えられないし間違える。ま、気長にいこうや。素振りして帰ろうぜ」
自分よりは余程確信があるように、元々細い目を更に細めて太田が笑う。
振りかぶる竹刀がシュンシュンと風を切る。中等部の中でも太田とは一、二を争ってきた仲だ。
今は女子の顔の判別よりも剣の腕を上げるほうが楽しく思える。そんな自分には顔を覚えたいと思えるような出会いはまだまだ遠いなと感じて、太田の横に並んで竹刀を振るった。
後日、女子マネージャーの一人が髪をばっさりと切ってきて名前を呼んだら、「違います!」と盛大に泣かれてしまった。
「お前……本当に重症だわ」
それを見ていた太田がやれやれと首を振る。
やはり出会いはそうとう遠い話になりそうだ、と目の前で涙する女子を見て沈黙した。
かける言葉が分からなかった。




