蝶子:吹雪に関するアレコレ
お気に入り件数5500件突破記念。その2。
今回はリクエストがあった吹雪の彼女の話。
[吹雪に関するアレコレ]
「蝶子、ちょっとおいで」
自分の膝を指して片手に耳かき棒、片手にティッシュを持った許婚が呼んでくる。
眼帯ウサ吉のキャラクター商品が部屋中に陳列する中、その人こそが部屋の主であるかのように違和感なく収まっているが、美しい容姿と反して性別は男性なのだと、彼のことを知らない者に尋ねたら何人が正解を言い当てられるだろうか。
「すいません。忙しいので後にしてもらえませんか?」
自宅に持ち帰った生徒会の報告書の作成に追われているのに、そんな戯れをする時間はない。提出期限はすぐそこに迫っているのだ。
薄い銀フレームの眼鏡の位置を調整する。細かい数字でびっしりと埋められたデータファイルは目に痛い。最近は長時間のパソコン作業用に本気で眼鏡を仕立て直そうかと考えている。
生徒会長である彼を補佐するのが生徒会副会長である自分(中山 蝶子)の役目。だというのに、肝心の生徒会長は仕事を放り出して休憩しろと言う。
お祭りごとが大好物で企画はどんどん出してくるくせに、こういった細かい事務処理を厭うのが彼の悪い癖だ。
「駄目ですよ。まだ目処もたっていないのに」
「眉間に皺が寄ってる。いいからおいで」
言い切らないうちに手を引かれて膝の上にダイブさせられる。女性らしい柔らかさというよりも、しなやかな筋肉の質感の膝はけれど自分に馴染んだ固さで、頭に受ける衝撃を吸収した。
「少しは休憩も必要よ」
両手で頬を包まれて覗き込まれる。甘やかな香り。まつ毛は長く綺麗にとかされ、毎日丁寧にブラッシングされた髪は自分と比べても断然彼のほうが艶やかに光を放っている。
美しい人。
これが自分の許婚。
初めから彼は美しかった。表面をいくらいじったところで変わりはしない。男のなりをしていようが女のなりをしていようが、変わらず彼は美しい。
※ ※ ※
家同士の関係で決められた許婚とはいえ、彼との出会いは自分にとっては僥倖だった。大人しく控えめで、親の言う通りに生きていれば良いという教えの元で育った自分に彼は光を投じてくれた。
中学にあがる頃、初めての顔合わせということで自分は帯をぎゅうぎゅうに締めた着物姿で、彼はその体格に合わせて仕立てられたスーツを身に纏っていた。
立ち姿は良家の息子らしく、背を張った姿に仕立てられたスーツはとてもよく似合っていた。
それ以上に惹かれたのは彼の目。自信にあふれていて、堂々としていて、なによりも自分というものを持っている人だと直感で感じた。
傍にいたいと初めて思えた人。
それが西園寺 吹雪だった。
「嫌なら断ればいいよ」
初めて出会ったとき、双方の両親に隠れて耳打ちされた言葉だ。
「嫌なら俺のわがままってことで断ってもいい。自分で決めるんだ」
嫌もなにも、そんなこと自分が決めて良いものではないという思いはあった。けれどそれ以上に断ることを「嫌だ」と感じた。誰かに対してそう感じたのは初めてのことだった。
「いいえ」
考えるよりも先に声が出た。
「いいえ、そばに……そばにいさせてください」
熱にうかされたように伸ばした指は、少しだけ自分よりも大きな手に包まれた。ただ手を握り返してもらったというだけのことに心は舞い上がった。天にも昇る気持ちというのはこのことか。
あのときの自分の言葉を彼はよく冗談めかして「なかなかに熱烈なプロポーズだったよ」と言ってくる。
そう聞えたのならそれでいい。
そばにあることを許し続けてくれるなら、それで構わない。
年月を経ようが、彼は彼であった。
けれど自信に溢れ、未来への希望に瞳を輝かせていた彼が挫折を知らないままでいたかというとそれは違った。
中学に入ってから出会った桂木 恭平。彼は大いに吹雪の鼻っ柱を折ってくれた。
試験では常にトップで在り続けた吹雪のさらに上を彼は歩んでいた。
何度挑戦しても勝てない相手に吹雪は一時期ライバル意識を燃やしていたようだが、やがて諦めた。
「優秀な人間ならば、こちらの手の内に入れればいいんだ。どうせ天才も二十歳を超えればただの人。才能をどう使うかが問題なんだよ」
そんなことを言って恭平を生徒会に勧誘していたが、要はただ友達になりたいのだとその目が物語っていた。それも普通の友達ではなく親友に。
何が興に入ったのか、吹雪はなにかとあると恭平にちょっかいをかけに行った。生徒会メンバー同士を下の名前で呼ばせていたのも、恭平と仲良くなりたかったがためだ。
勝てない相手をいつまでもライバル視せず受け入れる心内の広さは歓迎すべきものだが、恭平を相手にするのはどうかと感じていたのも事実。
彼のことは少し苦手だった。
人当たりは良いようだが、誰のことも信頼していないのだろうことが見ていて分かる。吹雪の気にする相手だからこそ余計にそれは目立って見えた。
吹雪とはタイプが違う。彼はみんなを信頼して受け入れる。相手がどんな人物であろうが、人を嫌悪するということをしないのが吹雪だった。
そんな吹雪と恭平とでは相容れるはずがないと思っていたが、意外と恭平は吹雪のそばにいることを苦痛には感じていないように思えた。それも「他と比べれば」という注釈が付くが。
近づいていく二人を見て嫉妬を芽生えさせる自分はかなり器が小さかったと今では思う。
「少し……嫉妬してしまいます」
それとなく口に出した自分の醜い嫉妬を彼は受け止めてくれた。恭平ばかりに目をかける彼に、自分のことも見てほしいとそう願った自分に落とされた初めての口付けは甘く、そして少しだけ苦かった。
「ごめんね。でも恭平くんのことが心配なんだ。彼には俺と蝶子みたいに心を許しあえる相手がいないから。自分をごまかして息を殺して生きているみたいで、見ていて痛いんだ」
額を擦り合わせるぬくもりは確かな想いを伝えてくれる。
「でも……自分をごまかしているのはあなたもでしょう?」
何かを心の中に秘めていることくらい知っていた。心を許しあえる相手であるとはいっても、踏み込んでいけない部分だってある。
けれど黙っていたそれを口に乗せたのは、やはり恭平に対する嫉妬心からくるものだった。
吹雪は少しだけ目を見開いて、それから可笑しそうに笑った。
「ふふっ、それと似たようなことを少し前に言われたよ」
まるで知られたことで逆に安心したとでも言うようだった。
「ねえ蝶子……俺が何をしても、何者になっても俺を好きでいてくれる?」
安堵の表情はすぐに不安に変わり、長い溜め息と共に出された声は震えていた。
「それとも今までどおりのほうがいい?」
自分とのことで彼の瞳が不安に揺れることは初めてのことだった。
ああ、なんて幸福なことだろうか。自分の好意のあるなし一つで吹雪の瞳が揺れる。
「いいえ」
でも意地の悪いことは言わない。哀しい顔は見たくない。
「いいえ、あなたが何をしようと、何者となろうと……」
自分から触れた口付けは甘さをより濃密に感じた。
「あなたが好きです」
「熱烈だね」
触れられる頬が熱を持つ。
そばにあることを許し続けてくれるなら、それで構わない。
それが変わらない自分の中の真実……ではあったが、
「これはまた……随分と思い切ったことを」
「似合わない?」
自分の評価を待つ人は、女子の制服を着て不安げに瞳を揺らしている。
「いいえ」
何と答えるべきか。その姿は捨てられそうな子供のようで、少しだけ意地の悪いことを言ってみたくなる。
でもどうしたって哀しい顔は見たくないのだ。
「いいえ、とてもよくお似合いです」
どうせ見るならば、笑った顔が良い。
そのときの吹雪の笑った顔は、とても美しかった。
※ ※ ※
吹雪が愛おしそうに髪に触れる。その手つきだけで自分の器が満たされていくのを感じる。
彼の目は変わらない。
はっきりと自分というものを持っている濁りのない自信のある人間のする目だ。
吹雪がこのような姿になった頃からか、恭平の間の溝は少し浅くなったようだ。この奇抜な姿に自分を偽るのがバカらしくなったのかもしれない。
そもそも、一を見て十を考えるこの人の前で自分を偽ろうとするのが愚かなのだ。
(私は目が合った瞬間に空っぽの自分を見抜かれた)
彼と出会う前までは、自分は中身のないお人形だった。
(「自分で決めるんだ」と言われた瞬間に私は生まれた……)
「何を考えているの?」
頬に手を添えられて覗き込まれる。自分に向けられない意識にムッとしているようだ。それが少しおかしくて目を細める。
「あなたのことを」
頬に触れる手に自分の手を重ねる。それだけで吹雪は動揺する。そ知らぬ顔でそうするのが密かな自分の楽しみだ。泰然と構える彼が揺れるのは自分に関してのみだから。今では誰に対しても嫉妬の心は浮かんでこない。
「蝶子って……淡白に見えて結構熱烈よね」
「あなたにだけです」
そう答えると額に鼻先に、唇に口付けが降り落とされる。
チュッチュと音を立てる軽いものから次第に深いものへ。深まる口付けに呼吸をあえぐ。
「耳かき…するんじゃなかったんですか?」
「あとで」
口内に侵入してくる熱も彼だからこそ一層熱く感じるのだろうか。他を知らないのでどうとも言えないが、他を知る気にもなれなかった。
「仕事が、まだ」
「あとで」
重なる肌は熱を帯びていく。
この調子なら仕事の再開はしばらくお預けになるだろう。
捕らわれる腕の中、伸ばした指先でマウスを操作して「保存」ボタンをクリックした。
二人の関係は大人テイスト・・・。




