第六話 死ぬ予定だった人間
第六話 死ぬ予定だった人間
午前十時。
山下医院の待合室には、六人の患者がいた。
老人が一人。
若い女性が一人。
会社員が一人。
学生が一人。
作業員が一人。
そして――昨日、山下によって一度「返命」された男。
六人に共通していることは、一つ。
全員が、
一度、死んでいる。
「院長」
とこがカルテを机の上に並べた。
「確認しました」
「何を?」
「六人全員、死亡記録があります」
「……やっぱりね」
山下はカルテを一枚手に取った。
死亡時刻。
死亡場所。
死因。
どれもバラバラ。
交通事故。
心筋梗塞。
転落事故。
急性疾患。
溺水。
そして、昨日の男。
心停止。
「なのに、全員生きてる」
「はい」
「医学って素晴らしいわねぇ」
「医学だけでは説明できません」
「そうね」
山下はカルテを閉じた。
「で、何が一番おかしいの?」
とこが一枚の紙を差し出す。
「これです」
「……死亡予定日?」
「はい」
山下は眉をひそめる。
六人分のカルテ。
そこには全員、
死亡予定日――本日
と記されていた。
「誰が書いたの?」
「分かりません」
「電子カルテ?」
「違います」
「紙?」
「はい」
「筆跡は?」
「六人とも同じです」
山下は紙を見つめた。
「……趣味の悪い奴ね」
「院長」
「何?」
「もう一つあります」
「まだあるの?」
「六人全員、ここへ来る前に同じ夢を見ています」
山下の手が止まった。
「……また、それ?」
「はい」
夢の中に、病院がある。
誰もいない廊下。
白い服の女。
そして――
『死んだら、うちに来なさい』
昨日から何度も聞く言葉。
山下自身も聞いた。
それも、
自分の声ではない声で。
「……気味が悪いわね」
山下が呟いた。
その時だった。
「医院長!」
バァン!
診察室の扉が開いた。
「うるさい!」
「申し訳ありません!」
ミジンコが直立する。
「緊急事態です!」
「何よ」
「私のプリンがありません!」
「帰りなさい」
「医院長!?」
「患者の命よりプリンが大事な男は、医療現場に必要ないわ」
「違います!」
「何が違うのよ」
「患者の命もプリンも大事なのです!」
「もっとダメじゃない!」
ミジンコは冷蔵庫を指差した。
「昨日、限定プリンを三個購入したのです」
「三個も?」
「一つは昨日食べました」
「二つは?」
「今日の朝と昼に食べる予定でした」
「知らないわよ!」
ミジンコが周囲を見る。
「……とこ姐さん」
「何ですか」
「食べました?」
「食べてません」
「本当ですか?」
「はい」
「では――」
ミジンコの視線が動く。
アルちゃん。
その手には、
空になったプリンの容器。
「……アルちゃんさん」
「はい〜?」
「それは……」
「あら」
アルちゃんが容器を見る。
「これですかぁ?」
「私のプリンです」
「そうだったんですねぇ」
「はい」
「ごめんなさい〜」
ミジンコは深々と頭を下げた。
「いえ、アルちゃんさんなら大丈夫です」
とこがミジンコを見る。
「ミジンコさん」
「はい」
「私なら?」
「……」
「私なら、どうするんですか?」
「……」
ミジンコの額に汗が浮かんだ。
「ミーくん」
「……はい?」
「いくよ」
「…………」
ミジンコが固まる。
「いや、とこ姐さん。今のはですね――」
「いくよ」
とこがミジンコの襟首を掴んだ。
「えっ」
ズルッ。
「ちょ、待ってください」
ズルズルズルズル。
「とこ姐さん?」
ズルズルズルズル。
「医院長!」
山下はカルテから目を離さない。
「……ご愁傷様」
「医院長!?」
ズルズルズルズル。
「私はまだ何も――」
「大丈夫です」
「何がですか!?」
「すぐ終わります」
「その言い方は怖いです!」
バタン。
奥の部屋の扉が閉まった。
静寂。
アルちゃんが首を傾げる。
「何をするんでしょうねぇ」
「さあ?」
山下はカルテをめくる。
しばらくして。
奥の部屋から、
ガタン。
ドン。
「申し訳ございませんでしたぁぁぁ!」
声が響いた。
山下は何事もなかったようにカルテを見る。
「……死亡予定日、ねぇ」
「はい」
とこも何事もなかったように戻ってきた。
椅子に座る。
「では、続けます」
「お願い」
さらに数分後。
ガチャ。
扉が開いた。
ミジンコが戻ってきた。
「……ただいま戻りました」
髪は乱れている。
眼鏡は少し曲がっている。
背筋だけは異様なほど伸びている。
「おかえり、ミジンコちゃん」
「はい、医院長」
山下はミジンコを見る。
「……大丈夫?」
「はい」
「何かあった?」
「何もありませんでした」
「そう」
山下はそれ以上聞かなかった。
とこも何も言わない。
ただカルテをめくる。
「では、六人の死亡記録についてですが――」
「はい」
ミジンコも席に着いた。
背筋を伸ばしたまま、
一言も余計なことを言わない。
アルちゃんだけがミジンコを見ている。
「ミジンコさん」
「はい、アルちゃんさん」
「ちょっと疲れてませんかぁ?」
「大丈夫です」
「そうですかぁ」
「はい」
その笑顔は、
どこか引きつっていた。
誰も、
奥の部屋で何があったのか聞かなかった。
聞いてはいけない。
そのことだけは、
全員が理解していた。
山下はカルテを閉じる。
「ミジンコちゃん」
「はい」
「調べてほしいことがあるの」
「何でしょう」
「この六人の死亡記録」
「はい」
「誰が作ったのか調べられる?」
「お任せください」
「あと、もう一つ」
「何でしょう」
「この病院に、過去にも同じような患者が来てないか」
「……」
ミジンコの表情が変わった。
「少々お待ちください」
ミジンコはノートパソコンを開く。
数分。
検索。
資料。
古い記録。
そして――
「医院長」
「見つかった?」
「はい」
ミジンコは画面を見せた。
「十八年前です」
「……十八年前?」
「同じ病院名」
「山下医院?」
「はい」
山下の表情が変わった。
「アタシがここを継ぐ前じゃない」
「そのようです」
「誰が経営してたの?」
「記録がありません」
「そんなことある?」
「普通はありません」
「よねぇ」
山下は画面を見る。
そこには、
十八年前に記録された患者が三人。
死亡。
その後、
死亡記録抹消。
そして――
行方不明。
「……この三人」
「はい」
「何者?」
「分かりません」
ミジンコが画面をスクロールする。
すると、
一枚の古い画像が出てきた。
ぼやけた写真。
病院の玄関。
その前に、
一人の女性が立っている。
「……この人」
山下が呟く。
「夢に出てきた女です」
とこが画面を見る。
「院長」
「何?」
「顔、見えるんですか?」
「……見えない」
「写真なのに?」
「ええ」
山下は画面を拡大する。
女性の顔だけが、
まるで何かに塗り潰されたように黒くなっている。
「ミジンコちゃん」
「はい」
「この写真、どこから?」
「政府の古い記録です」
「……政府?」
「はい」
ミジンコは画面を閉じた。
「これ以上は、私の権限では――」
その瞬間。
電話が鳴った。
プルルルル。
全員が黙る。
山下が受話器を取った。
「山下医院」
『……』
「誰?」
『患者を返すのは、やめてください』
昨日と同じ声。
山下の目が鋭くなる。
「またアンタ?」
『死ぬべき人間は、死なせてください』
「嫌よ」
『なぜ?』
「医者だから」
『……』
「アタシの患者が死ぬっていうなら――」
山下の声が低くなる。
「アタシが最後まで診る」
電話の向こうで、
小さく笑った。
『では、次の患者を送ります』
電話が切れる。
直後。
玄関のチャイムが鳴った。
ピンポーン。
「……早いわね」
山下が立ち上がる。
「誰か見てきて」
「私が行きます」
ミジンコが玄関へ向かう。
数秒後。
「医院長!」
「何?」
「患者です!」
「救急?」
「いえ!」
ミジンコの声が響く。
「一人で歩いてきました!」
山下が玄関へ向かう。
そこにいたのは、
一人の少女だった。
裸足。
薄い服。
雨に濡れている。
そして、
胸元に血が滲んでいる。
「ちょっと!」
山下が駆け寄る。
「大丈夫?」
少女は顔を上げた。
「……先生」
「何?」
「私……」
少女は山下を見つめる。
「昨日、死にました」
山下の目が細くなる。
「名前は?」
「……分かりません」
「家は?」
「分かりません」
「じゃあ、どうしてここに来たの?」
少女は、
山下の白衣を指差した。
「夢の中の女の人が……」
「何て言ったの?」
「ここに行けば、先生が助けてくれるって」
山下は少女を見る。
その瞬間。
胸の奥に、
奇妙な感覚が走った。
知っている。
この感覚を。
死んだ人間に触れたときだけ感じる、
あの冷たさ。
けれど、
この少女にはそれがない。
「……おかしい」
山下が呟く。
「何がですか?」
とこが聞く。
「この子――」
山下は少女の胸に手を当てる。
「生きてる」
「はい」
「でも……」
山下は眉をひそめる。
「一度、死んでる」
ミジンコが少女を見る。
そして、
珍しく真顔になった。
「医院長」
「何?」
「この子には――」
ミジンコが言葉を止める。
「死相がありません」
「……」
「それどころか」
ミジンコは少女の足元を見る。
少女の足元から伸びた影。
その影だけが、
人間のものとは思えないほど濃かった。
「……何これ」
とこが呟く。
少女が、
山下の白衣を握る。
「先生」
「何?」
「私……」
少女の声が震える。
「また死ぬんですか?」
山下は少女を見る。
少しだけ黙った。
そして、
しゃがみ込む。
少女と目線を合わせる。
「知らないわよ」
「……」
「そんなこと、医者が決めることじゃないもの」
少女の目に涙が浮かぶ。
山下は優しく頭に手を置いた。
「でもね」
「……はい」
「死なせない努力をするのは、アタシの仕事よ」
少女が泣き出した。
山下は立ち上がる。
「とこちゃん」
「はい」
「ベッド空けて」
「分かりました」
「ミジンコちゃん」
「はい、医院長」
「この子の身元を調べて」
「承知しました」
「シオリ」
「はい」
「玄関をお願い」
「分かりました」
「アルちゃん」
「はい〜?」
「この子、お腹空いてると思う」
「分かりましたぁ」
アルちゃんは少女の手を取る。
「何か食べたいものありますかぁ?」
「……プリン」
ミジンコが反応した。
「!」
とこがミジンコを見る。
「……」
「……」
「ミーくん」
「はい」
「いくよ」
「申し訳ありませんでした」
「まだ何も言ってません」
「……はい」
山下は笑いそうになる。
しかし、
少女の足元に落ちた影を見て、
すぐに表情を戻した。
この子は何なのか。
なぜ一度死んだのか。
なぜ山下医院へ来たのか。
そして――
あの女は何者なのか。
まだ、
何一つ分からない。
ただ一つだけ確かなことがある。
この日。
山下医院には、
七人目の「死者」がやってきた。
そして山下は、
まだ知らない。
この少女との出会いが、
自分自身の「死」にまつわる異能の秘密へと、
少しずつ繋がっていくことを。
少女が診察室へ入っていく。
その背中を見ながら、
山下は小さく呟いた。
「……死んだら、うちに来なさい」
その言葉を聞いた瞬間。
廊下の奥で、
誰かが――
微笑んだ。
第六話 完




