第五話 死に損ないは、病院へ集まる
第五話 死に損ないは、病院へ集まる
「院長」
朝。
とこがカルテの束を抱えて、診察室に入ってきた。
「何よ」
山下は机に突っ伏している。
「起きてください」
「あと五分」
「もう昼です」
「じゃあ三時間くらい寝たわね」
「三十分です」
「ケチねぇ」
「何がですか」
とこはカルテを机に置いた。
「患者が来ています」
「何人?」
「六人」
山下が顔を上げた。
「六人?」
「はい」
「予約は?」
「ありません」
「紹介状は?」
「ありません」
「全員、どこから来たの?」
とこは一枚目のカルテを見る。
「救急搬送」
「二人目」
「警察経由」
「三人目」
「自分で歩いてきました」
「四人目」
「家族が連れてきました」
「五人目」
「……玄関前で倒れていました」
「六人目は?」
とこが黙る。
「どうしたの?」
「それが……」
「何よ」
「昨日まで死んでいたそうです」
山下の顔から眠気が消えた。
「……何?」
「本人がそう言っています」
「本人?」
「はい」
「生きてるの?」
「生きてます」
「じゃあ死んでないじゃない」
「本人曰く」
とこはカルテを見る。
「『一度死んで、ここに来た』そうです」
山下は椅子から立ち上がった。
「……連れてきなさい」
「はい」
その時。
診察室の扉が開いた。
「医院長!」
ミジンコが飛び込んでくる。
「うるさいわね!」
「重大事件です!」
「何?」
「プリンがありません!」
「知らないわよ!」
「私の冷蔵庫に入れておいた限定プリンです!」
「知らないって!」
「とこ姐さん!」
「私ではありません」
「では犯人は――」
ミジンコが室内を見回す。
アルちゃんが隅でモグモグしている。
ミジンコと目が合う。
「……」
「……」
アルちゃんが笑う。
「おいしいですよぉ」
「アルちゃん」
山下が呆れる。
「それ、ミジンコちゃんのじゃない?」
「そうなんですかぁ?」
「そうです!」
ミジンコが膝から崩れ落ちた。
「私の……昨日楽しみにしていたプリンが……」
「また買えばいいじゃないですか」
とこが冷たく言う。
「限定なんです!」
「知らないです」
「私の人生の楽しみが!」
「大袈裟ですね」
「赤は滅ぼしましょう……」
「急に思想に逃げるな!」
山下が頭を抱える。
「朝から何なのよ、この病院……」
アルちゃんが首を傾げる。
「平和ですねぇ」
「どこがよ!」
その時だった。
診察室の奥から、
「先生」
声がした。
全員が振り返る。
ベッドの上。
昨日、死んだはずの男が座っている。
「俺……」
男は自分の胸を押さえた。
「確かに死んだんです」
山下は近づく。
「覚えてる?」
「はい」
「どこで?」
「自宅です」
「時間は?」
「夜の十一時」
「その後は?」
男は少し黙った。
「……暗かった」
「何が見えた?」
「何も」
「何が聞こえた?」
「声がしました」
「誰の?」
男は山下を見る。
「あなたです」
「アタシ?」
「はい」
山下は眉をひそめる。
「何て言ったの?」
男は答えた。
「……『死んだら、うちに来なさい』」
室内が静まり返った。
とこが山下を見る。
ミジンコも笑っていない。
アルちゃんだけが、
「……あらぁ」
と小さく呟いた。
「それ」
山下が男を見る。
「アタシ、言った?」
「分かりません」
「じゃあ、どうしてアタシの声だと思ったの?」
「……顔を見たら、分かりました」
「顔?」
男は頷く。
「死ぬ前に、あなたを見た気がするんです」
山下は黙った。
その瞬間。
男の身体が崩れた。
「先生!」
とこが支える。
モニターが鳴る。
ピ――――。
「心停止!」
「とこちゃん!」
「はい!」
山下が男の胸に手を置く。
「時間!」
「死亡確認!」
「何分!」
「まだ三十秒!」
「なら――」
山下は目を閉じる。
「返すわよ」
ミジンコが小さく呟く。
「……返命」
山下の指先が震える。
男の身体から、
冷たい何かが流れ込んでくる。
「……重い」
山下が歯を食いしばる。
「この人……」
「どうしました?」
とこが聞く。
「死ぬのが、二回目よ」
「……え?」
「一回目は昨日」
山下は男の胸を押す。
「そして今が二回目」
ドクン。
心臓が動く。
「戻った!」
とこが叫ぶ。
男が息を吸い込む。
「――っ!」
山下はその場に膝をついた。
「院長!」
とこが支える。
「大丈夫」
「顔色が悪いです」
「いつものことよ」
ミジンコが近づく。
「医院長」
「何?」
「一つ、気になることがあります」
「何よ」
ミジンコは男を見る。
「この方の死相が――」
「……」
「消えていません」
山下が男を見る。
確かに。
昨日まで見えていたはずの死の気配。
それが、
まだ男の周囲にまとわりついている。
「返命したのに?」
とこが呟く。
山下は答えない。
やがて、
「……そういうことね」
と呟いた。
「何がです?」
「アタシの能力」
山下は自分の手を見る。
「死そのものを消してるんじゃない」
「……」
「死んだっていう事実を、一時的にひっくり返してるだけ」
とこが息を呑む。
「じゃあ……」
「死ぬ運命まで変えられるとは限らない」
ミジンコが頷く。
「つまり」
「そう」
山下は男を見る。
「この人はまだ、死ぬ可能性がある」
その瞬間。
病院の電話が鳴った。
プルルルル。
誰も動かない。
二回。
三回。
山下が受話器を取る。
「山下医院」
『……』
「誰?」
『先生』
男の声だった。
『患者を返すのは、やめてください』
山下の目が鋭くなる。
「誰よ」
『死ぬべき人間は、死なせてください』
「断る」
『……そうですか』
「アンタ、何者?」
電話の向こうで、
小さく笑う声。
『次の患者を送ります』
「……」
『その人も、死ぬはずだった人です』
電話が切れる。
山下は受話器を置いた。
「……とこちゃん」
「はい」
「今日から、患者全員の死亡履歴を調べるわよ」
「分かりました」
「ミジンコちゃん」
「はい」
「情報集めて」
「承知しました、医院長」
「シオリ」
「はい」
「アンタは――」
「先生のそばにいます」
「まだ何も言ってないでしょうが」
「分かります」
山下はため息をつく。
「……勝手にしなさい」
そして、
待合室を見る。
そこには、
「死んだはずの人間」が、
六人。
座っていた。
山下は小さく呟く。
「……死者が、病院に集まってくる」
その隣でアルちゃんが、
「先生」
「何?」
「病院って、死んだ人も来るんですねぇ」
山下は笑う。
「そういう病院よ」
アルちゃんは嬉しそうに頷いた。
「じゃあ、いっぱいご飯作らないとですねぇ」
「……そこなの?」
「患者さん、お腹空きますから」
山下は少しだけ笑った。
「……そうね」
そして、誰にも聞こえない声で呟く。
「死んだら――」
一瞬だけ、
自分でも意味が分からない言葉が口から出た。
「……うちに来なさい」
アルちゃんが、
その言葉を聞いていた。
けれど、
何も言わなかった。
第五話 完




