第三話 患者は選べない
第三話 患者は選べない
「こんばんはぁ」
玄関を開けた女は、そう言った。
山下医院。
午前零時三分。
受付には、とこ。
待合室には、昨日死んで、今日から勝手に居候している男。
奥には、プリンを食べながらカルテを書く山下。
そして――
「……あら」
山下が女を見る。
「随分と物騒な時間に来たわね」
女は笑った。
「先生に会いに来ました」
「予約は?」
「ありません」
「紹介状は?」
「ありません」
「保険証は?」
「ありません」
「じゃあ帰りなさい」
「えっ」
女が固まった。
とこが淡々と言う。
「院長、いつも言ってることと違います」
「何よ」
「『どんな患者でも診る』って」
「言ってないわよ」
「昨日言ってました」
「……言った?」
「言いました」
山下は少し考えた。
「じゃあ診る」
「早いですね」
「気分よ」
「医者としてどうなんですか」
「とこちゃん、最近アタシへの当たり強くない?」
「昔からです」
女が笑った。
「面白い病院ですね」
「よく言われるわ」
山下は椅子を指差す。
「座りなさい」
女が座る。
「名前は?」
「シオリ」
「年齢」
「秘密です」
「職業」
「秘密です」
「住所」
「秘密です」
「全部秘密じゃない」
「先生には、そのほうが面白いかなって」
山下は目を細めた。
「……アンタ」
「はい?」
「アタシのこと知ってる?」
シオリは笑った。
「もちろん」
「どこで?」
「ずっと」
山下の表情から笑みが消えた。
「……そう」
「先生」
「何?」
「私、あなたが大好きです」
とこがペンを止めた。
昨日の患者も振り返る。
山下は眉を上げた。
「突然ね」
「ずっと好きでした」
「そう」
「だから」
シオリは笑顔のまま言った。
「殺したいくらい」
沈黙。
とこが山下を見る。
「院長」
「何よ」
「患者ですか?」
「……患者ね」
「殺人予告ですよ?」
「まあ、そうね」
「帰します?」
「いや」
山下はシオリを見る。
「診察する」
シオリが嬉しそうに笑った。
「やっぱり先生、大好き」
「アタシはアンタ嫌いよ」
「知ってます」
「なんで嬉しそうなのよ」
「先生に嫌われるのも、愛情の一つですから」
「めんどくさい女ねぇ」
「よく言われます」
シオリは胸元を開いた。
そこには、
古い傷跡があった。
一つ。
二つ。
三つ。
山下の目が止まる。
「……この傷」
「気になります?」
「何年前?」
「十年くらい前」
「誰にやられたの?」
「先生」
「……アタシ?」
「はい」
山下は黙った。
「覚えてない?」
「知らないわ」
「でしょうね」
シオリは笑う。
「先生は、覚えてなくてもいいんです」
「何よ、それ」
「私が全部覚えていますから」
その時だった。
待合室から物音がした。
ガタンッ!
昨日の患者が立ち上がっている。
「どうしたの?」
山下が振り返る。
男はシオリを見ていた。
顔面蒼白。
「……お前」
シオリは振り返る。
「久しぶり」
男が後ずさる。
「お前だったのか……」
山下が男を見る。
「知り合い?」
「違う」
シオリが笑う。
「大事な人です」
「違う!」
男が叫んだ。
「こいつが俺を殺した!」
空気が凍った。
山下がシオリを見る。
「……アンタ」
「はい」
「殺したの?」
シオリは首を傾げる。
「さあ?」
「さあって何よ」
「殺したかもしれません」
「……」
「殺してないかもしれません」
山下は頭を抱えた。
「アンタねぇ……」
その時。
男がシオリに飛びかかった。
「殺してやる!」
シオリは避けなかった。
男の手が首に伸びる。
しかし――
ガシッ。
山下が男の腕を掴んだ。
「患者が患者を殺すんじゃないわよ」
「先生、こいつは!」
「関係ない」
山下の声が低くなる。
「ここは病院よ」
男が叫ぶ。
「こいつは俺を殺した!」
「だったら――」
山下は男を睨む。
「アンタが死ぬまで、アタシが治してやる」
「……!」
「復讐したいなら、生きてやりなさい」
男は動きを止めた。
山下は手を離す。
「死んだら何もできないでしょうが」
シオリが山下を見る。
その目は、
完全に恋する女の目だった。
「……やっぱり」
「何よ」
「先生、大好き」
「だから何でよ!」
シオリは笑った。
「先生がそうやって人を救うところ」
「……」
「昔から、大好きなんです」
山下はシオリから目を逸らした。
「とこちゃん」
「はい」
「この女、入院」
「え?」
「監視しとく」
「院長」
「何?」
「それは患者としてですか?」
山下は少し考える。
「……危険物として」
「分かりました」
「ちょっと待ってください」
シオリが笑う。
「私、先生と同じ部屋がいいです」
「却下」
「隣でもいいです」
「却下」
「じゃあ屋根裏」
「なんでよ!」
「先生の生活を見守りたいので」
「ストーカーじゃない!」
「愛です」
「犯罪よ!」
その騒ぎを、
ミジンコは廊下の奥から静かに見ていた。
やがて、
小さく息を吐く。
「……厄介な方が来ましたね」
とこが振り返る。
「知ってるんですか?」
「ええ」
「誰です?」
ミジンコは笑った。
「医院長が忘れている過去の一つです」
「院長の?」
「はい」
「何があったんですか?」
ミジンコは答えない。
ただ、
シオリを見る。
その目には、
いつものふざけた色がなかった。
「……あの方は」
ミジンコが小さく呟く。
「医院長を殺したいほど愛しています」
「物騒ですね」
「ええ」
「でも、どうしてそんなに?」
ミジンコは山下を見る。
患者と口喧嘩をしている。
とこに怒られている。
シオリに迫られている。
いつも通りの、
どうしようもない医院長。
ミジンコは少し笑った。
「それは――」
そこで、
病院の電話が鳴った。
プルルルル。
全員が振り返る。
山下が受話器を取る。
「はい、山下医院」
『……山下先生』
男の声。
『あなたが昨夜助けた患者ですが』
「何?」
『その患者は、本来なら昨日死んでいたはずです』
山下の顔から笑みが消える。
『ですが、あなたが生かした』
「だから?」
『困るんですよ』
「何が?」
『死ぬ人間が、生きていると』
電話が切れた。
山下はしばらく受話器を見つめる。
シオリが笑う。
「始まりましたね」
「……何が?」
「先生の大嫌いなもの」
「何よ」
シオリは嬉しそうに答えた。
「あなたの患者を、勝手に殺そうとする人たちです」
山下は受話器を置いた。
そして白衣を脱ぐ。
「……とこちゃん」
「はい」
「留守番お願い」
「どこへ?」
山下は笑った。
「ちょっと、患者を殺そうとしてる馬鹿を――」
拳を握る。
「説教してくるわ」
シオリの目が輝く。
「私も行きます」
「来るな」
「嫌です」
「患者でしょうが」
「先生の患者です」
「……」
山下はため息をついた。
「勝手にしなさい」
シオリは嬉しそうに笑った。
「はい♡」
その横でミジンコが静かに上着を羽織る。
「医院長」
「何?」
「私も同行します」
「アンタは?」
「もちろん」
ミジンコは笑った。
「医院長の後始末をするのが、私の仕事ですから」
「誰が後始末よ!」
午前零時四十分。
山下医院の灯りが消えた。
そして、
一人の患者を守るために、
医者と助手と情報屋と、
一人の狂った女が、
夜の街へ出ていった。
第三話 完




