↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
2/31

第二話 診察料は生きてから



第二話 診察料は生きてから


「院長」


「何よ」


「患者さんが逃げました」


朝八時。


山下光圀は、布団の中で目を開けた。


「……誰が?」


「昨日の患者です」


「死んだ人?」


「はい」


「元気じゃない」


「元気に逃げました」


山下は布団から飛び起きた。


「ちょっと待ちなさい」


「待ちません。早くしてください」


「なんでアタシが追いかけるのよ!」


「院長が助けた患者ですから」


「そうだけど!」


山下は慌てて白衣を羽織る。


寝癖はそのまま。


スリッパも左右違う。


とこはそれを見て、ため息をついた。


「院長」


「何よ」


「靴」


「履いてるじゃない」


「それ、私のです」


「……」


「返してください」


「今それどころじゃないでしょうが!」


「院長が一番それどころじゃないです」


その時、玄関から声がした。


「医院長ー!」


「ミジンコちゃん!」


ミジンコが駆け込んでくる。


「患者を見ませんでしたか?」


「見てないわよ」


「裏口から出た形跡があります」


「なんで分かるの?」


「靴跡です」


「アンタ何者なのよ」


「ただの情報屋です」


「絶対嘘よね」


「はい」


即答だった。


とこが呆れた顔をする。


「院長」


「何?」


「この医院、まともな人間いませんね」


「アタシがいるじゃない」


「一番まともじゃないです」


「アンタねぇ!」


三人が言い争っていると、


玄関のドアが開いた。


「おはようございます〜」


アルル・アルだった。


片手に買い物袋。


もう片方には小さな花束。


「アルちゃん、おはよう」


「おはようございます、山下先生〜」


「ちょっと聞いてよ。患者が逃げたの」


「あらぁ」


アルルは驚いた顔をする。


「昨日の方ですか?」


「そうよ」


「元気になったんですねぇ」


「勝手に元気になって勝手に逃げたのよ」


「良かったですねぇ」


「良くないわよ!」


アルルはニコニコしている。


「でも、生きてるんですよね?」


「……まあ」


「じゃあ、良いことじゃないですかぁ」


山下は黙った。


「……そうね」


その瞬間だった。


ミジンコが窓の外を見る。


「医院長」


「何?」


「いました」


全員が振り返る。


道路の向こう。


昨日の患者が走っている。


「いたぁぁぁ!」


山下が飛び出す。


「待ちなさい!」


患者も振り返る。


「来るな!」


「待ちなさいって言ってんのよ!」


「殺される!」


「誰に!」


「分からない!」


「じゃあ止まりなさい!」


「無理です!」


「なんでよ!」


「怖いからです!」


「アタシだって怖いわよ!」


「先生が一番怖いです!」


「なんですってぇ!?」


患者はさらに走る。


山下も追う。


とこも追う。


ミジンコも追う。


アルルだけは、


「皆さん、転ばないでくださいねぇ」


と手を振っていた。


数分後。


患者は路地裏に追い込まれた。


「はぁ……はぁ……」


山下が息を切らしながら壁に手をつく。


「アンタ……」


「……」


「何で逃げたのよ」


患者は俯いた。


「怖かったんです」


「何が?」


「生きてることが」


山下は黙った。


「昨日まで、俺は死んでた」


「そうね」


「なのに目を覚ました」


「そうね」


「俺を殺した奴が、まだ生きてる」


「……」


「俺が生きてるって知ったら、また殺しに来る」


山下は患者の前に立った。


「だから逃げた?」


「はい」


「どこへ?」


「分かりません」


「何をするつもりだったの?」


「……分かりません」


山下はため息をついた。


そして患者の頭を軽く叩いた。


「じゃあ戻るわよ」


「え?」


「何も決まってないなら、なおさら病院に戻りなさい」


「でも……」


「アタシの患者でしょうが」


患者が顔を上げる。


山下は笑った。


「アンタ、昨日死んだばっかりよ」


「……」


「今日からどう生きるかなんて、今から考えればいいの」


患者の目に涙が浮かぶ。


「先生……」


「それに」


山下は振り返る。


「アタシ、まだ診察料もらってないのよ」


「……そこですか?」


「大事よ」


「いくらですか?」


「そうねぇ」


山下は考える。


「命一個分」


「高すぎません?」


「じゃあ分割で」


「いくらずつ?」


「死ぬまで」


患者は思わず笑った。


山下も笑う。


少し離れた場所で、とこが呟いた。


「院長」


「何?」


「今のはちょっと良いこと言いましたね」


「でしょう?」


「最後の診察料で台無しですけど」


「うるさいわね」


ミジンコが頷く。


「医院長らしいです」


「ミジンコちゃんまで!」


アルルは楽しそうに笑った。


「じゃあ、帰ったら皆さんで朝ご飯にしましょうかぁ」


「アルちゃん、何買ったの?」


「おにぎりです」


「何味?」


「鮭です〜」


「最高じゃない」


「院長」


とこが冷静に言う。


「患者さんの分は?」


アルルが袋を見る。


「あ」


「ないんですか」


「……買い忘れましたぁ」


「アルちゃん!」


四人の声が、


朝の路地裏に響いた。


その日の昼。


山下医院の待合室。


患者の男は、久しぶりに笑っていた。


山下はカルテを書きながら言う。


「名前、まだ思い出さないの?」


「はい」


「じゃあ仮名でいいわ」


「何にします?」


「……太郎」


「嫌です」


「注文多いわね!」


とこが横から言う。


「院長」


「何?」


「この方、財布も身分証もありません」


「じゃあ」


山下は男を見る。


「名前が思い出せるまで、ウチで働きなさい」


「え?」


「掃除、洗濯、買い出し」


「それ、助手じゃないですか?」


「人手不足なのよ」


「院長、私がいます」


「とこちゃんは一人しかいないじゃない」


「私一人で十分です」


「じゃあ二人いればもっと楽でしょ」


「理屈が雑です」


そこへミジンコが入ってくる。


「医院長」


「何?」


「少々、お話があります」


ミジンコは男を見る。


「昨日の件ですが」


「はい」


「あなたを襲った人物について、少し分かりました」


男の表情が変わる。


「誰ですか?」


ミジンコは答えなかった。


代わりに山下を見る。


「医院長」


「何よ」


「この件、私に任せていただけませんか?」


山下は少し考える。


「ダメ」


「……なぜです?」


「患者のことは医者が診るの」


「事件ですよ」


「知らないわよ」


山下はカルテを閉じた。


「アンタが犯人を探すのは勝手」


そして男を見る。


「でも、この人を守るのはアタシの仕事よ」


ミジンコは黙った。


やがて、


「承知しました」


と頭を下げた。


その日の夜。


山下医院の電話が鳴った。


山下が受話器を取る。


「はい、山下医院」


『……』


「もしもし?」


『先生』


若い女の声だった。


『昨日の患者さん、生きていますか?』


山下は眉をひそめる。


「誰?」


『その人を殺したのは――』


そこで電話が切れた。


山下は受話器を見つめる。


とこが尋ねる。


「誰でした?」


「さあね」


山下は笑った。


「でも」


受話器を置く。


「次の患者が来たみたいよ」


その夜。


山下医院の玄関に、


一人の女が立っていた。


顔は見えない。


ただ、


山下医院の看板を見上げながら、


小さく呟く。


「……死んだら、うちに来なさい、か」


女は笑った。


「面白い先生」


そして、


ゆっくりと扉を開けた。


第二話 完

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。