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第二十七話 太陽はまだ昇らない

『死んだら、うちに来なさい』


第二十七話 太陽はまだ昇らない


 朝になった。


 ――はずだった。


 山下医院の窓から見える空は、真っ暗だった。


「……」


 山下は時計を見る。


 午前七時。


 なのに外は夜。


「停電じゃないわよね?」


 ミジンコが窓を開ける。


「電気は正常です!」


「じゃあ何で暗いのよ」


「天候不良でしょうか?」


 とこが窓の外を見る。


「雲はありません」


「じゃあ日食?」


「昨日からです」


「……」


 山下は眉をひそめる。


「昨日から?」


「はい」


 ミジンコがスマートフォンを確認する。


「ニュースにも出ています」


「何て?」


「全国的に日の出が確認できていないそうです」


「……全国?」


「はい」


 山下は、


 昨日の屋上で見た白い光を思い出した。


「嫌な予感しかしないわね」


「同感です」


 とこが答える。


 ミジンコだけが、


 なぜか嬉しそうだった。


「全国規模の異常事態……!」


「何で嬉しそうなのよ」


「未知の事象です!」


「アンタ、本当に医療従事者?」


「研究者魂です!」


「そんな魂いらないわよ」


     *


 午前八時。


 最初の患者が来た。


「先生!」


 飛び込んできたのは、


 昨日の山本誠一だった。


「どうしたの?」


「妻が……」


「奥さん?」


「俺のことを忘れました」


 山下の顔が険しくなる。


「昨日は?」


「覚えていました」


「今朝は?」


「俺を見て――」


 山本は震える声で言った。


「『あなた誰?』って」


「……」


「娘もです」


 山下は黙ってカルテを見る。


 山本誠一。


 昨日まで確かに家族に認識されていた。


 しかし、


 今朝になって、


 家族から存在を忘れられた。


「……始まった」


 山下が呟く。


「何がです?」


「返命の反動」


「でも、山本さんは返命してません」


「そう」


 山下はカルテを閉じる。


「だから問題なのよ」


     *


 診察室。


 山本を検査する。


「身体は正常」


「はい」


「記憶も正常」


「はい」


「なのに、周囲の人間から存在だけが消えていってる」


「……」


 ミジンコが腕を組む。


「逆ですね」


「何が?」


「普通なら、本人が死んで周囲が忘れる」


「そう」


「でも今回は本人が生きているのに、周囲が忘れている」


「そういうこと」


「では」


 ミジンコが真剣な顔をする。


「世界が本人を殺そうとしている?」


 山下は、


 ミジンコを見る。


「……」


「何か変なこと言いました?」


「いや」


 山下は答えた。


「たぶん、それが正しい」


「えっ」


「世界から見れば、この人はもう死んでる」


 山下は、


 山本の胸に手を当てる。


「でも本人だけが生きている」


「矛盾ですね」


「だから世界が修正してる」


「……」


 山下の指先に、


 微かな光が集まる。


 返命ではない。


 もっと弱い。


 それでも、


 確かに命を感じる光。


「この人を生きている側に戻すには」


「はい」


「誰かを死なせる必要がある」


 山本が息を呑む。


「……俺のために?」


「たぶん」


「嫌です」


「……」


「俺のために誰かが死ぬなんて」


 山下は、


 山本を見る。


「そうよね」


「先生」


「何?」


「俺を殺してください」


「……は?」


「俺が死ねば、家族が戻るんでしょう?」


「そんな簡単な話じゃない」


「でも!」


「死ぬことを簡単に口にしないで!」


 山下が怒鳴る。


 診察室が静まり返る。


 ミジンコも、


 とこも、


 アルちゃんも黙る。


 山下は、


 拳を握る。


「死ぬのは簡単じゃない」


「……」


「生きるのも簡単じゃない」


「……はい」


「だからアタシは医者をやってるのよ」


 山下は、


 山本の目を見る。


「生きたい人間を生かす」


「……」


「それがアタシの仕事」


     *


 その日の昼。


 山下医院の周囲に、


 異変が起き始めた。


 植物が枯れた。


 花が開かない。


 鳥が飛ばない。


 そして――


 時計が止まった。


「午前十一時四十七分」


 ミジンコが時計を見る。


「全部止まっています」


「全部?」


「はい」


「病院の時計だけ?」


「違います」


 ミジンコがスマートフォンを見る。


「スマホも」


「……」


 とこが外を見る。


「鳥がいません」


「昨日からね」


「違います」


 とこが首を振る。


「昨日はいました」


「……」


「今は一羽もいません」


 その言葉を聞いた瞬間。


 山下の胸が、


 ズキッと痛んだ。


「……っ」


「院長?」


「何でもない」


 しかし、


 胸の奥から、


 何かが叫んでいる。


 怒り。


 悲しみ。


 そして――


 嵐。


「……」


 山下は目を閉じる。


 すると、


 聞こえた。


 遠くから、


 波の音。


 そして、


 誰かの声。


『姉上……』


「……誰?」


 山下が目を開く。


 そこには誰もいない。


 ただ、


 窓ガラスに、


 一瞬だけ海の景色が映った。


「医院長?」


「……」


「どうしました?」


「何でもない」


 山下は窓を閉める。


「今日は外に出ない方がいい」


「どうしてです?」


「何となく」


「了解です」


 ミジンコが頷く。


「本官は院内待機します!」


「だから何で自衛隊なのよ」


「状況に応じた適切な判断です!」


「もういいわ」


     *


 午後三時。


 突然、


 病院の玄関が開いた。


「すみません!」


 一人の少女が入ってくる。


「助けてください!」


「どうしたの?」


 山下が駆け寄る。


「弟が……」


「弟?」


「外で倒れました!」


「どこ?」


「病院の前です!」


 山下たちは外へ出る。


 そこには、


 小さな男の子が倒れていた。


「……!」


 山下が駆け寄る。


 脈がない。


「ミジンコちゃん!」


「はい!」


「処置!」


「了解!」


 ミジンコが素早く動く。


「呼吸なし!」


「人工呼吸!」


「了解!」


 とこが必要な器具を準備する。


 山下は、


 少年の胸に手を置く。


「……」


 返命。


 使える。


 だが――


 また誰かが、


 死ぬかもしれない。


「医院長!」


 ミジンコが叫ぶ。


「心停止から二分!」


「……」


 少年の顔を見る。


 まだ幼い。


 助けたい。


 それだけだった。


「……返命」


 山下の手から、


 強烈な光が溢れた。


 ――ドクン!


 少年の胸が跳ねる。


 ――ドクン!


 心臓が動く。


「呼吸再開!」


 ミジンコが叫ぶ。


「生き返った!」


 少女が泣きながら弟を抱きしめる。


「ありがとうございます!」


 山下は、


 何も言わない。


 ただ、


 自分の手のひらを見る。


 そこには、


 新しい文字が浮かんでいた。


 ――


 **あと四十四回。**


「……」


 やはり減った。


 一人返命するたびに、


 一つ減る。


 その時。


 病院の上空から、


 何かが落ちてきた。


 白い光。


 昨日と同じ。


 山下が空を見る。


「また……」


 光は、


 ミジンコの頭上に落ちた。


「え?」


 ミジンコが見上げる。


 光が、


 ミジンコの身体を包む。


「ミーくん!」


 とこが叫ぶ。


「大丈夫です!」


 ミジンコは、


 光の中で笑っている。


「なんだか……」


 ミジンコの瞳が、


 一瞬だけ金色に変わった。


「暖かいです」


 光が消える。


「……」


 ミジンコは、


 何事もなかったように立っている。


「どうしました?」


「ミーくん」


 とこが言う。


「何?」


「目」


「目?」


「何でもありません」


「?」


 山下もミジンコを見る。


 確かに、


 何かがおかしい。


 だが、


 ミジンコ本人には何の自覚もない。


「医院長」


「何?」


「今日の昼飯、まだですか?」


「……」


「お腹空きました」


「アンタ……」


 山下は、


 思わず笑ってしまった。


「本当に何なのよ、アンタは」


「ミジンコです!」


「知ってるわよ」


     *


 夜。


 ようやく、


 空が少しだけ明るくなった。


 だが、


 太陽はまだ昇らない。


 山下は屋上から空を見上げる。


 隣には、


 アルちゃんがいる。


「院長さん」


「何?」


「今日、変なことがいっぱいありましたね」


「そうね」


「でも」


 アルちゃんは空を見る。


「明日は、きっと晴れますよ」


「……」


「太陽も出ます」


 山下はアルちゃんを見る。


「どうして分かるの?」


「何となくです」


「何となく?」


「はい」


 アルちゃんは笑う。


「朝は、来るものですから」


「……」


 その言葉に、


 山下はなぜか胸が締め付けられた。


「そうね」


 山下も空を見る。


「朝は来る」


 その瞬間。


 東の空が、


 ほんの少しだけ明るくなった。


 二人は、


 それを静かに見つめていた。


 誰も知らない。


 この夜、


 世界のどこかで、


 一つの巨大な扉が開いたことを。


 そしてその扉の向こうから、


 誰かがこちらを見ていたことを。


 ただ、


 その人物が誰なのか。


 山下たちは、


 まだ知らない。


**第二十七話 完**

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