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第二十六話 神様なんて、いるわけない

『死んだら、うちに来なさい』


第二十六話 神様なんて、いるわけない


 ――あと四十五回。


 山下の手のひらに浮かんだ数字は、しばらくすると消えた。


「……」


 誰も口を開かなかった。


 四十八人目の高橋誠。


 一度は返命によって蘇った。


 しかし、医院を出た直後に再び死亡した。


 そして山下の手には、


 『あと四十五回』


 という意味の分からない数字が残った。


「医院長」


 ミジンコが口を開く。


「何?」


「質問があります」


「どうぞ」


「この数字、カウントダウンなんでしょうか?」


「たぶん」


「では、ゼロになったら?」


「知らない」


「爆発しますか?」


「何で爆発なのよ」


「こういうのはだいたい爆発します」


「映画の見すぎよ」


「では自衛隊式に言えば――」


「言わなくていい」


「了解!」


 ミジンコは敬礼した。


 その瞬間。


「……」


 とこがミジンコを見る。


「ミーくん」


「はい」


「その敬礼、逆」


「えっ」


 ミジンコが自分の手を見る。


「……本当だ」


「やり直して」


「了解!」


 ミジンコが再び敬礼する。


「……」


 山下は頭を抱えた。


「アンタたち、今それやってる場合じゃないでしょうが」


「申し訳ありません」


 ミジンコが頭を下げる。


 その横で、


 とこは窓の外を見ていた。


「院長」


「何?」


「月がありません」


「……?」


 山下も窓を見る。


 夜空には星がある。


 街の明かりもある。


 しかし、


 月だけがなかった。


「今日は新月?」


「違います」


 とこが答える。


「満月です」


「……」


「なのに月がありません」


 山下は眉をひそめる。


「気味悪いわね」


 アルちゃんが窓の外を見る。


「本当ですね」


「アルちゃん、怖くないの?」


「ちょっとだけ」


 アルちゃんは笑う。


「でも、月がなくても夜は夜ですよ」


「……」


 とこがアルちゃんを見る。


 ほんの一瞬。


 その目が細くなった。


 だが、


 何も言わなかった。


     *


 翌朝。


 山下医院には、


 一人の患者が来た。


「失礼します」


 受付に立ったのは、


 二十代くらいの女性だった。


「今日はどうしました?」


 山下が尋ねる。


「昨日、父が亡くなったんです」


「……」


「でも」


 女性は俯く。


「今朝、普通に朝ご飯を食べていました」


「……は?」


「生きてるんです」


「それは良かったじゃない」


「でも」


 女性は震える声で続けた。


「誰も父のことを覚えてないんです」


 山下の表情が変わる。


「……誰も?」


「母も、弟も、親戚も」


「あなたは?」


「私は覚えています」


「じゃあ、あなたのお父さんは?」


「家にいます」


「普通に?」


「はい」


「なのに?」


「私以外の人間には、存在していないことになっています」


 山下は立ち上がる。


「名前は?」


「山本誠一です」


 カルテを確認する。


 死亡記録。


 ――なし。


「死亡診断書は?」


「ありません」


「葬儀は?」


「してません」


「じゃあ、どうして亡くなったと?」


 女性は、


 スマートフォンを取り出した。


「これです」


 画面には、


 一枚の写真。


 病院のベッドで眠る男性。


 その横に、


 死亡日時が表示されている。


「……」


 山下は写真を見つめる。


 妙な違和感があった。


「この写真」


「はい」


「撮ったのは誰?」


「私です」


「じゃあ、どうしてこの写真だけ残ってるの?」


「……分かりません」


 山下は写真を拡大する。


 男性の胸元。


 そこに、


 小さな赤い跡がある。


「……返命?」


 山下が呟いた。


「何ですか?」


「何でもない」


 山下は写真を返す。


「お父さんに会わせて」


     *


 山本家。


「お父さん!」


 女性が玄関を開ける。


「おかえり」


 奥から男性の声。


 山本誠一。


 確かに生きている。


「……」


 山下が男を見る。


 脈。


 呼吸。


 体温。


 全部正常。


「どこか痛いところは?」


「ありません」


「昨日、死んだことは覚えてる?」


「……」


 男が首を傾げる。


「昨日?」


「はい」


「私は普通に寝ただけですが」


 山下は黙った。


「お父さん」


 娘が尋ねる。


「私のこと、分かる?」


「当たり前だろ」


 男は笑う。


「俺の娘じゃないか」


 娘の目から、


 涙がこぼれた。


「……よかった」


 その瞬間。


 玄関の外から声がした。


「お父さん!」


 近所の子供だった。


「昨日、死んだんじゃなかったの?」


「……」


 山本が固まる。


「何言ってるんだ?」


「だって、おじさん死んだって……」


 子供が走っていく。


 山下は男を見る。


「……あなた」


「はい」


「今、自分が死んでいたことを聞いたわね」


「……」


「怖くない?」


 男は、


 しばらく黙った。


 そして、


「怖いです」


 と答えた。


「でも」


「何?」


「今、生きてるなら」


 男は娘を見る。


「それでいいです」


 山下は、


 その言葉を聞いて黙った。


     *


 山下医院に戻る。


「院長」


 とこが言う。


「何?」


「山本さんの身体には異常がありません」


「でしょうね」


「しかし」


 とこは検査結果を見せる。


「死亡した痕跡だけがあります」


「……」


「身体は生きている」


「でも、死んだ記録だけが残っている」


「はい」


 ミジンコが横から覗く。


「幽霊みたいですね」


「ミーくん」


「はい」


「黙って」


「はい」


 ミジンコが静かになる。


 しかし数秒後。


「でも、幽霊が戸籍とか使えるんでしょうか?」


 とこがミジンコを見る。


「……」


「すみません」


「分かればいい」


 山下はカルテを見る。


「これ、返命とは違う」


「はい」


「誰かが死んだ人間を生き返らせたんじゃない」


「……」


「死んだという事実だけが、世界から切り離されてる」


 山下は、


 25話で見つけた古い記録を思い出す。


 返命。


 死。


 記憶。


 そして、


 黄泉。


「……黄泉に行くはずだった人間が、こっちに戻ってきた?」


 その言葉に、


 とこが顔を上げた。


「院長」


「何?」


「その可能性があります」


「じゃあ、誰が戻したの?」


「分かりません」


「……」


 ミジンコが手を挙げる。


「はい」


「何?」


「神様とか?」


「……」


「死者を生き返らせるなら、神様っぽくないですか?」


「神様なんているわけないでしょ」


 山下が即答する。


「そうですよね!」


 ミジンコが頷く。


「私もそう思います!」


「だったら言うな!」


「了解です!」


     *


 その日の夜。


 山下は一人、


 病院の屋上にいた。


 空を見上げる。


 やはり、


 月がない。


「……」


 そこへ、


 とこが来る。


「院長」


「何?」


「まだ月がありません」


「そうね」


「おかしいです」


「何か分かる?」


「分かりません」


 とこは空を見上げる。


 しばらくして、


 静かに言った。


「でも」


「何?」


「この夜は、嫌いではありません」


「……」


 山下は少し意外そうな顔をする。


「とこちゃんがそんなこと言うなんて珍しいわね」


「そうですか?」


「ええ」


「ただの感想です」


「そう」


 山下は笑う。


 その瞬間。


 屋上の照明が消えた。


「……」


「停電?」


 山下が周囲を見る。


 街の明かりはついている。


 病院だけが、


 真っ暗だった。


 そして。


 空に、


 一筋の光が走る。


「……何?」


 それは、


 月ではなかった。


 白い光。


 夜空を横切り、


 病院の屋上に落ちる。


「院長!」


 とこが叫ぶ。


 山下が振り返る。


 光の中から、


 一人の少女が現れた。


 少女は、


 山下を見る。


 そして、


 微笑んだ。


「……やっと見つけた」


「誰?」


「あなた」


 少女は山下を指差す。


「荒ぶる人」


「……は?」


 少女は続ける。


「あなたの中にいる」


「何が?」


 少女は答えなかった。


 その代わり、


 山下の胸元に手を伸ばす。


 触れた瞬間。


 ――ドクン。


 山下の身体が、


 大きく震えた。


「ぐっ……!」


 頭の中に、


 大量の映像が流れ込む。


 海。


 嵐。


 巨大な蛇。


 血。


 炎。


 そして、


 誰かの泣き声。


「……何……これ……」


 山下が膝をつく。


 少女は、


 ただ静かに言った。


「あなたはまだ、思い出さない方がいい」


「……!」


「思い出したら」


 少女の姿が、


 光の中へ消えていく。


「あなたは、また怒るから」


「待ちなさい!」


 山下が手を伸ばす。


 しかし、


 もう少女はいない。


 残ったのは、


 床に落ちた一枚の白い羽だけ。


「……」


 とこが羽を拾う。


「院長」


「何?」


「これ」


 山下が見る。


 白い羽。


 ただの羽にしか見えない。


「何の鳥かしら」


「分かりません」


 とこが答える。


 その瞬間。


 屋上の扉が開いた。


「院長さん!」


 アルちゃんだった。


「どうしたんですか?」


「……何でもないわ」


「でも、顔色が悪いですよ」


「ちょっと疲れただけ」


「大丈夫ですか?」


「大丈夫よ」


 アルちゃんは、


 山下の顔を見る。


 そして、


 何故か少し寂しそうに笑った。


「……そうですか」


「何よ?」


「いえ」


 アルちゃんは首を振る。


「何でもありません」


 そして三人は、


 屋上を後にした。


 誰も気づいていない。


 床に落ちた白い羽が、


 ほんの一瞬だけ、


 黄金色に光ったことを。


 そして――


 山下の胸の奥で、


 何かが目を覚ましたことを。


**第二十六話 完**

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