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第二十四話 帰り道の患者

『死んだら、うちに来なさい』


第二十四話 帰り道の患者


 扉を開けた瞬間。


 冷たい風が吹き抜けた。


「……現世?」


 山下が一歩、足を踏み出す。


 見慣れた廊下。


 見慣れた壁。


 見慣れた受付。


 そして――


「山下医院……?」


 アルちゃんが目を丸くする。


「戻ってきたんですか?」


「たぶんね」


 山下が振り返る。


 さっきまでそこにあった扉は、


 もう消えていた。


「……」


 ミジンコが壁を触る。


「現世の山下医院です」


「本物?」


「たぶん」


「たぶんって何よ」


「黄泉分院にも同じ医院がありましたので」


「……」


 山下は深いため息をつく。


「もう、何が本物なのか分からないわ」


 とこが時計を見る。


「院長」


「何?」


「時間が進んでいます」


「どれくらい?」


「私たちが出てから、三分しか経っていません」


「……」


 山下は腕時計を見る。


 確かに三分。


「黄泉では時間の流れが違う?」


「その可能性があります」


「じゃあ、高橋さんは?」


 全員が診察室を見る。


 ――いない。


「……」


 山下の顔が変わる。


「高橋さん?」


 返事がない。


「高橋さん!」


 病室にもいない。


 地下にもいない。


 受付にもいない。


「……消えた?」


 ミジンコが言った。


「勝手に帰ったんじゃない?」


「しかし、患者の記録がありません」


「え?」


 受付のカルテを見る。


 高橋誠。


 昨日まで確かにあった名前が、


 どこにもない。


「……」


 山下はカルテ棚を全部確認する。


 ない。


 診察記録も。


 返命記録も。


 高橋という患者そのものが、


 最初から存在しなかったかのように消えている。


「そんな……」


 アルちゃんが呟く。


「高橋さん、消えちゃったんですか?」


「分からない」


 山下は答える。


「でも」


 カルテ棚の奥に、


 一冊だけ見慣れないファイルがあった。


 表紙には、


 赤い文字。


 **『未帰還者』**


「……」


 山下が開く。


 一枚目。


 高橋誠。


 二枚目。


 高橋誠。


 三枚目。


 高橋誠。


 何十ページ開いても、


 すべて同じ名前。


「何これ……」


 とこが覗き込む。


「一人の人間の記録ではありません」


「どういう意味?」


「同じ名前の人間が、何度も死亡しています」


 山下の手が止まる。


「……高橋さんは」


「はい」


「何回死んでるの?」


「記録上では――」


 とこがページを数える。


「四十七回です」


「……」


 ミジンコが固まる。


「四十七……」


「ちょっと待って」


 山下がファイルを取り上げる。


「この人、本当に高橋誠なの?」


「すべて同じ名前です」


「年齢は?」


「七歳」


「次」


「十六歳」


「次」


「二十三歳」


「次」


「四十歳」


「……」


 最後のページ。


 そこには、


 昨日の高橋誠。


 享年五十八歳。


「……」


 山下は、


 ファイルを閉じた。


「これ、全部同一人物なの?」


 とこは答えない。


 その時。


 背後から声がした。


「違います」


 全員が振り返る。


 そこに、


 一人の少年が立っていた。


「誰?」


「僕は高橋誠です」


「……」


 山下は絶句する。


 少年は七歳くらい。


 服装も古い。


 けれど、


 顔は――


 昨日の高橋と同じだった。


「あなた……」


「昨日の人のお父さんです」


「……は?」


 少年は、


 困ったように笑った。


「僕も高橋誠です」


     *


 診察室。


 少年は椅子に座っている。


「つまり」


 山下は頭を抱える。


「アンタも高橋誠」


「はい」


「昨日の高橋さんも高橋誠」


「はい」


「でも別人」


「はい」


「なのに顔は同じ」


「はい」


「……何なのよ!」


「分かりません」


 山下は机を叩く。


「ミジンコちゃん!」


「はい!」


「この状況を説明して!」


「はい!」


 ミジンコは胸を張る。


「高橋誠という名前が、代々受け継がれている可能性があります!」


「……」


「同じ顔については――」


「うん」


「遺伝です!」


「七歳と五十八歳が同じ顔なのよ」


「……」


「何か言いなさいよ」


「医学的には難しいです!」


「でしょうね!」


 とこが少年を見る。


「あなたは、いつ亡くなったの?」


「昭和四十三年です」


 山下の目が変わる。


「……」


「どうしました?」


「その年」


 山下は、


 昨日の写真を思い出す。


 昭和四十三年。


 山下医院。


 高橋誠。


 そして、


 自分の名前。


「あなた」


「はい」


「アタシに会ったことがある?」


 少年は頷いた。


「あります」


「どこで?」


「この病院です」


「何をされた?」


「生き返らせてもらいました」


「……」


 山下は、


 少年の胸元に手をかざす。


 返命の力が反応する。


 淡い光が指先に集まる。


「……やっぱり」


「何が?」


「この子には、命がある」


「え?」


「死者なのに」


 山下は目を細める。


「まだ返命が完全に終わってない」


 少年が尋ねる。


「僕、生き返れるんですか?」


「分からない」


「じゃあ」


 少年は、


 少し寂しそうに笑った。


「また死ぬんですか?」


「……」


 山下は答えられない。


     *


 その夜。


 山下医院の地下室。


 少年のカルテを調べていると、


 一枚の古い写真が出てきた。


 昭和四十三年。


 幼い高橋誠。


 そして――


 その隣に、


 一人の女性が立っている。


「……」


 山下が写真を見つめる。


「この人」


 アルちゃんが覗き込む。


「誰ですか?」


「分からない」


 写真の女性は、


 白い服を着ている。


 顔は、


 何故か黒く塗りつぶされていた。


 とこが写真を裏返す。


 裏には、


 短い文章。


 **『この子を返命する。代償として、一人の命を黄泉へ送る』**


「……」


 山下が呟く。


「命を返す代わりに、別の命を死なせる?」


「古事記の話みたいですね」


 ミジンコが言った。


「……何?」


「イザナギとイザナミです」


「急に日本神話詳しいじゃない」


「休日に勉強しました!」


「何で?」


「教養です!」


 ミジンコは胸を張る。


「イザナミが黄泉へ行った後、イザナギは生者の世界へ戻りました」


「そうね」


「そして、黄泉から帰ったイザナギは――」


 ミジンコが指を立てる。


「穢れを落とすために禊を行い、その過程で多くの神を生みました」


「……」


「つまり!」


 ミジンコが熱弁する。


「死が生まれた代わりに、命も大量生産です!」


「言い方!」


「命の増産です!」


「もっと悪い!」


 とこが淡々と言う。


「ミーくん」


「はい」


「黙って」


「はい」


 ミジンコが黙る。


 山下は写真を見つめる。


「……死者を返す」


「はい」


「代わりに、別の命を黄泉へ送る」


「はい」


「でも」


 山下は、


 古い記録をめくる。


 そこには、


 返命された患者の一覧があった。


 一人。


 二人。


 三人。


 十人。


 百人。


 そして――


 その全員が生き延びた記録。


「……おかしい」


 山下が呟く。


「何が?」


「誰も死んでない」


「え?」


「返命の代償で死んだ人間なんて、どこにもいない」


「では、代償は?」


 山下は、


 しばらく考える。


「命じゃない」


「……」


「別の何かよ」


 その瞬間。


 地下室の奥から、


 音がした。


 コツ。


 コツ。


 コツ。


「……」


 全員が振り返る。


 地下室の暗闇から、


 誰かが歩いてくる。


 白衣。


 長い髪。


 顔は見えない。


 あの男。


 黄泉で見た、


 山下と同じ姿。


「……」


 男が立ち止まる。


「返命の代償は」


 低い声が響く。


「命ではありません」


 山下が睨む。


「じゃあ何よ」


「記憶です」


「……」


「死者を生き返らせるたび」


 男は、


 高橋少年を見る。


「生者の世界から、その者の『死』を消す必要がある」


「死を消す?」


「はい」


「だから家族が忘れた?」


「その通り」


 山下は拳を握る。


「じゃあ、どうして高橋さんは四十七回も死んでるのよ」


「簡単です」


 男は答えた。


「あなたが、何度も返命したからです」


「……アタシが?」


「はい」


「でもアタシは――」


 男は、


 山下の目を見る。


「あなたは忘れている」


 その一言で、


 地下室が静まり返った。


「あなた自身が」


 男は続ける。


「返命を繰り返した記憶を」


 山下は、


 頭の奥に激しい痛みを感じた。


「……っ」


 視界が揺れる。


 古い診察室。


 泣いている少年。


 自分の手。


 そして――


 誰かの声。


 **『この子を返して』**


「……何……これ」


 山下の頭に、


 知らない記憶が流れ込んでくる。


 昭和四十三年。


 山下医院。


 幼い高橋誠。


 そして、


 自分自身。


 白衣を着た山下が、


 少年に手をかざしている。


「やめて……」


 少年の胸に、


 命が戻っていく。


 心臓が動く。


 そして――


 山下自身が、


 泣いている。


「何で……」


 過去の自分が、


 誰かに向かって叫ぶ。


 **「もう、これ以上は返せない!」**


 そこで記憶が途切れた。


「……」


 山下は、


 息を切らしていた。


 目の前の男は、


 もういない。


 ただ、


 少年だけが立っている。


「先生」


「……何?」


「僕のこと」


 少年が言う。


「思い出しましたか?」


 山下は、


 答えられなかった。


 ただ、


 少年の名前を、


 初めて口にした。


「……誠」


 少年は笑った。


「はい」


 その瞬間。


 山下の手のひらに、


 赤い文字が浮かび上がった。


 ――


 **『あと四十六回』**


 山下は、


 その文字を見つめる。


「……」


 そして、


 ゆっくり呟いた。


「四十六回も……」


 誰も知らない。


 この医院の地下に眠る秘密が、


 山下自身の過去だけではなく――


 この物語の始まりそのものに繋がっていることを。


**第二十四話 完**

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