第二十二話 休診日の遠足
『死んだら、うちに来なさい』
第二十二話 休診日の遠足
翌朝。
山下医院の玄関には、一枚の張り紙が貼られていた。
【本日、休診】
その下に、小さく。
【院長不在】
さらにその下。
【ミジンコ勤務】
「……」
ミジンコは張り紙を見つめた。
「なぜ私だけ出勤なんですか」
「アンタが一番暇そうだからよ」
山下は鞄を肩に掛ける。
「それに、留守番くらいできるでしょう?」
「できます!」
「患者が来たら?」
「診察します!」
「できないでしょうが」
「では受付をします!」
「それならいいわ」
山下は振り返る。
とこ、アルちゃん、高橋が玄関に立っている。
「じゃ、行くわよ」
ミジンコが敬礼する。
「お気をつけて!」
「アンタは本当に軍人ごっこ好きね」
「本日は捜索任務ですので!」
「その格好で行くの?」
ミジンコは軍用帽を被っていた。
「当然です!」
「……まあいいわ」
山下は諦めた。
今日は、
高橋が死んだという事実を、
どうして世界が覚えているのか。
そして、
あの謎の声が言った――
『死者の国』
それを確かめるための外出だった。
*
「で」
山下が歩きながら言う。
「高橋さん」
「はい」
「あなたが最初に死んだ場所、覚えてる?」
「……」
高橋は考える。
「病院です」
「この医院?」
「分かりません」
「じゃあ、何か覚えてることは?」
「雨が降っていました」
「他には?」
「誰かと歩いていました」
「誰?」
「……女性です」
「顔は?」
「思い出せません」
山下は黙る。
「ただ」
高橋が続ける。
「その人が言ったんです」
「何て?」
「『死んだら、うちに来なさい』って」
山下の足が止まる。
とこも止まる。
アルちゃんも止まった。
「……」
「どうしました?」
高橋が振り返る。
「それ」
山下が言う。
「どこで聞いたの?」
「分かりません」
「誰に?」
「分かりません」
「でも、その言葉だけは覚えてる?」
「はい」
山下は、
昨日の紙を思い出していた。
――死者を返したければ、死者の国へ来い。
そして、
今の言葉。
――死んだら、うちに来なさい。
偶然とは思えなかった。
*
目的地は、
古い神社だった。
「ここです」
高橋が言う。
「覚えてる?」
「はい」
「何を?」
「ここで、昔の私を見た気がします」
「昔の?」
「子供の頃の私です」
山下は鳥居を見上げる。
「……嫌な場所ね」
「医院長」
ミジンコが双眼鏡を構える。
「何?」
「鳥がいます」
「今それ必要?」
「心を落ち着けるためです」
「……好きにしなさい」
ミジンコが双眼鏡を覗く。
「カラスです」
「そう」
「二羽」
「そう」
「三羽」
「増えたわね」
「四羽」
「……」
「五羽」
「……」
「六羽」
「多くない?」
とこが言う。
「ミーくん」
「はい」
「鳥を見るなら静かに」
「はい」
ミジンコが黙る。
その時だった。
カラスが一斉に飛び立った。
バサバサバサッ!
「……」
山下が顔を上げる。
鳥居の向こう。
誰もいない。
なのに、
誰かが立っているような気配がある。
「高橋さん」
「はい」
「ここで何を思い出した?」
「……」
高橋は頭を押さえる。
「痛い……」
「高橋さん?」
「頭の中に……」
「何が?」
「川があります」
山下の顔が変わる。
「川?」
「大きな川です」
「橋は?」
「あります」
「向こう側は?」
「……」
高橋は震えた。
「帰れない場所です」
*
神社の裏手。
古びた石碑があった。
表面には、
ほとんど読めない文字。
とこが土を払う。
「院長」
「何?」
「文字があります」
山下が見る。
そこには、
こう刻まれていた。
**『生者、渡るべからず』**
「……」
ミジンコが言う。
「では、死者なら?」
「渡れるんじゃない?」
「では高橋さんは?」
「生き返った人間」
「……」
「微妙なところね」
アルちゃんが石碑を見る。
「でも」
「ん?」
「高橋さんは、死んだことがありますよね?」
「そうね」
「だったら」
アルちゃんは首を傾げる。
「半分くらい死者なんじゃないですか?」
「何その雑な理屈」
「違います?」
「違うと思うわ」
「そうですかぁ」
アルちゃんは笑う。
山下も少し笑った。
その時。
高橋が、
石碑の前で立ち止まった。
「……これ」
「何?」
「見覚えがあります」
石碑の横に、
小さな穴が開いていた。
高橋が手を入れる。
「待って!」
山下が止める。
だが、
遅かった。
高橋の指先に、
一枚の古い硬貨が触れた。
次の瞬間。
――ゴォン。
どこからともなく、
鐘の音が響いた。
空気が変わる。
神社の景色が、
一瞬だけ歪んだ。
「何よ、これ……」
山下が周囲を見る。
木々。
石畳。
鳥居。
全部同じなのに、
何かが違う。
空が暗い。
昼間なのに、
夕暮れのようだった。
そして、
石畳の先に――
一人の女性が立っていた。
白い服。
長い髪。
顔は見えない。
山下は身構える。
「アンタ……」
女性がこちらを向く。
「やっと来ましたね」
声を聞いた瞬間、
高橋が震えた。
「……この声」
「知ってるの?」
「はい」
女性は笑った。
「高橋さん」
「あなたは……誰なんですか」
「あなたを一度、こちらへ送った者です」
山下の目が細くなる。
「こちらって?」
女性は、
鳥居の向こうを指差した。
「死者の国」
山下は一歩前へ出る。
「なら、ちょうどいいわ」
「何が?」
「聞きたいことが山ほどあるのよ」
女性は首を傾げる。
「あなたは、生者でしょう?」
「そうよ」
「なら、来てはいけません」
「じゃあアンタが来なさい」
「……」
女性が初めて、
少しだけ笑った。
「それはできません」
「どうして?」
「私はもう――」
一拍。
「こちら側の人間ですから」
山下は、
その言葉に引っかかった。
「こちら側?」
「はい」
「じゃあ、名前を教えなさい」
「……」
「名前くらいあるでしょう」
女性は答えない。
代わりに、
高橋を見る。
「あなたは、まだ帰るのですか?」
高橋が答える。
「家族のところへ帰りたい」
「そうですか」
「俺は、生きたい」
女性は黙る。
「俺は……」
高橋が拳を握る。
「死んだままでもいい」
「……」
「でも、家族に俺を忘れられるのだけは嫌だ」
女性は、
静かに目を伏せた。
「なら」
「何ですか?」
「あなた自身が選びなさい」
女性が手を上げる。
すると、
高橋の足元に、
二つの道が現れた。
一つは、
こちら側へ戻る道。
もう一つは、
鳥居の向こうへ続く、
暗い道。
「生者として戻るか」
女性が言う。
「死者として進むか」
高橋は、
その二つを見つめる。
「……」
山下が口を開く。
「高橋さん」
「はい」
「決めるのはアンタよ」
「先生は?」
「アタシ?」
山下は笑った。
「アタシは医者よ」
一歩、
高橋の隣に立つ。
「患者が決めるまで、待つのが仕事なの」
高橋は目を閉じる。
そして――
「俺は……」
その瞬間。
背後から、
聞き慣れた声がした。
「医院長」
とこだった。
「何?」
「帰り道がなくなっています」
「……」
山下が振り返る。
さっきまであった石段が、
消えている。
鳥居も、
神社もない。
そこにあるのは――
深い霧だけ。
「……」
ミジンコが双眼鏡を下ろす。
「これは……」
とこが静かに言った。
「私たちも、死者の国へ入ったということでは?」
アルちゃんが、
不安そうに辺りを見る。
「院長さん」
「大丈夫」
「でも……」
「大丈夫よ」
山下は、
白衣のポケットに手を入れた。
そして、
ゆっくり笑う。
「病院を飛び出して遠足に来たと思えばいいわ」
「遠足……?」
「そう」
山下は前を向く。
「ただし――」
霧の向こうから、
無数の人影が現れた。
一人。
二人。
十人。
百人。
その全員が、
こちらを見ている。
山下は、
少しだけ息を呑んだ。
「……ずいぶん大人数の遠足ね」
ミジンコが震えながら敬礼する。
「医院長!」
「何よ」
「敵勢力、多数!」
「だから敵って決めつけるなって!」
「では、未確認死者勢力!」
「それも怖いわよ!」
とこが前に出る。
アルちゃんは、
ただ山下の白衣の裾を掴んだ。
「院長さん」
「うん?」
「帰れるんですよね?」
山下は答える。
「帰るわよ」
そして、
霧の向こうへ歩き出す。
「全員でね」
誰も知らなかった。
その先にあるものが、
山下医院そのものの秘密に繋がっていることを。
そして――
山下がまだ知らない。
この場所には、
生きている者には決して見えない、
もう一つの「山下医院」が存在していることを。
**第二十二話 完**




