第二十一話 忘れられた父親
『死んだら、うちに来なさい』
第二十一話 忘れられた父親
高橋誠の家の前。
山下たちは、誰も喋らなかった。
玄関には、昨日までなかった文字。
――返せ。
その下に、
――今度は、記憶を。
「……趣味が悪いわね」
山下が呟く。
「医院長」
ミジンコが周囲を見回す。
「敵の挑発でしょうか」
「敵って決めつけるな」
「では、未確認勢力」
「もっと怖いわよ」
とこは玄関を見つめる。
「院長」
「何?」
「中から人の気配があります」
「高橋さん?」
「はい」
「じゃあ入るわよ」
山下が扉に手をかける。
――開かない。
「鍵?」
「違います」
とこが答える。
「鍵は開いています」
「じゃあ何で?」
山下がもう一度押す。
びくともしない。
「……」
「医院長」
「何よ」
「死者は、家に帰れないのでは?」
「高橋さんは生き返ったでしょうが」
「ですが」
とこが静かに言う。
「家族から見れば、まだ死者なのかもしれません」
「……」
山下は玄関に手を当てた。
「高橋さん」
中へ向かって呼びかける。
「聞こえる?」
「先生!」
すぐに返事が返ってきた。
「はい!」
「玄関、開けられる?」
「開きません!」
「家族は?」
「います!」
「何て言ってる?」
沈黙。
やがて、
「……私を知らない人だと思っています」
山下は目を閉じた。
「そう」
そして、
「ちょっと待ってなさい」
玄関から離れる。
「ミジンコちゃん」
「はい!」
「ちょっと手伝って」
「何を?」
「玄関壊す」
「了解しました!」
「待ってください、院長」
とこが止める。
「何よ」
「家が壊れます」
「……」
「高橋さんの奥様も中にいます」
「……そうね」
山下はため息をついた。
「じゃあ普通に入る方法を考える」
ミジンコが手を挙げる。
「はい!」
「何?」
「裏口は?」
「……」
「勝手口は?」
「……」
「屋根から――」
「黙って」
「はい」
*
結局、
高橋の妻が玄関を開けた。
「……どちら様ですか?」
山下は一礼する。
「昨日、高橋さんを診察した者です」
「主人を?」
「はい」
妻は不思議そうな顔をする。
「主人は……」
「います」
「え?」
「中にいるでしょう?」
妻の顔が青ざめる。
「……」
「会ってください」
「でも」
「あなたの旦那さんよ」
「違います」
即答だった。
「……え?」
「主人は三日前に亡くなりました」
「ええ」
「だから」
妻は震える。
「あなたが連れてきた人は、主人ではありません」
山下の背後で、
高橋が立ち尽くしていた。
「……俺だよ」
妻が振り返る。
「誰ですか?」
「俺だよ」
「……」
「俺だって」
「主人の名前は?」
「誠」
「誠は?」
「俺だよ!」
「違います」
妻は首を振った。
「あなたは主人じゃありません」
「……」
高橋の顔が、
崩れた。
「俺は……」
自分の胸に手を当てる。
「俺は……高橋誠だ」
娘が廊下の奥から顔を出す。
「お母さん?」
「来ちゃダメ」
「でも」
娘が高橋を見る。
「……誰?」
「……」
高橋は、
その場に膝をついた。
「俺だよ」
声が震える。
「お前の父さんだよ」
「……」
「成人式、一緒に写真撮るって約束しただろ」
娘の顔が曇る。
「そんな約束……」
「した!」
「してない」
「したんだよ!」
「やめてください!」
娘が泣き出す。
高橋は何も言えなくなった。
「……」
山下が、
高橋の肩に手を置く。
「高橋さん」
「先生」
「一旦、戻りましょう」
「でも!」
「今のままじゃ、誰も幸せにならない」
「……」
「医院で話しましょう」
高橋は、
ゆっくり立ち上がった。
*
山下医院。
診察室。
高橋は椅子に座っている。
山下は向かいに座る。
「まず確認するわ」
「はい」
「あなた自身の記憶は?」
「あります」
「全部?」
「……たぶん」
「家族の名前」
「妻は美咲。娘は優奈」
「仕事」
「運送会社」
「好きな食べ物」
「カレー」
「娘との約束」
「成人式の写真」
「うん」
山下はカルテに書く。
「記憶は残ってる」
「なのに……」
「家族側の記憶だけが消えてる」
「そんなこと、あるんですか?」
「普通はないわ」
高橋が俯く。
「じゃあ、何が起きてるんですか?」
「分からない」
「……」
「でも、原因はあなたの記憶じゃない」
「じゃあ?」
山下は、
昨日のカルテを取り出した。
そこには、
赤い文字。
――返せ。
そして、
――今度は、記憶を。
「誰かが、あなたを『家族の記憶』から切り離してる」
「……誰が?」
「それを今から探す」
*
「医院長!」
ミジンコが走ってくる。
「何?」
「見つかりました!」
「何が?」
「高橋さんの古い記録です!」
机に分厚いファイルを置く。
「昭和四十三年」
「また?」
「はい」
山下がページをめくる。
「……」
そこには、
一人の患者の記録。
名前は、
高橋誠。
年齢――七歳。
「……」
山下の手が止まる。
「同姓同名?」
「それが」
ミジンコが別の紙を出す。
「生年月日まで一致しています」
「ありえない」
とこが言う。
「はい」
「でも記録は?」
「存在します」
山下は古い写真を見る。
そこには、
七歳の少年。
その隣に――
若い女性。
母親らしい。
そして、
写真の裏。
赤い文字。
**『この子は一度死んだ』**
山下は写真を裏返す。
「……」
「医院長」
ミジンコが尋ねる。
「これ、どういう意味でしょう?」
山下は答えない。
代わりに、
別のページを開く。
そこには、
昭和四十三年当時の診察記録。
死亡。
返命。
成功。
そして最後に、
担当医の名前。
――山下光圀。
「……またアタシ」
山下は頭を抱える。
「何で昭和四十三年にアタシがいるのよ」
ミジンコが真剣に考える。
「医院長」
「何?」
「もしかして医院長は――」
「言わなくていい」
「はい」
「まだ言わないで」
「はい」
山下は、
古いカルテを閉じた。
「まだ何も分かってない」
*
夜。
高橋は病室で眠っていた。
山下は廊下を歩いている。
すると、
「医院長」
アルちゃんが声をかける。
「何?」
「ちょっといいですか?」
「うん」
「高橋さんのことなんですけど」
「何か気づいた?」
「はい」
アルちゃんは少し考える。
「高橋さんって、家族のことを全部覚えてますよね?」
「そうね」
「じゃあ」
「うん?」
「どうして、家族は高橋さんを忘れたんでしょう?」
「……」
「普通、忘れるなら高橋さん自身の記憶が消えるんじゃないですか?」
「……そうね」
「でも逆ですよね」
山下は黙る。
「高橋さんじゃなくて」
アルちゃんが言う。
「周りの人が忘れてる」
「……」
「それって」
アルちゃんは首を傾げた。
「高橋さんが死んだことを、世界の方が覚えてるみたいですね」
「……」
山下は、
アルちゃんを見る。
「アルちゃん」
「はい?」
「今の、もう一回言って」
「え?」
「もう一回」
「えっと……」
アルちゃんは考える。
「高橋さんが死んだことを、世界が覚えてる……?」
「……そう」
山下の目が鋭くなる。
「そういうことか」
「分かったんですか?」
「たぶん」
山下は走り出す。
「医院長?」
「とこちゃん!」
「はい」
「高橋さんを起こして!」
「分かりました」
「ミジンコちゃん!」
「はい!」
「地下室の準備!」
「了解!」
「アルちゃん!」
「はい?」
「……」
山下は一瞬迷う。
「今日は、そこで待ってて」
「分かりましたぁ」
*
地下診療室。
高橋が診察台に横たわる。
「先生」
「大丈夫」
「また返命するんですか?」
「違う」
「じゃあ何を?」
山下は高橋の胸に手を当てる。
「返命した命が、まだ『死んだこと』になってるのよ」
「……」
「だから、周りの記憶が追いつかない」
「どうすれば?」
「普通なら、時間が解決する」
「普通なら?」
「でも、あなたの場合は――」
山下は目を閉じる。
「誰かが意図的に止めてる」
その瞬間。
地下室の照明が消えた。
「またかよ……」
山下が舌打ちする。
暗闇。
そして、
あの声。
『返せ』
「……出てきなさい」
『返せ』
「何を?」
『死んだ者の命を』
「これはアタシが返した命よ」
『違う』
「何が違う!」
『その命は――』
声が近づく。
『お前のものだ』
「……!」
山下の顔が強張る。
「アタシの?」
『そうだ』
「どういう意味よ」
『お前は――』
その瞬間、
地下室の照明が復旧した。
誰もいない。
ただ、
高橋の胸元に、
見覚えのない赤い印が浮かんでいる。
山下がそれを見る。
「……」
印の形は、
心臓。
その中央に、
一文字。
**「黄」**
「……何よ、これ」
高橋が目を開ける。
「先生……?」
山下は答えない。
ただ、
その文字を見つめていた。
そして――
診察室の隅。
誰もいないはずの場所から、
小さな声が聞こえた。
『もうすぐ、帰る時間ですよ』
山下が振り返る。
「誰!」
何もいない。
ただ、
地下室の床に、
一枚の紙が落ちていた。
そこには、
たった一行。
**『死者を返したければ、死者の国へ来い。』**
山下は紙を拾い上げた。
「……」
そして、
静かに笑った。
「上等じゃない」
その目には、
いつもの医院長の柔らかさがなかった。
「そっちが来いって言うなら――」
紙を握り潰す。
「行ってやろうじゃない」
**第二十一話 完**




