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第十九話 死者にも、順番がある

『死んだら、うちに来なさい』


第十九話 死者にも、順番がある


 朝。


 山下医院の待合室には、患者が三人いた。


 一人目は、老婆。


 二人目は、サラリーマン風の男。


 三人目は――


「……」


 誰も座っていない椅子だった。


 それでも。


 受付の名簿には、確かに名前が書かれている。


 とこが受付から顔を上げる。


「次の方」


 誰も動かない。


「次の方」


 やはり動かない。


 ミジンコが手を挙げる。


「はい!」


「ミーくんは患者ではありません」


「はい」


「座って」


「はい」


 ミジンコが座る。


 山下が診察室から出てくる。


「次の方」


 すると――


 空いている椅子が、


 ゆっくり沈んだ。


「……」


 山下が椅子を見る。


「そこにいるの?」


 返事はない。


「名前は?」


 沈んだ椅子の上から、


 小さな声が聞こえた。


「……ユウ」


「ユウちゃん?」


「うん」


「何歳?」


「七歳」


 山下の表情が少し変わる。


「どこが悪いの?」


「分からない」


「どうしてここに来たの?」


「お母さんに言われた」


「何て?」


「死んだら、ここに行きなさいって」


 山下は、


 その言葉を聞いた瞬間に黙った。


 ――死んだら、ここに行きなさい。


 どこかで聞いたことがある。


 いや。


 この医院そのものが、


 ずっとそう言っているような気がした。


「……ユウちゃん」


「なに?」


「お母さんは?」


「生きてる」


「じゃあ、どうして一人で来たの?」


「……」


 小さな声。


「迷子になった」


 山下はため息をついた。


「そう」


 椅子の横にしゃがむ。


「じゃあ、まず迷子を治しましょうか」


「迷子って病気?」


「この医院では病気よ」


「へんな病院」


「今さら?」


 ユウが少しだけ笑った。


     *


「医院長」


 診察室。


 ミジンコがカルテを見る。


「この子、死因がありません」


「うん」


「脈もない」


「うん」


「呼吸もない」


「うん」


「なのに会話できます」


「死者だからね」


「なるほど」


「納得するの早いわね」


「では、この場合の診断名は?」


「迷子」


「病名ではありません」


「じゃあ『迷子』」


「カルテに書くんですか?」


「書いときなさい」


「はい!」


 ミジンコが真面目に書く。


 【診断:迷子】


 とこが横から覗き込む。


「ミーくん」


「はい」


「もう少し医学的に」


「はい」


 ミジンコが書き直す。


 【診断:重度の迷子】


「悪化してるわよ」


「申し訳ありません」


 アルちゃんが笑う。


「でも、どうして迷子になったんでしょうねぇ」


 山下はユウを見る。


「本人に聞いてみる」


「うん」


「ユウちゃん」


「なに?」


「死んだ時のこと、覚えてる?」


「……」


 ユウは黙る。


「無理に言わなくていいわよ」


「覚えてる」


「そう」


「でも、言っちゃダメって言われた」


「誰に?」


「お姉ちゃん」


「お姉ちゃん?」


「白い服のお姉ちゃん」


 山下の顔が変わる。


「どこで会ったの?」


「暗いところ」


「何て言われた?」


「『ここに来たら、先生に会える』って」


「先生って?」


「医院長」


 山下は黙る。


「それと」


 ユウが続ける。


「『先生に会ったら、返してもらいなさい』って」


 山下の眉が動く。


「何を?」


 ユウは胸元を指差した。


「命」


     *


 地下診療室。


 ユウを診察台に座らせる。


 山下は手をかざす。


 返命の力を使う。


 ――だが。


「……」


 何も起きない。


「医院長?」


 ミジンコが心配そうに見る。


「返命が反応しません」


「分かってる」


 もう一度。


 力を込める。


 何も起きない。


「どうして……」


 山下はユウを見る。


 死者なのに、


 命の残滓が見えない。


 まるで――


 最初から、


 返命されることを拒んでいるようだった。


「ユウちゃん」


「なに?」


「生きたい?」


 ユウは首を横に振った。


「……」


「どうして?」


「お母さんが悲しむから」


「生きたいのに?」


「ううん」


「じゃあ?」


 ユウは俯く。


「お母さんが、もう笑わないから」


 山下は黙った。


「私が死んでから、お母さん、ずっと泣いてる」


「……」


「だから、戻らなきゃ」


「ユウちゃん」


「なに?」


「それは違うわ」


 山下は静かに言う。


「アンタが戻ることと、お母さんが笑えることは、同じじゃない」


「……」


「死んだ人間が、生きている人間のためだけに戻る必要はないのよ」


「でも……」


「アンタはどうしたい?」


 ユウは、


 しばらく考えた。


「……分からない」


「それでいい」


 山下は笑った。


「分からないなら、今日は決めなくていい」


「いいの?」


「いいわよ」


「でも、返命してくれないの?」


「しない」


「どうして?」


「今のアンタには、返命する理由がないから」


 ユウが不思議そうな顔をする。


「先生なのに?」


「先生だからよ」


     *


 その夜。


 山下は一人でカルテを整理していた。


 ユウのカルテ。


 診断欄には、


 【迷子】


 と書いてある。


 そして、


 返命欄。


 そこには、


 【保留】


 と記した。


「医院長」


 とこが入ってくる。


「何?」


「今日の判断」


「うん」


「正しかったと思います」


「……ありがと」


「ですが」


「何?」


「気になることがあります」


「何よ」


「ユウさんが言っていた『白い服のお姉ちゃん』」


「うん」


「私たちが以前見た人影と、同じ可能性があります」


「……」


 山下は黙る。


「そうね」


「院長」


「何?」


「その人物は、死者を集めているのでしょうか」


「分からない」


「そして、返命を求めている」


「……」


 山下は椅子から立ち上がった。


「だったら」


「はい」


「先に見つけるしかないわね」


     *


 深夜。


 山下医院の玄関。


 ユウが一人で立っていた。


「ユウちゃん?」


 アルちゃんが声をかける。


「眠れないの?」


「うん」


「どうしたの?」


 ユウは外を見る。


「お姉ちゃんがいる」


「え?」


 アルちゃんが窓を見る。


 誰もいない。


「どこ?」


「あそこ」


 ユウが指差す。


「……」


「白い服」


 アルちゃんは首を傾げる。


「私には見えないなぁ」


「いるよ」


「そっかぁ」


 アルちゃんは怖がる様子もなく、


 ユウの隣に立つ。


「じゃあ、怖い?」


「ちょっと」


「大丈夫ですよぉ」


「どうして?」


「ここ、病院ですから」


「病院だから?」


「はい」


 アルちゃんは笑う。


「院長がいますから」


 その瞬間。


 廊下の奥から、


 山下の声がした。


「アルちゃん!」


「はーい?」


「ユウちゃんをこっちに連れてきて!」


「分かりましたぁ」


 ユウがアルちゃんの手を握る。


 そして二人で歩き出す。


 その背後。


 誰もいない廊下に、


 一瞬だけ白い影が立っていた。


 影は、


 ユウを見つめている。


 そして小さく呟く。


「……まだ返さないのね」


 影が消える。


 誰にも聞こえなかった。


 ただ――


 山下だけが、


 診察室でその声を聞いていた。


「……今のは」


 山下が振り返る。


 誰もいない。


 机の上には、


 一枚の紙。


 そこには、


 見覚えのない文字が書かれていた。


 **『返命できる者は、返命できない者を救えない。』**


 山下は紙を握りつぶす。


「……上等じゃない」


 そして、


 静かに笑った。


「だったら、証明してやるわよ」


 ――死んだ人間を、


 生き返らせることだけが、


 救うことじゃない。


 その答えを探すために。


 山下医院の夜は、


 また一つ深くなっていった。


**第十九話 完**

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