第十八話 死者外来、開設
『死んだら、うちに来なさい』
第十八話 死者外来、開設
朝。
山下医院の玄関に、新しい札が掛かっていた。
昨日までの札は、
【診察中】
だった。
今日からは違う。
【死者外来】
山下は札を見上げた。
「……誰がこんなもん作ったのよ」
「私です!」
ミジンコが手を挙げた。
「何でよ」
「分かりやすいからです!」
「何が?」
「死者が来る病院であることを明確にしました!」
「バカなの?」
「はい!」
「褒めてないわよ」
とこが札を見る。
「院長」
「何?」
「昨日より患者が増えると思います」
「……」
「なぜなら、看板に書いてありますから」
「……」
山下は札を外した。
「撤去」
「ええっ!」
「アタシは患者を呼び込むために医院やってんじゃないのよ!」
「しかし!」
ミジンコが抗議する。
「死者の皆様に対する広報活動として――」
「広報しなくていい!」
「残念です!」
アルちゃんが横から言った。
「でも、ちょっと可愛い札ですねぇ」
「アルちゃん、そこじゃないのよ」
「そうですかぁ?」
「そうなの」
山下が札を倉庫へ放り込む。
「これでよし」
その直後。
玄関のチャイムが鳴った。
全員が振り返る。
「……」
「……」
「……」
山下が嫌な予感を覚える。
「まさかね」
とこが玄関へ向かう。
扉を開ける。
「こんにちは」
そこに立っていたのは、
一人の老婆だった。
「ここ、病院でしょう?」
「はい」
「なら、診てもらえるかね」
「もちろんです」
山下が出てくる。
「どうしました?」
老婆は、
胸を押さえた。
「心臓が痛いんだよ」
「いつから?」
「昨日から」
「じゃあ座って」
「はい」
山下は診察を始める。
血圧。
脈拍。
聴診。
異常はない。
「……おかしいわね」
「何がだい?」
「心臓、どこも悪くないわよ」
「そうかい」
「むしろ健康」
「そうかい」
老婆は笑った。
「じゃあ、先生」
「何?」
「私、死んでるんじゃないかね?」
山下の手が止まった。
「……」
老婆は笑っている。
「さっきから誰も、私のこと見えてないんだよ」
山下は後ろを見る。
とこ。
ミジンコ。
アルちゃん。
全員、老婆を見ている。
「いや、見えてるわよ」
「あら」
老婆は驚いた。
「そうかい」
「アンタ、何者?」
「さあねぇ」
老婆は笑う。
「ただの死んだ婆さんだよ」
*
診察室。
老婆は椅子に座っている。
「名前は?」
「おヨネ」
「名字は?」
「忘れた」
「住所」
「死んだからないねぇ」
「死因」
「老衰」
「いつ死んだの?」
「さあ」
「さあって」
「死んだ本人が日にちなんか覚えてると思うかい?」
山下は頭を抱える。
「何で死者って、こういう人ばっかなのよ」
「先生も大変だねぇ」
「アンタが言う?」
老婆は笑う。
「それで、先生」
「何?」
「私、帰っていいのかい?」
「……」
「それとも」
老婆の表情が変わる。
「ここにいていいのかい?」
山下は答えられなかった。
「アタシにも分からない」
「そうかい」
「でも」
山下は老婆を見る。
「死んだ人間がここまで来たなら、何か理由があるんでしょうね」
「理由ねぇ」
老婆は窓の外を見る。
「死んだ人間にも、やり残したことはあるからねぇ」
「何?」
「孫に謝ってない」
「……」
「死ぬ前に喧嘩したんだよ」
老婆は笑う。
「だから謝りたい」
山下は少し黙った。
「じゃあ、会いに行きなさい」
「いいのかい?」
「アタシが許可するわ」
「ありがとう」
老婆は立ち上がる。
そして玄関へ向かう。
だが、
扉の前で振り返った。
「先生」
「何?」
「あんた」
「うん?」
「死者を生き返らせるんだってね」
山下の顔から笑みが消える。
「誰に聞いたの?」
「死んだ人間の噂さ」
「……」
「気をつけな」
「何を?」
老婆は笑った。
「命を返せる人間はねぇ」
一拍。
「命を返せない人間より、ずっと恨まれるんだよ」
老婆はそう言って、
消えた。
「……」
山下は玄関を見つめる。
「医院長」
ミジンコが声をかける。
「何?」
「今の方」
「うん」
「扉を開けずに出ていきました」
「……」
「つまり」
ミジンコが真顔になる。
「物理法則を無視しています」
「死者なんだから当たり前でしょうが」
「なるほど!」
ミジンコは納得した。
「死者は物理法則を遵守する義務がない!」
「どんな理屈よ」
*
昼。
山下は地下診療室へ降りていた。
昨日見つかった、
『山下光圀 死亡記録』
その続きを調べるためだ。
「……」
古いカルテを開く。
昭和四十三年。
そこには、
確かに自分の名前がある。
だが――
死亡時刻が空欄になっている。
「死亡時刻、なし?」
山下が眉をひそめる。
その下に、
別の記録。
**『返命、未完了』**
さらにページをめくる。
白紙。
次も白紙。
その次も。
「何なのよ……」
その時、
背後から声がした。
「医院長」
「……ミジンコちゃん?」
「はい」
「何?」
「これを」
ミジンコが一枚の古い写真を差し出す。
「何?」
「昨日、倉庫で見つけました」
写真には、
昔の山下医院が写っている。
その前に、
白衣を着た男たち。
そして中央に――
一人の若い男。
「……」
山下は写真を凝視する。
「これ」
「はい」
「アタシ……?」
「そう見えます」
「何で?」
「分かりません」
「またそれ?」
「はい」
山下が写真を裏返す。
裏には文字。
**『医院長就任記念 昭和四十三年』**
「……」
山下は写真を握る。
「アタシ、昭和四十三年に医院長だったの?」
「記録上は」
「でもアタシ、その頃生まれてないわよ」
「はい」
「じゃあ誰なのよ、これ」
ミジンコは黙った。
そして、
小さく言う。
「医院長」
「何?」
「もしかすると――」
「うん」
「今の医院長と、昔の医院長は」
ミジンコが写真を見る。
「同じ人間ではないのかもしれません」
「……」
山下は、
しばらく写真を見つめていた。
やがて、
「だったら」
写真を机に置く。
「その昔のアタシって、誰なのよ」
答えはなかった。
*
その夜。
アルちゃんは台所で夕食を作っていた。
「今日は煮物ですよぉ」
「いいわねぇ」
山下が椅子に座る。
「院長」
「何?」
「最近、難しい顔してますね」
「そう?」
「はい」
アルちゃんは鍋をかき混ぜながら笑う。
「ちゃんと寝てます?」
「寝てるわよ」
「ご飯食べてます?」
「食べてる」
「じゃあ大丈夫ですねぇ」
「何でよ」
「人間、食べて寝れば何とかなりますから」
「雑ねぇ」
「でも本当ですよぉ」
山下は少し笑った。
「アルちゃんって、悩みとかないの?」
「ありますよぉ」
「例えば?」
「今日の夕飯、味が薄いかもしれないとか」
「……」
「あと、洗濯物が乾かないとか」
「……」
「あと、ミジンコちゃんがまた何かやらかさないかなぁとか」
「それは悩みね」
二人で笑う。
そこへ、
「医院長!」
ミジンコが駆け込んできた。
「今度は何よ!」
「大変です!」
「何が!」
「玄関に!」
「今度は何がいるのよ!」
山下が玄関へ向かう。
扉を開ける。
誰もいない。
「……何もないじゃない」
「違います!」
ミジンコが指差す。
玄関の床。
そこに、
古いカルテが一冊置かれている。
山下が拾う。
表紙には、
**『死者外来 第一号』**
「……」
山下がページを開く。
一人目の患者。
名前――
**おヨネ。**
「……」
今日来た老婆だった。
その下には、
診察記録。
そして最後の欄に、
こう書かれていた。
**『返命不要』**
山下は眉をひそめる。
「……何これ」
最後のページ。
そこには、
一文だけ。
**『死者は、必ずしも生き返らせる必要はない。』**
山下は、
ゆっくりとカルテを閉じた。
「……そういうことか」
返命。
それは、
死者を生き返らせるためだけの力ではない。
死者を、
もう一度生かすべきか。
それとも――
その死を受け入れるべきか。
その選択まで、
山下に委ねられている。
「医院長?」
ミジンコが尋ねる。
「何?」
「どうしますか?」
山下はカルテを抱えた。
「決まってるでしょう」
白衣を羽織る。
「明日から、ちゃんと死者を診るわよ」
「……はい!」
山下医院。
そこには今日も、
生きている人間と、
死んでいる人間がやって来る。
そして山下は、
そのどちらにも同じ言葉をかける。
「どうしたの?」
ただし――
死者に対してだけは、
もう一つ。
聞かなければならないことがある。
**「本当に、帰りたい?」**
**第十八話 完**




