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第十二話 前任者

山下医院には、変な人間が集まる。


 死者。


 死にかけの人間。


 死に関する異能力者。


 そして――


「医院長」


「何よ、ミジンコちゃん」


「今日の昼食ですが」


「うん」


「カレーにしませんか」


「いいわね」


「ただし、私が作ります」


「……やめときなさい」


「なぜです!」


「アンタが料理すると、厨房が戦場になるのよ」


「料理とは戦いです!」


「違うわよ」


「ならば!」


 ミジンコが拳を握る。


「状況開始です!」


「何のよ」


「調理作戦を――」


「ミーくん」


 とこが受付から呼んだ。


「はい」


「いくよ」


「……」


 ミジンコの動きが止まる。


「医院長、私は――」


「ミジンコちゃん」


「はい」


「諦めなさい」


「……了解しました」


 とこに腕を掴まれる。


「待ってください、とこ姐さん! 私はまだ何も――」


「いくよ」


「これは教育ではなく――」


「いくよ」


「再教育ですか!?」


 ズルズルズルズル。


 ミジンコは奥の部屋へ消えていった。


「……今日も平和ねぇ」


 山下が呟いた。


「そうですねぇ」


 アルちゃんが笑う。


「平和が一番ですよぉ」


「本当にそう思う?」


「はい〜」


 アルちゃんは湯飲みを両手で持っている。


「昨日も平和でしたし」


「昨日、死者が三人来たわよ」


「でも今日は来てませんよぉ」


「基準がおかしいのよ」


⸻


 その日の昼過ぎ。


 山下医院の玄関を叩く音がした。


 コンコン。


「はーい」


 アルちゃんが玄関へ向かう。


 扉を開ける。


「はい、どちら様ですかぁ?」


「……」


 一人の男が立っていた。


 五十代ほど。


 古びたスーツ。


 顔色が悪い。


「あの……」


「はい〜?」


「ここは、山下医院で間違いないでしょうか」


「そうですよぉ」


「山下先生は?」


「院長なら中にいます」


「そうですか」


 男は一歩、医院の中へ入った。


 その瞬間。


 男の身体が大きく揺れた。


「大丈夫ですかぁ?」


「……大丈夫です」


「顔色悪いですよ?」


「少し疲れているだけです」


 アルちゃんは心配そうに男を見る。


「お水、飲みます?」


「……お願いします」


「はい〜」


 アルちゃんが台所へ向かう。


 男はその背中を見送る。


 何か言いたそうだった。


 だが――


「どうぞぉ」


「ありがとうございます」


 差し出された水を受け取り、


 一気に飲み干す。


「おいしいです」


「ただのお水ですよぉ」


「……そうですね」


 男が少し笑った。


 そこへ山下がやってきた。


「アンタが患者?」


「はい」


「どこが悪いの?」


「分かりません」


「分からない?」


「気づいたら、ここにいました」


「……」


 山下は男を見た。


「名前は?」


「分かりません」


「住所」


「分かりません」


「年齢」


「分かりません」


「家族」


「……分かりません」


 山下はため息をついた。


「全部分からないじゃない」


「すみません」


「別に謝らなくていいわよ」


 男は深々と頭を下げた。


「ありがとうございます」


「で、どこが痛いの?」


「痛くありません」


「じゃあ何で来たのよ」


「……分かりません」


「それも分からないのね」


「はい」


 山下は頭を抱えた。


「今日は何なのよ」


⸻


 診察を始める。


 血圧。


 脈拍。


 体温。


 瞳孔。


 反射。


 どれも正常。


 むしろ健康そのものだった。


「異常ないわね」


「そうですか」


「でも、アンタは普通じゃない」


「……」


「自分の名前も分からない。住所も分からない。でも会話はできる」


「はい」


「最後に覚えてることは?」


 男は目を閉じた。


「……病院です」


「どこの?」


「分かりません」


「誰かいた?」


「いました」


「誰?」


「……先生です」


「医者?」


「はい」


「何て言ってた?」


 男はしばらく考える。


「……『もうすぐ戻る』」


 山下の眉が動いた。


「誰が?」


「先生が」


「戻るってどこから?」


「分かりません」


「……」


 山下はカルテを閉じた。


「しばらくここにいなさい」


「いいんですか?」


「行くところないんでしょう?」


「はい」


「じゃあ居候」


「ありがとうございます」


 男が頭を下げる。


 その時。


「院長」


 とこが入ってきた。


「何?」


「部屋の準備をしました」


「ありがとう」


 男がとこを見る。


 とこも男を見る。


「……」


「……」


 特に何も起きない。


「よろしくお願いします」


「はい」


 とこはそれだけ言って出ていった。


 アルちゃんが男に毛布を渡す。


「寒かったら使ってくださいねぇ」


「ありがとうございます」


「ご飯もありますから」


「……はい」


「お腹空いてません?」


「少し」


「じゃあ食べましょうかぁ」


 アルちゃんは笑った。


 本当に、それだけだった。


 何も知らない。


 何も疑っていない。


 ただ困っている人間を放っておけない。


 それだけの人だった。


⸻


 夕方。


「医院長!」


 ミジンコが戻ってきた。


 髪が少し乱れている。


「おかえり」


「ただいま戻りました!」


「何してたの?」


「訓練です!」


「そう」


「ところで!」


 ミジンコは男を見る。


「この方は?」


「今日からしばらくここにいるの」


「身元は?」


「不明」


「なるほど」


 ミジンコが男の周りをぐるりと回る。


「……怪しい」


「アンタが言う?」


「私は怪しくありません!」


「十分怪しいわよ」


「私はただの――」


 ミジンコが胸を張る。


「愛国的な医療従事者です!」


「誰も聞いてないわよ」


 男が苦笑する。


「面白い方ですね」


「違います」


 ミジンコが真顔になる。


「私は真面目です」


「そこが面白いのよ」


「医院長!」


「何?」


「今の発言、戦闘詳報に記録します!」


「好きにしなさい」


⸻


 夜。


 男は空いている病室で眠っていた。


 山下は診察室で一人、カルテを書いている。


「……身元不明」


 ペンを走らせる。


 その時。


 玄関から音がした。


 ガチャ。


「こんな時間に誰よ」


 山下が立ち上がる。


 玄関には誰もいない。


 ただ――


 一枚の封筒が置かれていた。


「……何これ」


 拾い上げる。


 表には、


 山下光圀 医院長


 とだけ書かれている。


 中には一枚の紙。


 山下は読む。


 そこには、


 たった一行。


 『前任者を返せ』


「……」


 山下の目が細くなる。


「誰に返せってのよ」


 背後から声がした。


「医院長」


 ミジンコだった。


「起きてたの?」


「はい」


「これ」


 山下が紙を渡す。


 ミジンコは読む。


 表情が変わった。


「……」


「知ってる?」


「いえ」


「本当に?」


「はい」


 ミジンコは紙を握りしめる。


「ただ」


「何?」


「この筆跡を見たことがあります」


「誰?」


「……私の上司です」


 山下が顔を上げる。


「上司?」


「はい」


「名前は?」


「申し上げられません」


「何で?」


「守秘義務です」


「アンタ、アタシには何でも喋るじゃない」


「それとこれとは別です」


「珍しくまともね」


「ありがとうございます!」


「褒めてない」


 ミジンコは封筒を見つめる。


 そして小さく呟いた。


「……まさか」


「何?」


「いえ」


「言いなさいよ」


「まだ、分かりません」


 その時。


 病室から、


 男の声がした。


「……先生」


 山下とミジンコが振り返る。


 男が立っている。


 寝ぼけたような顔。


「どうしたの?」


「夢を見ました」


「どんな?」


「病院でした」


「また?」


「はい」


 男は額を押さえる。


「白衣を着た人がいました」


「どんな人?」


「男です」


「顔は?」


「……」


 男が目を閉じる。


「覚えていません」


「何をしてたの?」


「患者を診ていました」


「何て言ってた?」


 男はしばらく黙ってから、


 答えた。


「……『死んだら、うちに来なさい』」


 山下の手から、


 封筒が落ちた。


 ミジンコも黙っている。


 男は不思議そうに二人を見る。


「どうしました?」


「……何でもないわ」


 山下は封筒を拾った。


 そして、


 男を見る。


「今日はもう寝なさい」


「はい」


 男が病室へ戻っていく。


 扉が閉まる。


 山下はしばらく黙っていた。


「医院長」


「何?」


「今の言葉」


「ええ」


「以前にも聞いたことがあります」


「誰から?」


 ミジンコは答えなかった。


 ただ、


 いつものふざけた表情を消して、


 暗い廊下を見つめていた。


「……上司からです」


「何て?」


「『死んだら、うちに来なさい』」


 山下は、


 ゆっくりと目を細めた。


 だが――


 まだ誰も知らない。


 その言葉が、


 この医院の始まりでもなく、


 終わりでもなく。


 ずっと昔から、


 誰かを待ち続けていた言葉だったことを。


第十二話 完

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