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第十一話 総員、患者じゃありません!

午前八時。


 山下医院の朝は、いつも通りだった。


 山下光圀は診察室の椅子に座り、新聞を読んでいる。


 とこは受付でカルテを整理している。


 アルちゃんは湯飲みを両手で持って、ぼんやりしている。


 そして――


「医院長!」


 ミジンコが勢いよく診察室へ飛び込んできた。


「何よ朝っぱらから」


「緊急事態です!」


「患者?」


「いえ!」


「火事?」


「違います!」


「じゃあ何よ」


 ミジンコは敬礼した。


「敵性人物を確認しました!」


 山下は新聞から目を上げた。


「……誰?」


「分かりません!」


「敵性って判断した理由は?」


「なんとなくです!」


「帰りなさい」


「了解しました!」


「了解するな」


 ミジンコが直立したまま固まる。


 とこが淡々と言った。


「ミーくん」


「はい」


「朝からうるさい」


「申し訳ありません」


「あと、敬礼しなくていい」


「はい」


 ミジンコが手を下ろす。


「ところで院長」


「何?」


「玄関前に男がいます」


「患者?」


「それが……」


 ミジンコの顔から笑みが消えた。


「患者ではありません」


 山下は新聞を畳んだ。


「どういう意味?」


「本人がそう言っています」


「……本人が?」


「はい」


 山下は立ち上がった。


「見に行くわ」


「医院長、念のため申し上げます」


「何よ」


「状況は不明。所属不明。目的不明」


「うん」


「つまり――」


 ミジンコが拳を握った。


「敵情未詳です!」


「だから何で戦争にするのよ」


⸻


 玄関を開ける。


 一人の男が立っていた。


 年齢は五十代くらい。


 スーツ姿。


 手には黒い鞄。


 山下を見ると、深々と頭を下げた。


「山下先生ですね」


「そうだけど」


「私は――」


 男が名刺を差し出す。


 山下が受け取る。


「……葬儀屋?」


「はい」


「何の用?」


「お迎えに参りました」


「誰を?」


「あなたを」


「…………」


 山下は名刺を見た。


 葬儀会社の名前。


 住所。


 電話番号。


 どれも実在する。


「アタシ、まだ死んでないけど?」


「存じています」


「じゃあ何で迎えに来たのよ」


「それが……」


 男は困ったように笑う。


「ご遺体の搬送依頼が入っています」


「誰の?」


「山下光圀様です」


 沈黙。


 山下は自分を指差した。


「アタシ?」


「はい」


「生きてるけど?」


「はい」


「元気だけど?」


「はい」


「朝飯まだだけど?」


「それは健康上どうなんでしょう」


「そこは今どうでもいいのよ!」


 後ろでミジンコが、


「医院長!」


「何!」


「これは明らかに異常事態です!」


「見れば分かるわよ!」


 ミジンコが葬儀屋の男を睨む。


「所属を明らかにしてください!」


「葬儀会社です」


「敵性勢力では?」


「違います」


「本当に?」


「本当にです」


「では身分証を」


「何で葬儀屋さんにそんなこと聞いてるのよ!」


 とこが受付から出てきた。


「院長」


「何?」


「この人、嘘をついていません」


「分かるの?」


「はい」


 とこは男を見る。


「ただし」


「ただし?」


「この人自身も、何が起きているのか分かっていません」


 男は頷いた。


「……はい」


 山下は腕を組んだ。


「じゃあ、何を持ってきたの?」


「こちらです」


 男が鞄を開く。


 中には、


 一枚の書類。


「死亡届?」


「はい」


 山下が見る。


 名前――山下光圀。


 生年月日――一致。


 住所――一致。


 死亡日時――


 本日、午前十時三十分。


 山下は時計を見る。


 午前八時二十七分。


「……あと二時間しかないじゃない」


「はい」


「アタシ、二時間後に死ぬの?」


「私には分かりません」


「でしょうね!」


 山下は書類を破ろうとした。


 しかし――


「院長」


 とこが止めた。


「裏を見てください」


「裏?」


 書類をひっくり返す。


 そこには手書きで、


 『死亡後、山下医院へ搬送』


 と書かれていた。


「……」


 山下は黙る。


「なんでアタシが死んだ後、アタシの医院に運ばれるのよ」


 ミジンコが呟いた。


「……これは」


「何?」


「作戦計画としては、非常に興味深いです」


「どこがよ」


「死後の行動予定まで決まっている」


「アタシの人生を作戦扱いしないで」


 その時だった。


「医院長〜」


 アルちゃんが奥から出てきた。


「どうしたんですかぁ?」


「アルちゃん、ちょっとこれ見て」


 山下が死亡届を渡す。


「あらぁ」


 アルちゃんは目を通す。


「医院長、今日死ぬんですかぁ?」


「そう書いてあるわね」


「大変ですねぇ」


「他人事!」


「でも大丈夫ですよぉ」


「何で?」


 アルちゃんは、ほんわか笑った。


「死んだら、ここに来ればいいんじゃないですかぁ?」


 山下は黙った。


「……ここに?」


「はい〜」


「アタシの医院よ?」


「そうですねぇ」


「死んだら?」


「はい〜」


 アルちゃんは何の疑問も持っていない。


「ここに来ればいいですよぉ」


 山下は妙な違和感を覚えた。


 だが、その正体は分からない。


「……そうね」


 山下は死亡届を机に置いた。


「じゃあ、とりあえず」


 時計を見る。


 午前八時三十五分。


「あと二時間、普通に仕事するわ」


「医院長!」


 ミジンコが叫ぶ。


「死亡予定者が通常勤務するんですか!」


「するわよ」


「異常です!」


「アンタにだけは言われたくないわ」


⸻


 午前九時。


 診察室。


 患者が一人入ってくる。


「先生、昨日から胃が痛くて」


「はいはい。座って」


 山下は普通に診察を始めた。


 聴診。


 触診。


 問診。


「食べ過ぎね」


「え?」


「昨日、何食べた?」


「焼肉です」


「何人前?」


「……七人前」


「胃が死ぬわよ」


「先生、今日死ぬのは先生では?」


 患者が言った。


 山下の手が止まる。


「……何で知ってるの?」


「え?」


「何でアタシが今日死ぬって知ってるの?」


「いや……」


 患者は首を傾げる。


「新聞に載ってましたよ」


「は?」


 山下は受付を見る。


 とこが新聞を持ってくる。


 今日の新聞。


 一面。


 そこに――


 『山下医院長、午前十時三十分死亡』


 と書かれていた。


「…………」


 山下は新聞を握り潰した。


「何これ」


 とこが冷静に言う。


「院長」


「何?」


「写真もあります」


「見せて」


 新聞には、


 山下が死んでいる写真。


 白衣姿。


 目を閉じている。


 胸元には、


 見慣れない花が一輪。


「……アタシじゃない」


「はい」


「でも顔はアタシ」


「はい」


「気持ち悪いわね」


 ミジンコが新聞を見て、


 突然敬礼した。


「医院長!」


「何よ!」


「総員、戦闘配置!」


「病院よ!」


「了解!」


「だから了解するな!」


 ミジンコが受付へ走る。


 とこがその襟首を掴む。


「ミーくん」


「はい」


「いくよ」


「……はい」


 ズルズルズルズル。


「ちょ、待ってください!」


 奥の部屋へ消えていく。


 数分後。


 ミジンコが戻ってきた。


 顔色が悪い。


 姿勢だけは完璧だった。


「……申し訳ありませんでした」


「何されたの?」


「教育を受けました」


「そう」


 山下は新聞を見つめる。


 午前十時二十九分。


 時計の針が進む。


 十時二十九分。


 十時二十九分三十秒。


 十時二十九分五十九秒。


 ――十時三十分。


 何も起きない。


「……」


「……」


「……」


 全員が山下を見る。


「何よ」


 山下が立ち上がる。


「死なないじゃない」


 その瞬間。


 ――ドンッ!


 医院の奥から、


 何かが倒れる音がした。


「何?」


 全員が振り返る。


 とこが走る。


 山下も続く。


 奥の部屋。


 そこには――


 一人の男が倒れていた。


 見覚えのない男。


 胸には、


 山下と同じ花。


 そして手には、


 一枚の紙。


 山下が拾う。


 そこには、


 たった一行。


 『死亡予定者、変更。山下光圀――生存。代替者、到着済み』


 山下は紙を握りしめた。


「……誰よ」


 男は目を開けた。


 そして、


 山下を見て笑った。


「先生……」


「何?」


「やっと……会えました」


「アンタ、誰?」


 男は答えた。


「あなたの――」


 一瞬、


 苦しそうに息を吸う。


「前任者です」


 山下の表情から、


 笑顔が消えた。


 ――山下医院には、


 まだ誰も知らない過去がある。


 そして今、


 その過去が初めて、


 自分から歩いてきた。


第十一話 完

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