120.食欲の秋(2)
前回の話
イスラはレティシアの招待でとても美味しいケーキを食べた。
(ケーキが食べたい……)
レティシアの屋敷でとんでもなく美味しいケーキを食べてから、私の心はあのケーキに囚われたままだった。
王族御用達とのことだったが、王族はあんな美味しいものをいつでも食べられるのか。
それならば、私も王族となるべく、アバン王子の婚約者に……。
(いけない、いけない。つい暗黒面に堕ちてしまいそうだった)
食欲に負けて前世の過ちを繰り返してしまうところだったのを、理性で踏みとどまった。
しかし、このままでは何も手に付かない。
何か対策を考えないと。
「イスラお嬢様、お茶が入りました」
「ありがとう、メッツ。お茶請けのケーキは何かしら?」
「申し訳ありません。本日のお菓子はクッキーなので、ケーキではありません」
お茶を淹れてくれたメッツにも無意識にケーキの話をするあたり相当まずい。
どう考えても私が悪いのに、メッツは申し訳なさそうな顔をしており、むしろ罪悪感を煽って来る。
私はお茶を啜り、クッキーを齧って考える。
(どうにかしてこのケーキ欲を抑えなければ)
そうして考えること約30分。
一つの結論にたどり着いた。
(飽きるほどケーキを食べてやろう)
もはやこの気持ちを抑えることなど不可能。
ならば逆にもうケーキなど食べたくないと思うほどに食べつくせばいいのではなかろうか。
「イスラお嬢様、甘いものばかり食べていては健康を害しますよ」
そう思っていた矢先、メッツから注意を受けた。
気が付けばクッキーをかなりの枚数食べてしまっていた。
最近は涼しくなってきたので、食欲が増しているのかもしれない。
「甘いものが美味しいのが悪いのよ」
「それならばそんな悪い食べ物はしばらくお預けですね」
言い訳をしたら華麗にカウンターを決められた。
せっかくケーキをたくさん食べようと決めたものの、メッツの忠告を全く無視するのも決まりが悪い。
モヤモヤとしていたが、一つの天啓が舞い降りた。
「いえ、それでもあえて今度ケーキを食べに行くわ」
「イスラお嬢様、私の話を聞いていましたか? 甘いものの食べ過ぎは健康に……」
「そういう約束があったことを思い出したの。相手がいる以上、キャンセルはできないわ」
以前にアンリとケーキを一緒に食べに行く約束をしていたことを思い出した。
厳密には約束ではなく、こちらからお願いすれば聞いてくれるという内容だったが、細かいことはどうでもいい。
私はその場でアンリへの手紙を用意し始めた。
数日後。
約束の日、私は王都でも話題のケーキ屋さんである『コージーストレート』というお店にやってきた。
店内はテイクアウト用のカウンター販売もあったが、私は奥にある店内飲食スペースに向かった。
通常のテーブル席に加え、事前に予約すれば有料で使用できる個室ブースに入ってアンリを待つ。
「待たせたわね」
少し待つと、アンリがやって来た。
私服姿のアンリを見るのは初めてだったが、思ったよりもシンプル目なコーディネートだった。
「待たされました。もうこれ以上は待てないほどです。早くケーキをいただきましょう」
「一応、私、伯爵令嬢なのだけど……。まあいいわ。イスラは少しおかしなやつだってこの前の旅行でも分かったことだし」
アンリは子爵令嬢である私よりも身分は高いはずなのだが、何故だか恭しく接するよりも、こうして少しからかいたくなるところがある。
アンリもそれを本気で嫌がる素振りもないので、甘えさせてもらおう。
挨拶も済んだところで、さっそく店員を呼んでケーキを持ってきてもらった。
ショートケーキ、チョコケーキ、チーズケーキなど定番のケーキが所狭しと並ぶ様は圧巻だ。
「それでは早速いただきましょう」
「待ちなさい、イスラ。こういうのには美味しく食べるための順番があるから」
アンリは手前のケーキから手を付けようとした私を制止して順番について教えてくれた。
「こういう時は比較的さっぱりした味のものから食べるのがオススメよ。というわけで最初はショートケーキがいいんじゃないかしら?」
「なるほど。ためになります」
そうしてアンリのアドバイスに従い順番にケーキを食べていったが、確かに連続で様々な種類のものを食べている割には味が混ざらないような気がする。
そして定番を一通り食べ終えた頃、満を持してアンリがオススメするモンブランがやってきた。
「さあ、イスラ! これが私の一番のオススメよ」
「確かに美味しそうですね」
栗色のクリームがたっぷりと乗ったモンブランは見ただけで美味しいと分かる造形だ。
自信気なアンリの態度にも納得ができる。
フォークで切って一口食べると、濃厚な栗の風味が感じられ、思わず唸りそうになるほどだった。
アンリが一番に勧めるだけのことはある。
「イスラ、あなた食べるのが早すぎない?」
「ここのケーキが美味しいのが悪いのです」
とても美味しかったのですぐに完食してしまったら、アンリに呆れられてしまった。
アンリがツンツンしているのは見ていて微笑ましいので、そのジト目を堪能していたら、アンリは突然大きなため息を吐いた。
「時々、イスラがすごい子なのか、ただのおかしな子なのか分からなくなる時があるわ」
「アンリ様こそおかしなことを仰います。私は私です」
「そう言えるだけの強さが羨ましいわ……」
アンリはそう呟くと私から目を逸らすように俯いた。
「私はね、イスラみたいにレティシア様やラスカル様とあんな風に堂々と話すことができないの」
「私とはこうして話せているのですから、慣れれば大丈夫ですよ」
「そういう問題じゃない。私みたいに何の取り得もない人間が、目上の身分のご令嬢とお話するだけで気が竦んでしまうの。私にはイスラみたいな才能は何もない。心底、あなたが羨ましいわ」
「……」
「イスラはこんな私にも声をかけてくれた。最初は何か裏があると思ってたけど、イスラは本当に私と親しくしたいだけなのかも、って思えるほどいい子だった。私にはあなたが眩しすぎる」
段々と小さくなる声は最後の方は独り言のようになっており、集中していないと聞き取れないような声量だった。
アンリはこの前の旅行で私に多少なりとも心を開いてくれていた一方で、自分への自信のなさに悩んでいるみたいだ。
アンリは前世でも今世でも最初はラスカルの太鼓持ちのように振る舞っており、それは自分の立場を守るための処世術だったようだが、他に自分を確立する方法がなかったことの表れでもあったようだ。
伯爵令嬢という決して低くない身分、レティシアには劣るものの決して悪くない容姿、ノインには劣るものの決して悪くない教養。
全てにおいて悪くはないものの、突出した能力がないということは私の想像以上にアンリの自己肯定感を下げている。
(アンリだっていいところはあるのに)
前世ではアンリのことをろくに知ろうともせずに排除する方向に動いたため知らなかったが、今世で彼女と関わるようになってからは素直になりきれないものの、非情にもなりきれない独特の可愛らしさを知ることができた。
しかしそんな私の主観を伝えても、きっとアンリは納得してはくれない。
ならば、皆の前で示せばいい。
アンリはすごい子なんだということを。
「アンリ様!」
「えっ!? 何よ、いきなり大きな声を出して」
それはどんなことでも構わない。
何か一つ彼女の自信になるような強みを持ってもらえればそれでいい。
「今度、私の屋敷に来てください。アンリ様には何もない、なんてことはありません。それを私が証明してみせます!」
「はあ? あなた、何を言っているの? ……え、冗談よね? まさか本気で言っているの!?」
思わぬきっかけではあったが、せっかくなのでアンリの問題も解決するよう動くことにしよう。
困惑しているアンリをよそに、私は作戦を考え始めた。
次回投稿予定日:8月24日(土)
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