桜の花の散るがごとくに
ヒーロー探しの旅に出る、と言った私ですが、泥をかぶれない息子へ、泥をかぶることが出来るのがヒーローかもしれませんよ。
日本人の好きな英雄に、西郷隆盛がいる。私は若い二十歳の頃、期待をもって西郷隆盛のビデオドラマを観たんです。西郷隆盛は「豪傑・英雄」などと日本人に人気のある歴史上の人物であるが、彼の人となりはどのようだったのだろう、どうしてそんなに人気があるのだろう。期待外れ、というか、彼は私の思ったようなかっこいいヒーローではなかったんです。明治維新がおこり、明治新政府が樹立される、天皇を中心とした中央集権国家・新しい国造りが始まるーー日本が新しい時代に突入する、そんな時、古い体制から抜け切れない郷里の武士たちに担ぎ上げられて、新政府と戦争をする。要するに国賊・国に対する反逆者である、なぜ彼がこの国の民に支持される英雄なのか、分からない。一国対薩摩藩(一地方)の戦いである、そんな負けが目に見えているような戦いをどうしてしなければならなかったのか、分からない。どうして、同胞の尊い血が流されるような戦いを自分が率いてやる必要があるんだい、「お前ら、そんな馬鹿なことはやめろ」って一喝したらいい、あんたが「おれはそんな(理に適わない)ことはしない」って言えば、あんたの民だもの、彼らだって考え直したかもしれないよ。新政府の要人であった西郷は、政府内で自分の意見が通らないことに腹を立て、郷里に帰って来てしまう。新政府には新しい国造りという理念があったはずではないか、そこを離れ、時代に乗り遅れたような人々のもとに戻りその長になろうなんて、新しい国造りはどうした、捨てたのかい。色々な疑問が沸き起こり、ビデオを見終えた私の胸はすっきりしなかった。西郷隆盛は惨めに負けた英雄だった、私が期待したようなかっこいいヒーローではなかった。ナポレオンやヒトラー、連戦連勝、戦の神のように自国に勝利をもたらし、国民の喝采を受ける、カリスマ的強い統率力で国を一つにまとめ上げる、そんな西洋の英雄の華々しさからすれば、西郷はかっこ悪かった、私の理(合理・理知・理性・利得・功利・効率)を満たすものではなかった。理解し難い存在だったのである。
私は、学校の歴史の教科書で「西郷隆盛、征韓論」と習った。この征韓論(朝鮮侵略論)というのも西郷さんという人を分からなくさせるものであった。他国を侵略しようなどという思想の持ち主がヒーローであるはずがない、本当にわけの分からない人だな、私は思ったのである。新政府の中には二つの意見があったのである。一つは、国内に戦がなくなり武士たちは失業状態、力の余った彼らは暴動も起こしかねない、その力を国の外に向けさせよう、朝鮮侵略論である。もう一方は、いや、今はそんな時ではない、外国に軍など派遣させず、内政を整えるべきだ・優先させるべきは内政である。中学校の歴史の教科書など物事の表面をさらりと撫でるだけである、「西郷隆盛、征韓論」それだけ書ければ高校受験も通る、私が西郷さんを誤解したわけである。新政府が立つと、その功労者である西郷は勿論政府要人としてのポストに着いた、が、彼は自身の推す「征韓論」が敗れると、憤慨して、郷里薩摩に帰ってしまう。敗れた西郷さんは尻尾を巻いて田舎へ帰ってしまったか。自分の考えが通らなければ怒って、一抜けた、それだったら余りに子供っぽく感情的である。新しい国造りという一大事業も途中でほっぽり投げてしまった感である。
実は西郷が推した征韓論とは、武力を持ってすぐさま朝鮮を侵略する、というものではなかった。使節を送り、朝鮮と友好関係を持てるようにしましょうよ、相手が応じなかったら、その時は武力という威もありますよ。西郷は武力でよその国を侵略する気はなかった、武力はあくまで威である。なぜそのようなことが言えるかといえば、西郷はそれと同様のことを以前にやっているのである。京都御所内の会議の席に岩倉具視らは出席していた、岩倉ら新政府は天皇中心の新しい政治を行いたい、政治から徳川将軍を完全撤退させたい。対して相手は徳川将軍と幕府という旧いものにこだわりを持ち、新しい制度の中にそれを持ち込みたい・温存させたいと思った。両者の話し合いはまとまらず、このままでは時間ばかりが経ち一歩も前に進まない、外で護衛をしていた西郷がそんな中の様子を聞くと、私はこれを持ってますよ、使いたくはないですけど、ご用とあらば使う覚悟はあります、ちらり刀を見せたのであるーーこれで脅せば済むことだ、会議の席に戻る岩倉に西郷は耳打ちしたのである。話し合いがつかない場合、薩摩は武力を持って幕府を倒す覚悟だ、岩倉に言われ、それまで散々ごねていた相手であるが、びびって話し合いは即決。西郷は、相手に引きずられてぐずぐずと物事を引き延ばすことを潔しとしなかった、そのための威である。武とはさように有効に使うものである(決して無益に使ってはならない)、武は最終手段である、それが西郷の武に対する考えであろう。西郷は自国が武力を持つことの意味も知っていたし、相手に引きずられ時間だけが過ぎて何の解決にも至らない話合いにどう決着をつけるかも心得ていた、外交手段に長けた人物だったのである。武士の刀とは無益に血を流すためのものではない、話し合いさえ着けば、西郷はいつでも刀を鞘に納めたのである。
「江戸で戦いが起これば、民が巻き込まれます。何の罪もない大勢の人々の血が流されます」
という勝海舟の言葉を受け入れた西郷の英断あって、江戸城は無血開城(血を流す戦いなく解決に至った)。西郷は血を流したくなかったのである、何の益もないことに・流さずも済むことに血を流したくなかった。そのようなことを考えるとき、西郷が政府に反旗を翻して西南戦争を起こしたわけも、彼がなぜ征韓論を推したのかも見えてくるのである。
二世紀半という長い間続いた江戸幕府であったが、その支配力・統治力は衰えていた。最早幕府には国をきちんと治める力がない、開国した日本であるが、幕府は外国との交渉もままならなかった。幕府を倒し、天皇を中心とした新たな国政を造ろう、と政治変革が行われたのが明治維新である(教科書通りに言えばそんなところ)。その立役者が西郷隆盛である。さて西郷は、これまでのやり方が古くなったと知っていた、自身は明治新政府にある新しい国造りを支持したのであるが、旧い体制を捨てられない・それにより頼んでいる人たちがいる、彼の郷里の同胞・旧薩摩藩の士族がそうである。別のよいやり方が見つかった、自分たちの船は小さかったけど、今度はみんなで新型の大きな船に乗れることになった、だけどその船に乗るには君たちは今まで自分たちが持っていたものを置いていかなくてはならない、それを持ったままで船には乗れないんだ。新しいやり方とは一体何だ、おれはここに田畑も屋敷も持っている、それを置いて行くだって、「文武両道」素晴らしい教育だって持っている、今まで通りの教育を子孫に授けたい、このよいものを子孫に伝えて行きたいのだ、殿様もいなくなり、自分たちの忠義・忠心も消えてしまう、我々の家・武家が絶えるなんて考えられない。旧い制度・システムが壊されるとはそういうことだろう。「廃藩置県」ーーこれまでの殿様が治めていた藩を廃止し、代わりに県を置き、国が直接に治めることにしよう・国の直轄地にしよう。そのような新制度の導入に当たり、西郷は郷里の者たちに言って聞かせなければならなかっただろう、説明し、納得してもらわなければならなかっただろう。新政府はその難しい交渉役を西郷に任せた。西郷が激怒するのは当然である、苦心して承諾を取りつけてきた、そんな西郷の苦労に新政府は知らん顔で言ったのだ、彼らはこの船に乗れない、と。幕末の混乱と内戦(戊辰戦争)が治まったのは、西郷ら薩摩藩の武士のお陰である。新政府はそのために彼らの武(力)に頼ったのである。そうして国が平定されると、もう君らの仕事は終わった、ここには君らにやる職がない、と首切りである。それが命がけで戦った彼らへの報いですか、恩も忠義もあったものじゃない、皆で大きな新型の船に乗ろうと言った西郷さんの顔も丸潰れです、西郷さんが「お前らとはもう一緒にやれない」と出て行ったわけです。「御恩と奉公」彼らの中に長く根づいていたもの、その精神・忠義心・忠誠心を、新政府の者たちは甘く見た・蔑ろにしたのである。彼らが知っていたのは「合理」だったのである。昨日まで私たちはそうして働いてきたんですよ、なのに今日はもう職がない、どういうことだ、おれたちどうして・何をやっていったらいいんだ。戦がなくなることはいいことだ、だけどそれでは武士は職がなくなるんだ、その辺りをどうか考えてくれ、新しい国造りもいい、だけどそうして制度が変わって、自分たちのシステム・組織・会社が解体されて、おれの同胞たち・地方武士は何もかにも取り上げられてしまうんだ、そこのところをもう少し考えてやってくれ。我が身だけのことを考えれば、その時点で西郷自身は新政府の要人の地位に就いていたし、西郷の率いる薩摩武士は中央で近衛職、新政府の護衛や一揆や反乱の鎮圧などに就いていたが、その一握りを除けば地方の武士は失業状態である。彼らの鬱憤が一揆や反乱・暴動にもなっているのである。征韓論を推した西郷は他国侵略も戦争もする気はなかった、ただ、「軍隊」じゃなくても「自衛隊」ってかたちでも、彼らに仕事を与えてくれ、彼らがスムーズに旧制度から新制度に移行できるよう、どんな措置でも取ってくれ。君らにとって使い捨てでも、おれにとっては大事な民、同胞なんだ、大事以上、民とおれとは一つ存在、そんな関係なんだ。それが武士の主従関係だったんですね。彼らは主人のためにいつでも命を捨てる覚悟である、それが我が民である、だからおれも彼らのためには命を捨てる、それが道義ってもんだ。だから彼は、
「先生、立ち上がって戦いましょう、兵を挙げましょう」
と言う若者たちに、お前らにおれの体を預けた、どうにでもしてくれ、と言ったのである。彼は自分の民と共に戦う・命を捨てる覚悟を決めたのである。西郷は本当は、新しい国造りの象徴でもある新政府に反逆するようなことはしたくなかったのである。郷里に西郷が帰って来たことで盛り上がった薩摩藩士の士気、「西郷先生を中心に」と新たな未来・国造りに理想と熱意を抱く、血気盛んな若者たち、皮肉にも、そんな空気が戦いの口火となった。負ける戦いのリーダーを引き受けた彼は、知恵足らずの郷里の若者たちの先生で、担ぎ上げられた存在だったのか。
西郷が郷里に帰って来て見たものは、倹しい生活の中、若者たちが学問に励み、竹刀木刀を振るう姿であった。世の中・社会システムが変わり、士族の子弟の生活は困窮していたが、そのような中でも彼らはその精神を失わず、勉学に熱心で、「文武両道」心身の鍛錬に励んでいた。本当に良いものが受け継がれていた。彼らの姿は西郷さんに眩しく見えた。中央で彼が見て来たものとは対照的だったんですね。中央・新政府では皆それぞれに私利私欲に走り、自分の思いを通し、好きなようにやりたかった、そのために派閥を作ったり、仲間割れしたんです。その生活ぶりを見ても、自らが特権階級みたいです。中央にいる間も、西郷さんの生活ぶりは「お偉いあんたがこんなところに住んで、こんな生活をしているんですか」と人が驚く質素倹約であった。西郷さんは、苦境の中にいる同胞を思えば、自分だけが贅沢三昧することは出来なかったんでしょうね。幕府の時代から、外国の新しいものを取り入れていたのが薩摩藩だったことから見ても、薩摩の民が田舎者で、知恵足らず、時代に乗り遅れた人たち、時代錯誤な旧式な人たち、だったわけではないんです。若者たちは広く新しい知識や思想を積極的に取り入れ、学び合い、新しい国造りに理想と情熱を持っていました。我々は我々の生活を守る、立て直す、再生させる、そして我々の手で新しい国造りをして行こうーー若い彼らが目指すものは、旧い武家社会を保守するというものではなかった、むしろ彼らが戦うべき敵としたのは「旧い体制」や自分たちの「今の窮状」だったんです。そのために勉学に励み、木刀のみならず鍬だって手にした・自給の食物を作ることも厭わなかったーー今の窮状を打破するための自助努力を怠らなかった。そうして新しい国造りという志に燃えていたんです。西郷は見抜いたんですね、新しい国造りはこの若者たちにこそあるのだと。新しい国造り、っていうのは、皆が平等で、下々の者が潤う、そんなのじゃないかね、そのために殿様は領地を捨て、武士は刀を捨て、彼らは解体されたのである。なのに新政府のやることときたら、解体された者たちの痛みなどお構いなしのよう。強い絆で結ばれていた彼ら(の社会・組織・からだ)は解体された、その痛み・犠牲の上に成るのが「新しい国」であり、その推進力が新政府のはずであったが、彼らはその任を慎み深く受けなかった。自分の身を切ったのは西郷さんだけだったんですね。言わば、自らが軍を率いて戦いに赴いていた現場職・下級士族が西郷さんだった、西郷さんと民の結びつきは強かった。西郷さんほど下の者、現地・現場の者たちと親しく交わっていた人はいなかった。現場の実情をよく知っていたのは、彼らと共に生きて来た・生活を共にした西郷さんだったんですね。岩倉使節団の岩倉具視はお公家様(出身)ですしね。征韓論を論を退け「内政重視」を唱えた欧米視察組であったが、彼らは自国の民がどうなっているか、現場の実情を無視していた・知らなかったのである。彼らは「切り捨て型のシステム」を導入することに躊躇いなかった。西洋の宝物庫を開けて見せられ、その進んだ科学技術や社会制度に魅せられ、一も二もなく、どんな深い考えもなく飛びついてしまった。西洋文化の流入は、長い年月培われた精神・武士道・日本人の美徳を一気に押し流してしまうものだったのでしょうか。彼らがモダンな洋服を着ているのに反して、西郷さんは簡素な着物姿で描かれている。日本人が西郷さんを好きなわけですよ、西郷隆盛を日本人の心、日本人の美徳、自分たち日本人を象徴するような人物と見ていたんですよ。
情に厚い、感情豊か、情緒に富む、そんな西郷さんのイメージを誰もが持つのであるが、西郷は情は深いが、情にのみ流される男ではなかった、しっかりと物事を見据えていた、と分かります。西郷はただ民を哀れんで、身内かわいさに、彼らの味方をしよう・彼らの側につこう、そう思ったわけではないんです。良い習慣や精神、古きを守りつつ、新しいものに対する欲(吸収欲)や敏感さ(アンテナ)も備えている、新しい国造りの理念もパワー(力)も、この若者たちのエネルギー溢れる姿にある、西郷さんは思ったんですね。西郷さんにとって、「新政府=新しい国造り」でも、新政府を去ること即ち新しい国造りの放棄でもなかったんですね。自分の理念のあるところに新しい国造りはあったんです。感情のみに流されないで、物事の本質を見ることができた、理知的な男だったんです。
新政府から見れば、自分たち中央政府にあるのが新たな国造りーー目指すは中央集権・中央一極型なんですよ。「西郷さんを中心に」なんて、地方権力・地方分権・地方自治は望ましくないんです。そのために「藩」を廃して、「県」と改め、国が直轄するようにしたわけですからーー地方に殿様・リーダーなんていらない、我々は一つの国であるから、一つの頭・頭脳があればいい、それが中央政府・新政府である。まして薩摩は武力集団である、「暴力団上がり」中央政府からすればそんな脅威なんです。よく見張ってろ、少しでも不穏な動きがあったら、こっちから攻め込むぞ、そのための兵も雇ってある。新政府は最初から同士討ちをさせる気でいたのである。武士同士・兄弟関係にある者たちを戦わせるつもりだった、西南戦争は最初から仕組まれていたんです。新政府は「徴兵令」を出したが、それを課されるのは農家の次男・三男である。自分の息子たちを兵に取られる、そのような徴兵制度自体を国民(下々の者たち・農民)は反対していたのである。そのようなことをするなら、組織され訓練された武士を「自衛隊」として常備してはいかがですか、溢れる失業武士を雇ってやってくれーー国内の反乱や一揆、治安の維持は勿論、彼らは外敵・外国との戦いにも怖じません、西郷の征韓論の真意である。「徴兵令」一つとっても、政府の政策は国民(武士にも農民にも)支持されなかったのである、農民をも士族をもどちらも殺すものだったのである。訓練もされない農民が武器を持って戦うことは彼らは殺されるであろうし、武器を取られた武士は生計も立たずに殺されるのである。ところが、自分本位な新政府にとっては、武士から武を取り上げるのが一番に思えたのである。地方武士・未だ武士の魂を持っている彼らは脅威だったのである、内乱の火種を抱えているようなものだったのである。西郷が帰った鹿児島県(旧薩摩藩)を政府がマークするわけである。西郷は勿論、そんな戦いをする気はなかったのであるが、皮肉なことに、戦いの口火は切られた。西郷にとって国に背く戦いは不本意であった、むしろ、どうにかして戦争を起こしたかった、そのきっかけ・口実が欲しかったのは政府の方なんじゃないのか。薩摩の民にあったのは、どうにかして自分たちの生活を立て直そう、この苦境を乗り越えよう、そして明るい未来を展望しようという自助努力だったのです、そのために勉学に励み、竹刀木刀を振る稽古もした、心身の鍛錬を怠らなかった。あんなにやる気があるのなら、きっと何かしでかすに違いない、政府は疑心暗鬼に陥った。
西郷は政府と戦う気はなかった、政府の疑心暗鬼である、と言うのも、先に佐賀で士族が反乱を起こし、その長である江藤が西郷に助けを出してくれるように頼んだ時、西郷はきっぱりと断っている。西郷にとって、新政府(自分たちの国・自分たちの頭)に向かって立ち上がることは「愚」だったのである。新政府は新たな国の幕開けの象徴であったし、政府は自分たちの国(の頭の地位)である、彼は新たな自分たちの国に反旗を翻さないのである、自分は今どんな立場にあろうとも・政府を退いたとしても、それは自分たちの国であるし、自分は自分たちの新たな国造りに協力したい、それが西郷の心であった。政府の中で同じく征韓論を推し、それが敗れ、西郷と共に退陣したのが江藤であるがーーであれば薩摩・西郷は味方についてくれるはずだ、佐賀・江藤には臆測があったろうーー西郷はそれを愚としたのである、自分はそのような派閥によっては動かないのである。「西郷は実は個人的に江藤によい感情を抱いていなかった、いついつのどうこうの件で」なんて歴史書の解説もそれこそ間違いである、人間てのはほんと了見が狭いんですよ、自分がそうであるからあの人もそうであるに違いないなんて、自分の尺度でものを見るんですよ。西郷はそんな狭い人間ではない。江藤(友・同胞)を見捨てる冷血さもない。江藤、お前は長としての自分の責任を取れーーお前も男だ、最後の締めは自分でどうなりとやれ、俺のしゃしゃり出る幕はない、とある意味江藤に花を持たせている、と思えるのである。自分の花道を飾りに行け、西郷の友に対するそんなこの世での決別の辞は、江藤の心にも届いていたものと思うーー俺は一緒について行けない、新しい国を灰にすることは出来ない、お前と俺が組んでやることはそんなことだよ、俺たち自身がその導火線・火付け役になることになる、リーダーとして俺の民を率いては行けない。俺たちの出番ではない、俺たちの時はまだ来ていない、その時が来たら華々しく大砲でも花火でもあげましょう、江藤を見送る西郷は『天命降れば・時さえ来れば、自分にもその覚悟はある』と呟いたであろう。西郷が江藤を断ったとしても、江藤に対するその心は同士に対するものですよーー人の心の奥底を映し出す鏡がここにある、それを覗いてご覧、と神は私に言われる。大義は新たな国造りである、そのためになると思えば、西郷は動くのである。そのためにならないと思えば動かない、それだけである、ぶれがないのである。
西郷は自分たちが戦に勝たなければならない・勝てる、とは思っていなかったでしょう。だったらなぜ、戦などしたのでしょう。彼は、何の益もないことに・血を流さずに済むことに、血を流したくなかったーーとすれば、彼らが流した血は益をうむものであった、血は流されなければならなかった、ということである。内乱の火種は地方に燻っていたのである、彼らの侍魂に火がつけは内戦は起きた、国は再び戦禍・戦火に飲まれたのである。あの薩摩・最強軍隊が負けた、であれば、武士が刀を振るう時代は終わったのだ、そんな見せしめを世にすることが必要であったーー新しい世を実現するには、誰かがこの役を買って出なければならなかった。流されなければならなかった血・犠牲なのである。西郷は、自分の愛する民を犠牲にしようと思われたのである。それがなけれは、国中が再び戦火で焼けたのである。国に反逆した彼が、英雄なわけである。ここに至り、彼の目指した「新しい国」は日の出を見たのである。彼は自ら旧世界の幕引きをし、新世界の幕を開けた、それが彼の戦だったのである。彼は新しい国造りという自分の志を遂げたのである。私は敢えて「戦」と「戦争」と言葉を使い分けた、西郷にあったのは「争い」「戦争」ではなかったから、「戦い」だったから。西郷は新政府を敵として戦った・争ったのではなかった、彼らの国造りを自分にできるやり方で手伝ってやろう、そのために俺は戦う。江藤に対して、俺の民を率いては行けない、と言った西郷であったが、我々の新しい国のためだ、共に戦い果てよう、と彼は自分の民に言ったのだったーーそれが彼らの戦であった。日本は革命国家ではない・革命による生々しい血を流して生まれた国ではない、と思っていたけれど、新たな国は血を流して生まれるものなんですね。日本が近代統一国家として生まれ変わる時、血は流された、西郷さんは革命児だったんですね。続く自由民権運動などを見ても、理想と情熱に燃える若い者たちの血が流れた、彼らは投獄や自らの血を流すことを恐れなかったんですねーーそれはキリストの追随者に見る姿です、彼らはそのような精神を持っていたんですね。お上品に教会の席に座るだけがクリスチャンじゃない、って私が思うわけです。人類は絶えず血を流してきた、人類の歴史は流血の歴史である。その上に私たちが今このような姿で在る、ということである。自由や権利、快適な生活環境、様々なものを手に入れた私たちであるが、それは先人の尊い犠牲の血・積み重なった屍の上に成り立つものである。
私は、神様なんて分からないけど、ご先祖様には感謝してます、今自分がこうしてあるのはご先祖様のお陰だからね、だからお盆にはお墓参りするし、そうして先祖を供養しています、私の友達が言った。クリスチャンの私の夫は、自分の母親(日系人)に仏壇を捨てさせてことを得々と語ってました、母親は娘息子らに説得され泣く泣く捨てたようですが。夫にとって仏壇は異教の習慣、悪魔的なもの、偶像礼拝だったんですね。お葬式で焼香した夫に妻が、あなたクリスチャンでしょう(クリスチャンならすべきではない)と苦い顔をした、教会内でそんな姿も見た。両親がクリスチャンの家に生まれ育った、生粋、バリバリのクリスチャンの妻と、妻との出会い・結婚をきっかけにクリスチャンとなった夫とでは、違っていたんですね。自分の方が早くからキリストを知っている、キリスト教文化の根づいた国に生活していた、と思う私の夫も、やはり私を「新米クリスチャン」、クリスチャンとしての正しい知識がない、と見做しているようでした。先祖供養や仏壇について、私は悪いイメージは抱いていないんですね。友達が言ったように、自分が今あるを感謝し、先人を敬う、その労をねぎらいご供養する、ということは、「あなたの父と母を敬え」と言う聖書の教えの延長上にあるように思えるから。
葬式の焼香がどうのこうの、やれ仏壇が偶像礼拝だ、そんなこと言うのがクリスチャンなら、クリスチャンとはひどく無礼な人たちだ。人のお葬式に行って、あなた方のやり方は感心できません、それは私には出来かねます、あなた方の流儀ではなく私どもの流儀に従わせてもらいます、と言ってるのと同じだ。「郷に入れば郷に従え」と言った日本人の方が賢いです。死んだ人を悼む式典がその家族の思う形式やその地方の風習に従って行われていれば、そこへ行く私はその彼らの形式や望まれるやり方に従います、それは私のクリスチャンとしての良心に恥じることではありません。焼香しないのが正しいクリスチャンだとしたら、クリスチャンとは余りに形式的です、あまりに無礼です。クリスチャンが伝えるべきものは、そのような風習や儀式(の形式を重んじること)ではなくて、その精神であるはずである、キリストの人となりであるべきである。
ーーすべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが有益とはかぎりません。すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが徳を高めるとはかぎりません。だれでも、自分の利益を求めないで、他人の利益を心がけなさい。市場に売っている肉は、良心の問題として調べ上げることはしないで、どれでも食べなさい。地とそれに満ちているものは、主のものだからです。もし、あなたがたが信仰のない者に招待されて、行きたいと思うときは、良心の問題として調べ上げることはしないで、自分の前に置かれる物はどれでも食べなさい(聖書・コリントⅠ 10:23〜)
と、キリストも言っているではないか。自分が行きたいと思って葬儀に出席したら、その家の者たちは良かれと思うことをしているのだから、それは頂けません、そんなことを言う方がおかしい・恥ずべき・無礼・良心に反することなのだ。家の主人があなたをもてなそうと用意した食事を、腐敗していますね、と言うようなものだ。家の者が死者を送り出そうと真心込めて用意した式である、彼らの良心ややり方を尊重して、焼香をするくらい何がいけないのだ、それで傷む私の良心ではない。
ーーしかし、もしだれかが、「これは偶像に捧げた肉です。」とあなたに言うなら、そう知らせた人のために、また良心のために、食べてはいけません(この辺り、聖書ってのは難解なんですよ。要するに、誰かがそれを悪いこととあなたに教えてくれたために、それをすることに対してあなたの良心が痛むなら、それをしないことだ、そう言ってるんだと思います。が、次を読むと)、私が良心と言うのは、あなたの良心ではなくて、ほかの人の良心です(なるほどね、前文を注意深く眺めれば、「良心のために」とあるが、誰の良心のためなのかは述べていない。では読み替えよう・訳し直そう。誰かがあなたに「それは悪いことですよ」と教えてくれた場合、あなたがそれを無視して悪いと言われることをしたなら、「あなたがそれをするなら、私も」、もっと言えば「赤信号みんなで渡れば怖くない」そうなればその人のためによくない、その人たちの良心・心がけを挫くことになるので、悪いと言われたことはしない方がいい、あなたが他の人たちの悪い手本・手引きとなってはいけない。が、またしても)、私の自由が、他の人の良心によってさばかれるわけがあるでしょうか(と来る。聖書ってのは全く厄介だ。ここの解釈をするとすればーー私たちは自分がどうするも自由なのだ・どんなことをしてもいい、それを他人の良心・他人の定める善悪によって『そんなことすべきではない』などと自分を抑えたり・自分の自由(な意思)を制限したり、『そんなことをする自分は罪人だ』と自身を裁いたりすべきではない。あなたが自身の良心の声に聞き従いするどんなことも、他人の定める善悪によって裁かれない。『私は自身の良心に従い本当はこうしたい』が『そんなことをすれば人がどう思うか・何を言うか』、そんなことを思っていては何も出来ない・そうしていては本当にいいことは出来ない。とでも訳しておきますか)。もし、私が神に感謝を捧げて食べるなら、私が感謝するもののために、そしられるわけがあるでしょうか(この一文は、偶像の肉(律法違反・罪・二番目の夫との道ならぬ関係)を食べた私に、神が無罪宣告を出した、と私は解釈しています。私はそれを神に感謝を捧げて・神を賛美して頂きました。私の「救いの証」(バプテスマ式で神と人との前で読み上げる証文)を読めば分かるでしょう、証文については後々お出しできればと思っていますが。「♪いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、すべてのことについて感謝しなさい」それが神が私たちに望むことよ。私たちは良心・内なる神を傷めては喜びを感じることができないんです。どんなに人の言う良い行いをしても、自分の良心が傷んでいるなら、それは上辺だけの取り繕ったことをしているからだ、真心のないこと・偽りを行なっているからだ)。こういうわけで、あなたかたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を表すためにしなさい。ユダヤ人にも、ギリシャ人にも、神の教会にも、つまづきを与えないようにしなさい。(〜コリントⅠ 10:31)
この箇所の本質を一言に要約すれば「あなたの良心が律法である」。あることが自分の良心を傷めないのなら、私たちは自分自身の良心に従って好きな振る舞いをしていいのだ。問題はそれをすることで自分の良心が傷むか、傷まないかである。あなたが良心を傷めることについて、神はあなたをさばくのである。もっと言うなら、神は私たちに良心を傷めて欲しくないのである、それは私たちの中の神を傷めることだからである。私たちは自分の良心の傷まない振る舞いをするべきなのである。それが真に有益で、私たちの徳を高めることである、全体としてそんな解釈ですかね。要するに自分が良いと思うことはしなさい、悪いと思うことはすべきでない、従うべきは自分の良心、自分の良心が律法です。そうして文字に書いてある律法は廃れる。私はそう読みますが、クリスチャンは聖書をどう読んでいるのか分からない。聖書を律法書のように読んでいるのだろう。聖書の上っ面を読んでいるのが教会に通うクリスチャンだ。要するに律法主義、形式主義だ、彼らは自らが憎む姿・非難する姿・パリサイ人(「忌まわしいものだ。律法主義者のパリサイ人」とイエスが呼ぶ者)になっている。彼らはパリサイ人を憎む・非難するが、自らが律法学者・パリサイ人になっている、そのことに気づきもしない。なんという矛盾・皮肉。
律法がなければ、人々は好き勝手悪いことをし、この世界は無秩序と闇が支配するようになる、果たしてそうだろうか。律法のある今のこの世界は秩序と公正に満ちた世界であろうか。表向きそのようになっているが、法の目をかい潜った犯罪が横行する世界ではないか、ルールに縛られてどんなことも・たとえそれが良いことであっても思うように出来ない世界ではないか。要するに法律などあってもなくても、悪いことをする人間は悪いことをする。しない人はしない。。私たちの良心と法律、どっちが完全か。法律が弱者の味方とは思えない・法律は持つ者の権利や財産を守る、持つ者・強者にとっての鉄壁の身の守りなのだ、「パンの一つくらい腹の空いた子供にくれてやってもバチは当たらん」「目を瞑って見ない振りをすれば済むことだろう。盗人などどこにもいないであろう、腹を空かせた男がいるだけだ」とは言ってくれない。私たちが譲り合うことが出来ず、相手の立場に立つことが出来ず、争いになるから、その仲裁役・解決係に法律を立てた。法律が破られたと誰かが告訴されれば、その弁護係に弁護士が付き、最終判断は裁判官がする。そうして人は法律が不完全な存在(法律の不完全さを是正するのに人を用いている)だと、認めている・証しているではないか。法律は善悪の判別のつかない幼子に与えられたものだ、と聖書も述べている。大人の私たちが従うべきは良心である。金持ちが、貧しい者が盗みを働いたと鞭打っているのを見て、私たちは気持ちがいいだろうか。痩せこけた貧乏人を気の毒に、太った金持ちを憎く思うだろう。良心は弱者の味方である。人々が良心を曇らせることがこの世界を薄暗くするのだ。ただ、あなたの良心がただの正義感に終わらないことを案ずるが。悪は法の目をかい潜る、その悪を捕らえようと、法の網の目はタイトに・細かくなる、悪はますます巧妙に複雑になる、どんなに法を厳しくしたって・その網の目を細かくしたって、悪が捕らえられるわけではなく、返ってタイトに・細々となった法は悪を働かない真面目な人たちを不自由にする。私たちの行動は細部に至るまで法や規則で規定されるようになるだろう、法はそうして私たちをがんじがらめにする。それこそ彼ら(サタンの手下ども)の狙うところところだ。いい加減に気づいたらいい。われわれから自由を奪い、自分の考えでは何も出来ない人間を作ること、それが彼らが目的とするところだ。法律によって秩序を守り、人々の権利を守り、正義と公正を実現し、それは表向きで、私たちはその表向きを信じ込まされている。要するに彼らの「正」に騙されている・洗脳されている。
それとやはり、一つアウトラインだけでも話しておかなければならない。偶像の肉を食べたと言う私としては、それが責務かと思う。最初の夫の家にいた時、私は何が不服だったかと言えば、夫を心底愛せない自分が不服だったのだ。エホバの証人が来て、楽しい家庭生活とは、良い妻とは、そんな話をした。そんなことは重々承知です、私は家事はきちんとこなし、子育てをし、無闇に外に出歩くこともありませんし、夫に弁当を持たせ、玄関口で夫を見送りますし、帰宅の時には玄関口で出迎えます、良い妻がすべきことは全てやっています。良い妻であろう・ありたいと心がけています。けれど問題は、私が心底夫を愛せなくなったということなのです。そのことで彼を気の毒に思っていました、『彼はもっと良いもの、もっと優しく、もっと温かく、もっと円やかな、もっと幸せになれるものを受けてもいいはずなのに、私はそれを彼にあげられない』と、自分自身を責めていました。愛する家族と一緒に永遠に楽園で過ごすのです、とエホバの証人が言う度に、『ああ、あなたたちには分からないでしょう。私が夫と一緒に行く場所は地獄なのよ。私は自分が彼に最良を与えられないことを日々悔いています、彼を心底愛せない自分、それは私を永遠に責め苛むでしょう、それは永遠の地獄の責め苦でしょう。そこでは私の愛は死んでいるのです。たとえ私が彼にどんなに親切な振る舞いをしたとしても、それは喜びに満ちた奉仕ではありません』そんなふうに思った。『彼らは私に、神の教えを守り、この夫と共に地獄に行けと言っているのか』エホバの証人の教えなど、私には何の役にもたたないと、訪問を断った。その教えで、私は彼の優秀な家政婦にはなれても、彼の良い妻にはなれない。私の心は頑なで、彼を許し受け入れることが出来なかった。努力はしてみるものの、何気ない(彼にとっては悪意のない)一言で、また振り出しに戻ってしまう・私の心はまた閉ざされてしまう。彼に悪気がない(彼は自分の言葉のまずさに気づかない)分、余計に厄介だった。悪気がないのだから私が赦さなくてはならないと思う反面、これが彼の本心なんだ、と思ってしまう。ある朝私は玄関口で彼を見送ったが、私の目の前にある映像が浮かんだ、それは妹の旦那・鉄筋屋の彼が高い桁の上で作業している姿だった、私の夫は安全な屋内で図面を書く仕事だ、それが何なのか私は気づいた、鉄筋屋の妹の旦那のように危険な高所で働くのではない夫、今日も無事に帰ってくる夫を残念に思ったのだ。『彼が死んでくれたら、私は彼の妻・地獄の責め苦から解放されるのに』私の心の奥底には彼への殺意が秘められていた。彼を殺すなんて馬鹿なことをするつもりはない・そんな罪を着るつもりはないが・そんな積極的な殺意は持てないが、『彼が死んでくれたら』と彼の死を容認した。キリストの教えでは、実際それを行わなくても、その思いを心に抱いた時点で、それを行なったことになる・自分はその罪を犯したことになる。自分が殺人罪、私はもう耐えられなかった。「♪いつも喜んでいなさい、絶えず祈りない、全てのことに感謝しなさい」私はまるで真逆の場所・神から離れた場所・地獄にいたのだった。まるでドラマのように、その時現れたのが第2の夫だった。自らをクリスチャンだと言う彼は、私が求めた神・キリストを連れて・伴って来た。私は、彼がクリスチャンらしくない、掟を破るクリスチャンだということも気に入った。きれいなだけのクリスチャンを疑っていたのだ。夫にふさわしい妻は私ではない、偽りの妻が陣取ることで彼は返って幸せを逃しているかもしれない、席が開けば、その席に別の誰かが座れるだろう、私よりも彼の妻にふさわし女性が来るかもしれない。私が一緒にいて彼にすることは、彼を地獄の道連れにすることくらいだ。今は彼は傷つき、私を憎むだろうが、いつか分かってくれるかもしれない、私はそこに希望を置くことにした。最初の夫のところで、私の良心は責め苦を受けていた、魂は死んでいた・地獄に落ちていたのだ、良心をめった刺しにし、自分自身を殺す、そんな罪を犯していた。勿論偶像の肉(道ならぬ関係)を食べることも罪である。どっちに転んでも罪なら、私は私の良心を守り、律法の罪を犯そう。教会や世間で私は罪人、その重い十字架を負って歩かなければならなかったが、甘んじて受けた。私は自分の良心をそうして獄屋から解き放った。(2026年挿入)第2の夫との第2ラウンド・大バトルが控えているとも知らずに、「♪いつも喜んでいなさい、絶えず祈りない、全てのことに感謝しなさい」歌いましよ。
(2026年追記)私がきれいさっぱり教会に行かなくなったのも、教会に行けば自分は律法違反の罪人だからです。自分をそのように肩身の狭い者とし、自身に対する罪意識を持たなければならない・それを拭うことが出来なくなるからです。それでなければ、彼らの良心を蔑ろにしてしまうからです。彼らの良心のためには、私は喜び勇んでそこへ行かなくていいんです。そこに神がおられるわけではなく、『自分は神と共にいる』と私が自覚するところに神はおられるのだから。「律法と良心の狭間にある自分」それは私の人生を通してのテーマでした。私はやっと、自分の良心に軍配を上げることが出来、真の救いを得たのです。2度目のバプテスマ式をしたような晴れやかな気分です。バプテスマ式とは罪咎を洗い流し、新しい自分に生まれ変わる式・「新生の式」です。
(2022年追記) 私の祖母はお盆に仏壇にお供えをしましたよ。きゅうりやナス、ほおずきなど色とりどりの野菜だったり、爪楊枝の脚がついて馬のように形作られたナスだとかがわらの船に乗っていたり、祖母の工作を見て心楽しかった。クリスマスに色とりどりの飾り付けをするのと同じ様な嬉しさがあった。日本の農村て殺風景で色彩に乏しい、外国は飾り付けが多くてカラフルだ、私はそんなふうに思っていたんだけど、私が子供時代を思い出す時、見えるのはいつも、祖母の家の彩り・色取りのある庭だった、季節ごとの花が植えられていて、花摘みすることができた。庭にござを敷いて飯事するとき、『お花さんごめんなさい』そんな気持ちで花を摘んだ。お墓参りに行くときには、祖母は庭先の花をチョキンチョキンと切った(ハサミの音まで耳に残っている)。柏餅を包む葉も庭の木から取った。畑の野菜や庭の草花や木々は、彩・色取りに満ちていたんだな、草や野菜や葉っぱにしたって、濃いものから薄いものまで色々な緑色があった、と思う。山の新芽や紅葉、田園風景にしたって緑の水田から黄色の実り、季節ごとに変化のある色彩でいっぱいだったのだ。それらはクリスマスツリーの飾りつけのようにどぎつい自己主張はしなかったけれど、生活の中に溶け込み、人に嬉しさをもたらすものだった。アメリカのホームドラマは夢のよう、彼らの日常生活にも色が溢れている、対して貧しい日本の農村はモノトーンのように色彩に乏しい、そこで生活してきた日本人の色彩感覚も乏しい、私はそんなふうに思っていたが、日本人ほど繊細で豊かな色彩感覚を持っている民族はなかった、花や月を愛でたり、雛祭りも、鯉のぼりも、七夕飾りも、色彩のある季節の行事は多い。行事はまた家族を一つにするものでもあった。私は祖母や母がせかせかとそんな行事の用意をするのを見るのも嬉しかった、待ち遠しさが募った。畑仕事や庭の手入れ、食事の支度などの家事、包丁研ぎに至るまで、私は祖母のすることを見ることができた、大人と子供が一緒に生活していた。今って大人は大人で仕事に行く、子供は子供で学校や学習塾に行く、お互いに何をやっているのかよく分からない、親と子供が一緒にいて、子供が親から生活の仕方を学ぶ、そんな大人と子供が一緒の時間て少ない気がする。祖母は私たちがお飯事してるのをちょっと気にして、花豆をお椀に入れてくれたり(私は本物の豆でお飯事できるのが嬉し誇らしかったり)、私は今日のおかずは何だろうと祖母の台所を覗いたり、お互いに見るともなく相手の姿ややっていることを見ていた。とても嬉しく、安心な子供時代だった。
(2026年改稿)以前は、自分を教会に行かないクリスチャンという立場において書いていたが、今回私は、最早キリスト教に見切りをつけて、クリスチャンという地位を捨てて改稿します。
神の導きで自分はクリスチャンになったと信じていますが、同じ神の御心により自分は教会を離れた、とまた思っています。クリスチャンの私はそこに身を置くことで・それ(異国の宗教)をよく知ることで、日本人の信仰・神仏感がまたはっきりと見えてきたのです。外国に行ってみて、日本を再発見する、そんな感じです。自分は日本や日本人について何も知らなかった、誤解していた、西洋の煌びやかさや先進性にひかれたけれど、それは表面だけのメッキだった、純金はやっぱり黄金の国ジャパンにあった、と知った。東大出の塾長(私の上司)に西郷さんについて聞いてみたが、20歳の時の私のような答えだった。
「新政府であの人は何もやってないですよ 。新政府が出来た時にはもうあの人の出番はなくなってました。西南戦争で負けただけです」
彼の言葉には、西郷さんを時代遅れの敗北者と見ている感があった。高学歴と現代の価値観を持っては、西郷さんは理解できない存在・魅力ない存在なのだろう。高学歴者の人生経験なんて、その程度に浅いもの。彼も私と同世代だが、彼は未だ私の若い時の考えにとどまっていた。自分は高等教育を受けた・学校で十分な学びをした、そんな若者が父や祖父を無学で時代遅れと思うのと同じ。学問・知識を得ることでは、分かり得ないものが世の中にはある。真を知るには正しい経験が要る。じいさん、ばあさんを侮るなかれ。祖母と同じ畑仕事をやるようになって、私は祖母を知り、祖母に敬意を覚えた。以前には私の中で、無学で無力な祖母・時代遅れな存在だったが。高学歴者ほど、自分の知識に自信を持っている、それが正しいと信じている、何故なら学校でそう教わったから、『自分は学校できちんと学んでいる・自分は人より勉強している、大学へも行っていない・きちんと学んでもいない人の言うことなど』そんなふうに思っている。それに、有名大学出の彼らはそんなふうに人生かけて積み上げたきた・学んできたものを今更崩せない・覆せない、自分自身が最も価値を置いてきたこと・最も信じてきたこと・最も鼻高に思っていたことだもの、自分そのもの・自分の人生を否定するようで、出来難いのだ。自分たちが教育によって洗脳された存在なのだなどとは、到底信じることができない。クリスチャンも高学歴者も似たようなところがある。キリストも知識・学歴も、彼らにとっての偶像なのだ。そこには真のキリスト・神も、真の知識・知恵もなかった。聖書も教科書・学術書も、書物なんて捨てて、ご先祖様・祖父母・父母と同じことをやってみることだ。ご先祖様・祖父母・父母を知るには、彼らと同じことをやってみることだ。私は無学で無力な祖母の知恵を軽んじていたが、祖母と同じことをしてみてその知恵の深さに感銘を受けた。自分が親になってみて、親のことが分かる。自分が祖母と同じ畑仕事をしてみて、祖父母の見た景色・風景を見ることができる、同じ風を感じ同じ空気を吸うことが出来る、彼女を理解することが出来る。私はそうして、聖書も教科書も全て捨ててしまった。何故ならどんなに書物を読み漁っても、どんな権威ある書物を読んでも、決して辿り着けなかった・求め得なかった・探し得なかった真の世界が祖母の中にあったから。「灯台下暗し」とはよく言ったものだ。世界一周して探し求めたものが、実は自分のすぐ近くにあった。聖書はまどろっこしく、難解で、グダグダ言葉を並べるが、我らがご先祖様たちは何でも短い言葉で本質を伝えた、ウイットに富んだ人たちだったんですね。果樹など植えていても、「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」とか「桃栗3年柿8年柚子の馬鹿やろ18年」とか。なるほど、植えた果樹の中で一番最初に実を着けたのが桃だった、柚子は未だに花さえ咲かせない。
私が近しく交わっていたのは近くに住む母方の祖母だったが、お盆やお正月に行く父方の祖母の家で思い出すのも、やはりその色彩だった。夏の庭の松葉牡丹の色とりどりで鮮やかな様だったり、軒下に吊るされたとうもろこしや干し柿の枯れ色だったり、裏の田んぼの赤トンボの群だったり、闇夜に飛ぶ蛍だったり、竹藪の竹色とそこから聞こえる騒がしいほどの雀の声だったり、『「雀のお宿」って本当に竹藪の中にあるんだな』と思った。静かだけれど賑やか、様々な音・ざわめきに満ちていた、一人暮らしのおばあさんには、それらは賑やかな生命の営みの音に聞こえたろう。たくさんの生命がひしめき合っている、その囁きや息吹きが聞こえるのだ。色彩と音・囁きに溢れ、そして何より香り、おばあさんが仏壇に線香をあげる香の匂いが家に染みついていた。日本人はずっと昔から匂いを魔除や邪気払いに使っていたが、香りには実際にそんな身を守る効果があるのだと、近年気づいた。藁を混ぜ込んだ土壁、戸に隙間もある、そんな家でムカデも出なければ、虫も侵入して来なかった。不思議と言えば不思議だが、おばあさんが毎朝あげるお線香には、そんな効果があったのではないかと気づいた。なおかつおばあさんの家には、囲炉裏もあった。虫や獣は匂いにとても敏感なのだ。彼らは本来人間の空間に入り込もうなどとは思っていなかった。仏壇に線香をあげるってことは、実際的な身守り・見守り効果があったのだろう、香による身守り・邪・蛇よけと、ご先祖様による見守り、おばあさんの家にはその香りと共に清浄感が漂っていた。おばあさんたち・ご先祖様たちはそうしていつも家を清めていたのだろう。アロマ・お香ブームもあり、私も家に仏壇はないがお線香を炊いてみた。「おばあさんの匂いはいい匂い。おばあさんの匂いを炊きましょうね」おばあさんの匂いを炊くことで、おばあさんと対話する、祖母たちが仏壇にお線香をあげていた理由が分かったような気がした。離れ離れになった人々をどんな気持ちで日々思ったか、彼らに思いを馳せたか。おばあさんたちは先立った夫であれ、親族であれを、日常に近しく感じていた。その存在は決して死者ではなかったのだ。そりゃおはぎだってお供えしますよ。お線香もお供えも、私にとって形式的に見えていたことだが、おばあさんたちには至極実際的・現実的・中身のあることだったのだ。私もおばあさんたちと同じく歳を重ねて、近い人々を多々見送って来ると、こっちの世界と向こうの世界の仕切りが薄くなっていく。皆がいるそっちに行くのも悪くない、そう思えて来る。この世界には楽しいことがたくさんある、未来は私の前に開けている、そう思っていた若い時分と違って、こっちの世界の楽しいことはどんどん減って、愛する人々も楽しいことも向こう側に移って行く、死が恐ろしい刑罰ではなく、恩赦・恩恵にも思えて来る。愛する人々との楽しい時は向こう側にある、過去の楽しかった思い出もこれから迎える再開の楽しい時・喜びの時も、向こう側では過去もこれからも重なっているのだ。時間がなく、親しい人々・愛する人々との楽しい時・喜びの時があるだけだ。そこではもう死や離別に怯えることもない。親しい人々・愛する人々・ご先祖様を通すと、天国を自分のすぐそば近くに感じることが出来る、その実在を感じることが出来る。愛する彼らはこうして私のそば近くにい・私は日々彼らと語り合い、彼らのいる場所・天国も薄絹一枚隔てたすぐ隣にある、薄い仕切りを破ってふっと向こう側に行けるのではないか、そこに吸い込まれるようにスッと入って行く自分の後ろ姿が見える気がする。間もなく60才、私は歳をとったのである、若い時には見えなかった景色が見える。
仏壇を目の敵にした夫だったが、私には仏壇があることの益の方が見えて来る。毎朝仏壇や神棚にお水やご飯を供えることで、1日の始まりの引き締まった気持ちを持てるし、食事に対する感謝も芽生え、自分が真っ先に食べるんじゃないお行儀のよさも身につく。真っ先に優先するものが何か、見えない存在を認めている、優先するのは自分自身ではない、自分の(食)欲が真っ先でない、感謝の心であったり、人を自分に優先させて大事にする心であったり、仏壇や神棚が日本人の家にあることは、自分ファーストとは違う心を養うことになっていたのではないか。そう考えるとき私は、それらはただの思想ではなく私の経験則・肌感覚なのだが、仏壇や神棚をキリスト教とは違う異教のもの・偶像礼拝・悪魔的なものとし排斥することが適ったことなのか疑問なのである。それらを目の敵に駆逐しようとする彼らの考えに疑問を抱いてしまうのだ。日本人は無宗教や多信仰だと言われるが、日本人の日常生活の中に自然の色彩が溶け込んでいたように、神仏・信心は日本人の中に溶け込んだものだったのではないか。日本人の神仏感は、自己主張の強いキリスト教の宗教観とは違うのである。表現の仕方が違うだけで、日本人は無信仰だったわけではない、非常に信心深い。教祖がいて、聖典があるのが宗教、キリスト教にも教祖的存在のキリストがいて、聖書がある。先生(キリストも釈迦もそう呼ばれていた)がいて、弟子たちがいて、教えを乞う人々がいる。教会でも牧師が壇上で説教する。正に「教え」なのである。日本に根付いているのはそういう宗教・教えではない。山に住む人々には山の自然への恐れがついて回るだろう、がその景色の美しさには喜びを、土地の産物には恵の感謝を、森の音を愉快だと感じることもあれば不気味だと感じることも、風を心地よく感じることもあれば不穏に感じることも、そうやってそこに満ちているものに畏怖や感謝を抱くようになる、心の中に自然と湧いて来る信仰心である。誰が先生なのでもない、強いて言えば、そこにいる大きいも小さいも生命たち、そこにある木々や草花の息吹、それらが教えてくれるのである、語りかけて来るのである。田畑の作物、道端の雑草に咲いた小さな花、草の陰の虫たち、飛ぶ虫たち、そんな小さな存在の声が聞こえてくるのである。人はそれらに目を留め、耳を傾け、それらとの対話を試みるようになる。彼らはあらゆることを語り、教えてくれる。彼らが生命の大合唱をしていると気づくのである。海で生活すれば、やはりそこにも同様のものがあるだろう。偉い先生や人々に尊敬される弟子、権威ある法王や壇上の教師、そんなヒエラルキーはない。個人は自然(とそこに満ちる生命・神霊)と直接交わる・対話するのである。どんな学問の書を開いても権威ある書を開いても聖なる書を開いても、知ることの出来ない、経験・体験によってのみ知ることの出来る知性がある。先生・教師も教科書・教本・読本もいらないのである、記されたそれらは分厚い法律書である。宗派・分派によって同じ聖書の解釈が違っている、彼らにとっては聖書も解釈を必要とする法律書なのではないか。自分たちの勝手な解釈で仏壇も神棚も偶像礼拝と決めつけているのではないか。異教の神を祀る祭壇も死者を祀る仏壇も打ち壊せ、あなた方はそれを捨て、私たちと同じものを拝みなさい、それでは戦争になるのは当たり前。キリスト教の神様は、戦争を引き起こす神様だ、なんて神様が誤解がされている、それはクリスチャンと名乗る人たちの行いがそうだからです。彼らは人につまづきを与えているんです。彼らは偽のクリスチャンですよ、キリストの名を語った侵略者ですよ。キリスト教と言いながら、キリストの思想ではなくて、自分たちの思想を広めたかっただけですよ。それは西洋合理主義や植民地支配、自分たちが勝手に作ったルールを相手に押し付ける、相手が言うことを聞かなければ武力行使、自分ファーストな考え、かもしれません。
キリスト教の神であるヤハウェ(エホバ)には神殿があったではないか、日本人が神に社を、仏様に壇を与えたとして、何がいけないのだ。彼らの神殿をめぐっていつも戦争が絶えない。物笑いの種ではないか。旧約聖書では神殿は大事な役を果たしている、神の臨在の場である・神が人と会見する場である。大きな神殿は戦争でもあれば、災害でもあれば、崩れ落ちてしまう。それを・神殿・神の臨在の場を小分けにして、家々・家族家族が持っていたらどうだろう、それが神棚だろうし、もっとコンパクトにすれば日本人が肌身離さず持つお守りである。戦争や災害で失われることがあってもミニチュアであれば再建も簡単である、お守りであれば懐に入れることも出来る、神を懐に抱く、それが日本人である。「懐に抱く」って言葉のイメージが湧きますか? 一番大事、決して離さない、自分の要、自分の中に大事に持って決して離さない、自分自身の存在意義・自分そのもの、それを失くせば自分本来の姿を失う。愛や慈しみの感情。自分自身を抱くような感情です。相手との一体化、相手を自分のコアとして持つ。神という存在をそうして抱いていれば・神を自分の本質として保持していれば、どんな悪いことも出来ません・神を離れたどんなことも出来ません。家々・各家庭が持つ小さな神の宮・神棚は、人が神と交わりを持つ場・人が襟を正し神と面会できる場である、面会したいと思えば人はその前に立てばいいのである。神棚の前で手を合わせればいい、日常の中でいつでも出来る。聖地に巡礼するような大袈裟さも難儀もない。朝起きて神棚の水をかえる、神と日常を共にしていた。日常の中に神がいた。日本人は神を自分たちのそば近くに、非常に自分たちに近いものとして捉えていたのだ。自分たちが喜ぶものは神も喜んでくれるだろうとお供物をしたり、舞や音楽を捧げたり、皆で集って祭をしたり、神と人は共に楽しんだ、しきりに交流を持った・絶えず交流していた。神話の神様が人であるようにーー人の姿をし、人のように生活し、人のように人格や個性を持ち、喜怒哀楽妬みや臆病様々な感情を表すようにーー日本人にとって神様は自分たちと似たもの・同様のものなのだ。
ーーわれわれに似るように、われわれのかたちに人をつくろう(聖書)
神が人を創造した時の言葉であるが、神の存在形態は「われわれ」でり、人もまた「われわれ」という同じ形に作られた。神はまた、われわれというかたちの人と、われわれ神々とで、「われわれ」神人となろう・神と人とで「われわれ」という関係・結びつきを作ろう、と望まれた。神と人とが「われわれ」という形に融和・融合するのである。聖書の言葉であるのに、そのイメージは、キリスト教を掲げる彼らより、日本人に重なるのよね、「神は人、人は神」って感じに互いの存在が近い・垣がない。キリスト教は神と人とをまるで違ったもの、隔ったもの、仲違いの存在としている。日本人と神様の晴れやかで陽気な関係と比べると、陰気なのがキリスト教である。キャンドルや聖歌隊やステンドグラスのある大聖堂やクリスマスツリーや、どんなに明るく暖かく清浄に装っても、それらは全て陰鬱を隠すためのもの、根が陰気。日本人は神を分霊して御霊を分け合うが、神棚もお守りもそう、そうして皆が同じ神を共有するが、キリスト教ではキリストの身体を皆が分け合う、一つのパン(キリストの体)をちぎり、ワイン(キリストの血)を飲む、教会で今も行われている儀式・聖餐式である。グロテスクな儀式だと思わないか。正に凄惨ーー教会を離れて、外側から見てみれば、気分が悪くなるようなもの、常軌を逸したもの、カルト的なものと感じられる。日本人がどんなに神を細切れにしても、それは神の身体を裂くような陰惨なものではない。
日本にはそれこそたくさんの神社がある。コンビニの数より多いと言われる。車のない時代、年寄りも子供も歩いて行ける範囲になければならなかったのだから当然である。神社は民の集いの場でもあったのである、みんなで集まって神に感謝を表す祭をしたり、村の決め事をしたり、神意・御心を頂いたり、中央からの伝達の情報網の役割を担ったのも神社だったと言う、お米の保管庫でもあったそう、情報も物も神社に集まった。民の生活の中心・真ん中・真中に神がいた。日本各地に神社があり、それぞれがそれぞれの神様をお祀りしているが、どこの神社の神様はお参りしてはいけない、あそこの神社の神様は自分たちの神社の神様とは別のものだ、などと言わない。神様は神様で、同じと思っているからである。日本人が神様を「お天道様」と喩え呼ぶことからもそれは分かる。お天道様が一つであれば、神様も一つである。以前クリスチャンであった時には、狐や蛇などの動物や歴史上の人物を祀るのは問題あると考えていたーーあなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。(聖書・出エジプト記20:4・5)ーーという旧約聖書の記述・十戒に抵触するし、戒律以前に、自分とは全く違うもの、狐や蛇や、牛や象なんかを象って、これがあなた(の姿)だなんて言われたら、自分が神様でも憤慨するだろう、と考えていたからだが、今は、蛇や狐が神格化されていてもいいと思う。日本人は神の「化身」とか神の「お使い」とかいう言葉を使った。蛇や狐が神様なわけではない、神様の姿が蛇や狐なのでもない。神様は蛇や狐の姿を借りて、人の前に出て来た、人の前に直接姿を現すことは出来ない・そんなことをすれば人は死んでしまうから、例えば燃える太陽や稲妻に人は近づくことが出来ますか、神様は自分で人の近くまで行くことが出来ないから「伝えておくれ」と蛇や野の獣、鳥など、人の身近な存在にお使いを頼むんですよ。そうして人の身近に・人の生活の中に神様は溶け込んでいた・日々を共にしていた。日本人が生き物に対する殺生を嫌うわけもここにあります。誤っても、天使・御使を殺すなんてしたくないでしょう。日本人には日々の生活の中で、小さな命の声を聞くという能力があったんです。『ああ、何か語りかけられてるな』と感じることがあるでしょう。私たちが彼らの存在に気づいて、目を留め、足を止めすれば、小さな物が自分に対して声を発するのを聞くようになると思いますよ。事実私は、何度も聞いているから言うんです。家の庭によく狐が出る、あの狐は何かを知らせたくて来ているのでは、あの狐が来ると何か起こる、不思議な狐だな、神様の御使いかもしれない、そんなふうにして狐が神格化されたかもしれない。日本の神話に神様が大勢登場しても聖書が言うように神様が「われわれ」という存在ならば、それが神様本来の姿であろう、日本の神様は「われわれ」と言う家族なのである。太陽、木や岩などの自然物、神話の神々のような人、狐や蛇、鳥や虫、神様を七変化させることで、返って日本人は神様に姿を与えないのである。神様はあらゆる姿を取りうる、万物の中に宿る存在である。「あなたの中にも、私の中にも、神がいます」「神の霊は万物の中に宿っています」キリスト教の言うところの「神の遍在」と同じ考えである。日本人が「お天道様が見ている」と一つしかない太陽を神様に例えるのは、太陽が「天におられ地上の全てを見ている唯一のお方」という存在の象徴だからである。して見ると日本人は一神教である。ルーズな多神教あるいは無信仰・無宗教だから、他の宗教に寛容なのだ、それは日本人に対する誤った見方です。キリスト教が異国の神々を偶像と攻撃するのは、自分たちの神とよその国・よその民の神々と、あたかも神が複数存在するかのように捉えているってことです。事実彼らのその考えが、唯一であるはずの神をそのように分裂させて、争わせているのである。聖書を聖典とするキリスト教は、聖書の言葉に対して矛盾だらけである。聖書を読んだことのない日本人の方が、聖書の言葉に忠実であるように思われる。それは聖書の上っ面を読んで満足していては、見えないことである。私はこうして、私を真のクリスチャンではない・「生温いクリスチャン」「白でも黒でもない、グレーなクリスチャン」と言った夫に報復を果たす。彼対私、即ちサタン対女の対決は未だついていなかった。夫は
「君がそんな考えなのは、君にサタンが取り憑いているからだ。その考えを捨てない限り、君は神の元には行けない」
など散々なことを言ったが、サタンに取り憑かれたのは彼か私か、やっと決着がつくだろう。
日本には神社とお寺という別々のものがある、神社は神を祀るものであり、お寺は先祖供養をするためのものである、日本人は先祖や仏壇を神として崇めていたのではないことが分かる、両者をきちんと区別していたのである。祖父母の家にも私の父母の家にも、神棚と仏壇の両方があり、神棚は仏壇の上、仏壇より高い位置に置かれていた。日本人が先祖を神のように祀っていたわけはないのである、先人に感謝し先人を記憶にとどめたい、彼らを自分たちの身近な存在として感じていたい、思いを馳せたい、面影を忍びたい、語りかけたい、そんな心の表れが仏壇となったのではないか。神と仏は本来対立関係にあるものではなかった。それぞれ別の意味を持つ、違ったものだった。だから仏壇を勝手に神に敵対するもの、偶像礼拝、悪魔的などと、勝手な解釈で排斥するクリスチャンはいかがなものなのか、彼らは真実のクリスチャンなのだろうか。我が家は神道、我が家は仏道、などと分けが出てきたのは、「一神教」を豪語するキリスト教が入って来たことによる弊害、キリスト教を真似た、派閥・党派主義や、信者集めの偽宗教が現れて来たからではないか。同じキリスト教でもカトリックとプロテスタント、私の夫はカトリックのことも激しく憎んでいた。カトリックもプロテスタントも同じ聖書の教えを持っているが、両者の対立のもとがどこにあるかと言えば、教会の中にキリスト像が飾られているかいないか、信者がロザリオ(十字架のネックレス)をぶら下げているかいないか、そんなところにあるのである。プロテスタントの夫は、ステンドグラスのあるような豪華絢爛、贅を尽くした建物をカトリックの悪徳だ、浪費でしかない、と言ったし、聖者の像を並べるのも、キリスト像すらも偶像礼拝にあたる、教会は屋根に十字架があるだけの簡素なものが望ましい、贅沢な建物も聖者像も、キリスト像すらいらない、自分たちはそのような偶像ではなく聖書にのみ忠実であればいい、教会のシンボルは十字架のみで事足りる、と言った。これも私の経験則・肌感覚なんですけどね、私は実は子供の頃教会学校に行っていました。カトリック系だったと思います。私はその部屋でキリストの肖像画や十字架につけられたキリスト像(教会にあるような大きなものではなく、机の隅に乗るようなミニチュアでしたが)を見ました。十字架にかけられたキリストの姿はヒロイック・鮮烈で、幼い私の心を揺さぶりました。キリスト・神に対する私のイマジネーションが働きました。あのヒロイック(英雄的)な姿を教会の中で見られないとしたら、どこで見るのでしょう。どこで見る機会を得られるのでしょう。教会の中にあのヒロイックなキリストの像の一つくらい置いてあった方がよい、私はそこから・キリストのその姿からイマジネーションを養い、霊的なものを受けた・得たのですから、と思うのです。私はあの像を拝んでいたのではなく、そこから湧くイマジネーション・精神や霊的なものといった見えないものを拝していたのですから。建物を取り壊せ、像を除き去れ、そんなことを言う、そんな見える部分にこだわる、そんなことのために唯一神を分断する、一つのもので取り合いの喧嘩をする、「キリストは自分たちのものであって、お前たちのものではない」そんな争いをする、あなたたちの方が偶像礼拝なんじゃないですか。私が教会から遠退いたわけです。
「私は神様から直接話を聞いてるから、教会に行かなくてもいいの。私が『分からない、教えて』って言えば、神様は何でも教えてくれるから」
私がこんなことを言ったので、もちろん夫は不味いものを食べた時のような顔をしましたよ、臭いものでも嗅いだような顔をしましたよ、
「君は間違っている。君は牧師先生より偉いのか。君がどんな間違いを犯しているか、牧師先生に聞いてみたらいい」
って。彼は私をお話しにならないクリスチャン、何の知識もない、勉強が足りていない、そんなふうに思っていました。だけど神様がこんな風に口を開くとは、彼らの方が勉強が足りていない、何の知識もない・無用な知識を振りかざす、お話しにならないクリスチャンなんですよ。
戦没者を祀った靖国神社もまた論争ですが、人・死者を(寺ならいいけど)神社って神の座・おめでたい場に祀るのはNGと以前は考えていましたが、自国民のために自分の命を捧げた彼らと世人のためにご自身の命を差し出したキリスト、自分の命を犠牲に人を助ける、両者は同じ姿をしています・両者の姿は重なって見えます。キリストが神なら、彼らも神でいいのではないでしょうか。私はキリストは人の子であり(聖書の中でキリスト自身自分を「人の子」と呼んでいます)、神ではなかった、自身の使命を遂げた・自身の命を犠牲に人を助けた時、神となったのだ、と思います。台湾にはそうして神様となった日本人が祀られていると言います。台湾の村人たちの自分たちは助けられた、ありがたい、という気持ちが彼を神様としたのでしょう。ありがたいものは神様、それは台湾人だけでなく日本人も同じかもしれません。世界共通同じなのではないでしょうか。
負けた西郷さんをかっこよくない、どこがヒーローなのか、理解できない、と言った私ですが・未熟な私には理解し難いことでしたが、分かる人には分かる、日本人には刺さる、魅力があるのが西郷さんだったんですね。泥をかぶることが出来るのがヒーロー、(昔の)日本人は物事の裏・隠れた部分を見るのが上手だったんですね。今の日本人はどうですかね?
学問・知識の及ばない・それでは到達出来ない・知ることの出来ない、知性がある、それが神かもね。




