↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/31

第9話 ― おとなしいマルチーズ

歓迎会の翌朝

フォレストの2階

「……うう」

花子はベッドの上で頭を抱えていた

頭が割れそうだった

昨日は飲みすぎた

普段はあまりお酒を飲むほうではなかったが、久しぶりに楽しい時間だったせいで、いつもよりたくさん飲んでしまった

特に最後に仁と話したことが、ずっと頭の中に残っていた

そして昨日あったことも

酔った男たちが自分に近づいてきたこと

そして仁が戻ってきた瞬間

花子はぎゅっと目を閉じた

昨日の仁を思い出すと、心臓が少しだけ高鳴った

普段は静かで落ち着いている人

けれど、昨日は違った

前髪をかき上げたときに見えた眉の上の傷

そして、自分を守ってくれた姿

「仁さん、昨日はかっこよかったな……」

花子は思わず呟いた

すると、自分の言葉に顔を赤くした

「いや、私、今何考えてるの……」

花子はふらふらしながら、なんとかベッドから起き上がった

「う……頭痛い」

ふらつきながら階段を下りた花子は、1階へ向かった

そしてフォレストに着いた瞬間

「おはようございます、花子さん」

「……」

花子は固い表情で仁を見つめた

仁はいつもと何も変わらない様子だった

すでにフォレストの掃除をしていた

「……仁さん」

「はい」

「大丈夫ですか?」

仁は首を傾げた

「どこがですか?」

「昨日あんなに飲んだのに……」

仁は何かに気づいたような表情で言った

「ああ、二日酔いなら大丈夫です。私はお酒に強いほうなので」

「……」

花子は黙って仁を見つめた

そして心の中で思った

『私だけこんなに苦しんでる……』

仁はそんな花子をしばらく見つめてから尋ねた

「花子さん、大丈夫ですか?」

「大丈夫じゃないです」

花子は正直に答えた

「頭がすごく痛いです……」

「それなら、まず水を飲んだほうがいいと思います」

仁は用意しておいた水を花子に渡した

花子は水を受け取った

「……ありがとうございます、仁さん」

「いえ」

花子は水を一口飲んだ

しばらくすると

仁が厨房から何かを持ってきた

あさりの味噌汁だった

花子は目を丸くして仁に尋ねた

「仁さん、これは一体?」

仁は何でもないような顔で言った

「二日酔いで苦しんでいるかもしれないと思い、今朝コンビニで買ってきました」

花子はしばらく微笑んだ

「……仁さん、本当にありがとうございます」

「大したことではありません」

「おかげで助かりました」

仁は頷いた

「それはよかったです」

花子はあさりの味噌汁をゆっくり飲み始めた

温かい汁が身体に入ってくると、少しずつ頭がはっきりしてくるような気がした

そうして花子は仁のおかげで二日酔いを少し和らげ、フォレストの仕事を始めた

仁はいつものように店内を整えていった

ブラシやハサミを元の場所に戻し、トリミングテーブルもきれいに拭いた

「仁さん」

「はい」

花子が予約表を持って近づいてきた

「今日は予約のお客様がいますね」

「どんな犬ですか?」

「マルチーズです」

「マルチーズ……」

仁は頷いた

しばらくすると

チリン

ドアに付いたベルが鳴った

「いらっしゃいませ」

一人の女性が小さな犬を抱いて入ってきた

真っ白な毛

小さな体

そして丸い目

マルチーズが一匹、花子の腕の中で静かに周囲を見ていた

「こんにちは」

花子が笑顔で挨拶した

「今日も全身カットですよね?」

「はい、今日もよろしくお願いします」

飼い主が笑顔で言った

「ナナ、今日も大人しくしていようね」

「久しぶりだね、ナナ」

花子がナナの頭を撫でた

ナナは尻尾を軽く振った

飼い主は花子にナナを預けて店を出ていった

チリン

ドアが閉まった

仁はナナを見つめてから花子に尋ねた

「あの方は常連さんですか?」

「はい、フォレストによく来てくださるお客様です」

「そうですか」

仁はナナの頭を優しく撫でた

「名前はナナなんですね」

ナナは仁の手を大人しく受け入れていた

仁はその様子を隣から見つめた

「……大人しいですね」

花子が笑った

「はい、この子はとても大人しいので」

「トリミングのときも大人しいほうですか?」

「はい。ほとんど動かないですよ」

仁がナナを見つめた

ナナと目が合った

「……」

「……」

ナナはじっと仁を見つめた

仁もじっとナナを見つめた

しばらくするとナナが尻尾を軽く振った

仁はほんの少しだけ頷いた

「静かな子ですね」

花子が笑った

「仁さんも、もう犬と話す方法が少し分かってきたみたいですね」

「話してはいません」

「今、話してたじゃないですか」

「……そうですか?」

花子が笑った

「はい」

ナナはトリミングテーブルの上に乗った

花子がナナの状態を確認し、独り言のように呟いた

「それじゃあ、始めようかな」

花子がハサミを手に取り、ナナの毛を丁寧に整え始めた

サクッ

サクッ

ハサミが動くたびに、ナナの毛が少しずつきれいに整えられていった

ナナは大人しく座っていた

仁は隣で静かにトリミングの様子を見ていた

しばらくすると

花子がハサミを置いた

「カットはこれくらいで大丈夫です」

「はい」

「それじゃあ、次はシャンプーですね」

仁が待っていたかのように言った

花子は笑いながらナナを抱き上げた

「仁さん、ナナのカットが終わるのを待ってたんですか?」

仁は少し慌てた様子で言った

「花子さん……どうして分かったんですか?」

花子は笑いながら言った

「顔に全部書いてありますよ」

「そうなんですか?」

「はい」

自分の気持ちを花子に見抜かれた仁は戸惑ったが、それでもすぐに平静を取り戻した

そしてナナを優しく抱き上げ、シャンプースペースへ移動した

お湯の温度を確認したあと、ナナの身体をゆっくり濡らした

「熱すぎないようにしてくださいね」

「分かっていますよね?」

「はい、もちろんです」

仁はお湯の温度を調整し、ナナを洗った

仁はナナが水の中でも大人しくしているのを見て、少し驚いた表情で言った

「本当に大人しいですね」

「ナナが特別大人しいのもありますけど、犬によって反応は違うので、いつも気をつけないといけません」

「はい」

仁はナナの身体を丁寧に洗った

花子は隣でその様子をじっくり見ていた

「それから、顔周りは特に気をつけてくださいね」

「はい、もちろんです」

シャンプーが終わると

花子がナナをタオルで包んだ

「次はドライですね」

「私がやってもいいですか?」

花子は仁にドライヤーを渡した

「はい、どうぞ」

仁はドライヤーを受け取った

「ありがとうございます」

花子が笑いながら言った

「むしろ私がお礼を言わないとですね。私の仕事が減ったんですから」

「そうなるんですか?」

「はい」

花子の答えを聞いた仁は、少しだけ微笑んだ

そしてナナの毛をゆっくり乾かし始めた

ナナは大人しく座っていた

仁は風の強さと距離を調整しながら、丁寧に毛を乾かしていった

花子はその姿を見つめていた

「仁さん」

「はい」

「ずいぶん自然になりましたね」

仁はドライヤーを止めずに答えた

「そうですか?」

「はい。最初はこういうのも少し苦手だったのに」

「……そうでしたね」

花子が笑った

「仁さん、自分の成長に気づいてないんですね」

「まだまだ覚えることが多いですから」

「それはそうですけど」

花子は仁を見つめた

「でも、最初よりは確実に上手くなっていますよ」

仁はしばらくナナを見つめた

そして再び毛を乾かした

「……ありがとうございます」

ドライが終わると

ナナの真っ白な毛は、さらにふわふわになっていた

花子がブラシを仁に渡した

「最後にブラッシングをすれば終わりです」

仁はブラシを受け取った

そして丁寧にナナの毛をブラッシングし始めた

サッ

サッ

ナナは何の反応も示さなかった

仁は少しずつ力を調整しながらブラッシングしていった

花子はその様子を見つめた

「仁さん」

「はい」

「本当にずいぶん自然になりましたね」

仁は手を止めずに答えた

「そうですか?」

「はい」

「最初はブラッシングも少し苦手だったのに」

「……そうでしたね」

花子が笑った

「仁さん、自分の成長に気づいてないんですね」

「まだまだ覚えることが多いですから」

「またそうやって言う」

花子が笑った

仁は何も言わずに微笑みながら、ナナの毛をブラッシングした

そして最後まで丁寧にブラッシングを続けた

「終わりました」

花子がナナを見つめた

「本当にきれいになりましたね」

仁も隣で仕上がりを見つめた

「そうですね」

しばらくすると

飼い主がナナを迎えにフォレストへ戻ってきた

チリン

「ナナ!」

飼い主が嬉しそうにナナを見つめた

「まあ、もっと可愛くなりましたね」

ナナも尻尾を振った

「今日も大人しくしてましたよね?」

花子が笑った

「はい。本当に大人しかったですよ」

飼い主は仁を見た

「こちらの方も手伝ってくださったんですか?」

「はい」

花子が答えた

「最近、仁さんがたくさん手伝ってくれているんです」

飼い主は仁に笑顔を向けた

「ありがとうございます」

仁は頭を下げた

「私の仕事ですから」

「それでも、ありがとうございます」

飼い主はナナを抱いてフォレストを出ていった

チリン

ドアが閉まった

仁はしばらくドアを見つめていた

「……」

花子が仁を見つめた

「仁さん」

「はい?」

「嬉しそうですね?」

「そうですか?」

「はい」

仁は少し考えた

「お客様が満足してくださったので」

「それが嬉しいんですか?」

「はい」

花子が少し笑った

「私と似てますね」

「……」

仁は花子を見つめた

花子が微笑んだ

「私もお客様が満足して笑ってくださると、嬉しいんです」

仁は少し考えてから頷いた

「そうですか」

仁は軽く答えたあと、さっきナナが座っていたトリミングテーブルを見つめた

初めてここへ来たときは、犬にどう接すればいいのか分からなかった

けれど、今は少し違う

どの犬が緊張しているのか

どの犬が安心しているのか

ほんの少しだが、見分けられるようになった

「……少しは分かってきた気がします」

「何がですか?」

「犬がどんな気持ちなのか」

花子が微笑んだ

「じゃあ、ずいぶん成長しましたね」

「まだまだです」

「またそうやって言う」

花子が笑った

「仁さんは謙虚すぎる気がします」

「そんなことはありません」

「じゃあ、どうして?」

仁は少し考えてから答えた

「……まだ自信がありません」

花子はその言葉を聞いて、しばらく仁を見つめた

そして優しく笑った

「大丈夫ですよ」

「……」

「ゆっくりでいいんですから」

仁は花子を見つめた

「はい」

そのときだった

下のほうから小さな足音が聞こえてきた

モチが現れた

「ワン」

「モチ」

花子がモチを見つめた

モチは仁に近づいてきた

そして何でもないように仁の足元に座った

仁が見下ろした

「今日はお前の番か?」

モチが尻尾を振った

花子が笑った

「モチもブラッシングしてほしいみたいですよ?」

仁はしばらくモチを見つめた

そしてブラシを手に取った

「それなら、やってあげましょう」

仁がモチの毛を丁寧にブラッシングし始めた

モチは大人しく座っていた

花子はその姿を見ながら微笑んだ

フォレストの午後は、そうして静かに過ぎていった

大きな事件もなかった

特別なこともなかった

けれど、仁はそんな一日が嫌いではなかった

むしろ、こうした平凡な時間が少しずつ好きになっていた

そして、それこそが仁がフォレストで新しい人生に馴染んでいる証だった


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。