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第25話 ― かわいい王様ミルキー

暖かな日差しがフォレストの窓から差し込んでいた。

数日前までは朝晩にまだ肌寒さが残っていたが、今では窓を開けていても寒さを感じないほど、暖かくなっていた。

そのおかげか、フォレストを訪れるお客さんもかなり増えていた。


仁はトリミングテーブルの周りを片づけたあと、床に落ちているほこりをほうきで掃き集めた。

そして、もう一度床を確認してから、ほうきを片づけた。


そのとき、二階から階段を下りてくる足音が聞こえた。

「仁くん、もう掃除終わったの?」

彩香が階段を下りながら声をかけてきた。

「はい、今終わったところです」

「相変わらず早いね」

彩香は周囲を見回し、床の隅に小さなほこりが残っているのを見つけた。

「あ、あそこに残ってる」


仁の見落としだった。

彩香はほうきを手に取った。

仁は慌てて自分のミスを片づけようとした。

「俺がやります、彩香さん」

「いいよ、これくらいは私がやらなきゃね」

彩香は床に残っていたほこりを掃き集めた。

その様子を見ていた仁は、ばつの悪そうな顔をした。

「ありがとうございます」

「これくらい、どうってことないよ」


彩香がほうきを隅に立てかけたときだった。

「二人とも、もう下にいたんですね」

カウンターの奥から花子が出てきた。

「花ちゃん、起きたんだ」

「うん、おはよう」

「おはよう」

「おはようございます」

彩香は小さく首を傾げた。


仁は二人の会話を聞きながら、トリミング道具を確認していた。


今日もいつもと変わらない一日が始まろうとしていた。

そうして午前中の時間が少し過ぎた頃だった。


チリン


フォレストのドアが開き、小さなベルの音が鳴った。

「いらっしゃいませ」

花子が客を迎えた。

一人の女性が、腕に犬を抱いて入ってきた。

仁も自然とそちらに目を向けた。

犬は長く垂れた耳と大きな目をしていた。

柔らかな毛の間から茶色の模様がのぞいており、小さな体のわりには、どこか堂々とした表情をしていた。

店に入ってくるなり、犬はゆっくりと周囲を見回した。

やがて、仁と目が合った。


仁はしばらく犬と目を合わせた。

犬もじっと仁を見つめていた。

そして、すっと顔をそらした。

まるで、自分からわざわざ興味を示す必要はないとでも言いたげな態度だった。


仁はしばらく犬を眺めたあと、花子に視線を移した。

花子は客と話をしていた。

「今日はトリミングをご希望ですか?」

「はい」

「かしこまりました。トリミングの際に、何か特に気をつけてほしいことはありますか?」


花子に尋ねられ、女性は少し考え込んだ。

「うーん……この子、ちょっと自己主張が強いところがあって」

「自己主張ですか?」

「はい、嫌なことは嫌だって、はっきり態度に出すんです」


女性は笑いながら、犬の背中を撫でた。

「でも、人が嫌いなわけじゃないんですよ。気に入った相手には、すごく懐くんです」


花子は犬に目を向けた。

「そうなんですね。そういえば、お名前は何というんですか?」

「ミルキーです」

「ミルキーちゃんですね」


女性がミルキーを預けて帰ると、花子は笑顔でミルキーの頭を撫でた。

ミルキーは花子の手をおとなしく受け入れていた。

しかし、仁が少し近づくと、ミルキーは顔を上げて仁を見た。


仁は手を伸ばさず、その場でしばらくミルキーの反応をうかがった。

ミルキーはしばらく仁を見つめていた。

やがて、ゆっくりと顔をそらした。

その様子を見て、彩香が笑った。

「この子、面白いね」

「そうですか?」

「うん、仁くんに見られても、全然気にしてないみたい」


仁はミルキーを見つめた。

「警戒しているようには見えませんね」

「じゃあ、大丈夫なんじゃない?」

「おそらく」


そのとき、彩香が花子に尋ねた。

「花ちゃん、この子って何犬なの?」

「キング・チャールズ・スパニエルだよ」

「キング・チャールズ・スパニエル?」

彩香は目を大きく見開いた。


そして、もう一度ミルキーを見た。

「ちょっと待って」

「どうしたの?」

「キングって?」


彩香は思わず吹き出した。

「うん、キング・チャールズ・スパニエルだよ」

彩香はミルキーの前にしゃがみ込んだ。

「ミルキー王様?」


ミルキーは彩香を見つめた。

彩香はミルキーと目を合わせたまま、小さく首を傾げた。

「なんだか、最初から王様みたいな顔をしてると思ったんだよね」

「それ、どういう意味?」

花子が笑いながら尋ねた。

「だって、見てよ」


彩香はミルキーを指さした。

「この表情。完全に自分のお店だと思ってるでしょ?」

ミルキーは相変わらず平然とした顔で、彩香を見つめていた。

「……そう言われると、本当にそんな気がしてきた」

花子はミルキーを見て笑った。


仁もミルキーに目を向けた。

確かに、さっきからミルキーはフォレストの中を歩き回りながら、みんなの動きを観察していた。

それなのに、不安そうにしたり緊張したりする様子はない。

むしろ、自分がこの場所の様子を確かめているとでもいうような態度だった。

彩香はミルキーの頭をそっと撫でた。

「よし、今日は王様のお世話をしながらトリミングだね」


ミルキーは彩香の手をおとなしく受け入れた。

そして、彩香が手を離すと、自然な動きで体の向きを変えた。

彩香はくすっと笑った。

「本当に王様みたい」

仁はそんなミルキーを見つめた。

「王様か……」


なんだか、今日も楽しい一日になりそうな気がした。

しばらくして、花子はミルキーをトリミングテーブルのほうへ連れていった。

ミルキーはおとなしくついてくるように見えた。

ところが、テーブルの前まで来ると、突然足を止めた。


花子は慎重にミルキーの様子をうかがった。

「ミルキー?」


ミルキーは動かなかった。

「大丈夫だよ。すぐに終わるからね」

花子がもう一歩近づくと、ミルキーは体を横にずらした。

「あれ?」


その様子を見て、彩香が笑った。

「王様が拒否してるよ?」

「彩香、からかわないで」

「ごめんね、花ちゃん」


花子はもう一度ミルキーを見た。

仁も近づこうとして、足を止めた。

無理に抱き上げるより、まずはミルキーが何を嫌がっているのか確かめたほうがよさそうだった。

仁は腰を落とし、ミルキーと目線を合わせた。

「ミルキー」

ミルキーは仁を見た。


仁はゆっくりと手を差し出した。

ミルキーは仁の指先に鼻を近づけ、匂いを嗅いだ。

しばらくすると、何事もなかったかのように仁の手をぺろりと舐めた。

「……大丈夫そうです」

「じゃあ、仁さん。一度連れていってもらえますか?」

「はい」


仁はミルキーに手を差し出した。

ミルキーはしばらく仁を見つめていたが、今度は素直に仁のそばへ寄ってきた。

彩香は目を丸くした。

「あれ?」

「どうしました?」

「仁くんにはおとなしいんだね?」

「そうですね」


仁はミルキーの様子を慎重に確かめた。

ミルキーは仁の手を嫌がる様子もなかった。

花子が笑った。

「仁さん、犬たちと仲良くなるのが本当に早くなりましたね」

「そうですか?」

「はい、前は少し緊張している様子もありましたから」


仁はミルキーの頭をそっと撫でた。

「俺も少しずつですが、慣れてきたみたいです」

「そうですね」


花子は笑顔でうなずいた。

その様子を見ていた彩香が、小さな声でつぶやいた。

「王様も仁くんのことは気に入ったみたいだね」

「そうみたいですね」

仁が答えた。

「仁くんが答えることなの?」

彩香が笑った。


仁もかすかに微笑んだ。

トリミングが始まった。

花子が毛をカットしようとすると、

ミルキーはまるで何か注文でも

あるかのように体の向きを 変えた。

そのせいでカットは少し難しくなったが、花子は慌てることなく、ミルキーの反応に合わせて落ち着いて作業を進めていった。


サク

サク


「ミルキー、カットは終わったよ。次はシャンプーだね」

「仁さん、お願いします」

「はい」


仁はミルキーを抱き上げ、シャンプー台へと移動した。

ミルキーは最初こそおとなしかったが、シャンプーのために水を出し始めると、突然体を動かした。

「ミルキー、大丈夫だよ」

仁は落ち着いた声でなだめた。

しかし、ミルキーは水が苦手なのか、体を小さく震わせた。

「水が苦手なんだな」


仁はミルキーを見つめながら、優しく声をかけた。

「じゃあ、もう少しゆっくりやろうな」


仁はもう一度、水の温度を確かめた。

そして、ミルキーの体を少しずつ濡らしていった。

ミルキーは不快そうに体を動かしたが、最初のように大きく動くことはなかった。


仁は急がなかった。

手でミルキーの体をゆっくりと撫でながら、水に慣れる時間を与えた。

「大丈夫だよ」

ミルキーは仁を見た。

「もう少しだけ頑張ろうな」


ミルキーはしばらく仁を見つめたあと、再び顔を下げた。

そうして少し時間が経つと、ミルキーも最初より落ち着いてきたのか、ずいぶん穏やかな表情になっていた。


仁は慎重にシャンプーを続けた。

シャンプーが終わる頃、ミルキーが突然前足を上げ、仁の腕に乗せた。

「ん?」

仁はミルキーを見た。

ミルキーは仁の腕に前足を乗せたまま、じっとしていた。

少し離れたところから、その様子を見ていた彩香が声をかけた。

「仁くん」

「はい?」

「王様、仁くんに寄りかかってるよ?」


仁はミルキーを見つめた。

「そのようですね」

「すっかり気に入られちゃったみたいだね」

花子も笑った。

「ミルキー、仁さんのことを安心できる相手だと思っているみたいですね」


仁はしばらくミルキーを見つめた。

そして、静かに言った。


「よかったです」


シャンプーが終わると、次はドライに取りかかった。

仁がドライヤーを手に取ると、ミルキーは再び緊張した様子を見せた。


ドライヤーの音に反応して、耳を少し後ろに倒した。

仁はすぐに強い風を当てたりはしなかった。

まずは弱い風を少し離れたところから当て、ミルキーの反応を確かめた。

ミルキーは仁を見つめた。

「大丈夫だよ」


仁はドライヤーの位置を少しずつ調整した。

花子も隣でミルキーの様子を確認した。

「仁さん、耳のあたりは少し気をつけてくださいね」

「はい」


仁はミルキーの長い耳をそっと持ち上げ、慎重に毛を乾かした。

ミルキーは一瞬体をびくっとさせたが、すぐにまたおとなしくなった。

「さっきより、ずいぶんおとなしくなりましたね」

花子が言った。

「最初は慣れていなかったからだと思います」

「そうみたいですね」


彩香が少し離れたところから眺めながら言った。

「それにしても、仁くんって本当に不思議だね」

「何がですか?」

「初めて会った犬なのに、こんなにすぐ仲良くなれるんだもん」


仁はドライヤーを動かし続けながら答えた。

「犬が安心できることが大切ですから」

「おお」

彩香はいたずらっぽく笑った。

「なかなかプロっぽいことを言うようになったね」

「まだまだです」

「でも、前よりずっと自然になったよね」

花子も笑顔で言った。

「そうですね」


仁はそれ以上答えず、ミルキーの様子に集中した。

ドライが終わると、最後にブラッシングを始めた。

ミルキーの長い毛に、ゆっくりとブラシを通していく。

ブラッシングが進むにつれ、柔らかな毛並みがきれいに整っていった。

いつの間にか、ミルキーはトリミングテーブルの上でゆったりと伏せていた。

トリミングを始めたばかりの頃とは、まるで別の犬のようだった。


彩香はミルキーを見て笑った。

「王様、ようやくご満足いただけたみたいだね」

ミルキーは彩香の声を聞いて顔を上げた。


それから、再び仁を見つめた。

仁がブラッシングを止めると、ミルキーは体を起こした。

そして、仁のほうへ一歩近づいた。

「ミルキー?」

ミルキーは仁の手に顔をすり寄せた。


仁はしばらくミルキーを見つめてから、頭を撫でた。

すると、ミルキーは仁の手をぺろりと舐めた。

彩香が笑った。

「王様のお許しが出たね」


花子も笑顔でミルキーを見つめた。

「仁さんのことが気に入ったみたいですね」

「そうみたいです」


仁の顔にも小さな笑みが浮かんだ。

しばらくして、花子はミルキーの仕上がりを全体的に確認した。

「きれいに仕上がりましたね」

仁もミルキーの毛並みを眺めた。

店に入ってきたときよりも、毛がすっきりと整っていた。


ミルキーは自分の体を確かめるように、一度ぶるっと身を震わせた。

そして、何事もなかったかのような顔でトリミングテーブルから降りた。

その様子を見て、彩香が笑った。

「本当に最後まで王様だったね」

花子も笑った。

「ミルキーは最初から最後まで変わらなかったですね」


仁もミルキーを見つめた。

「自己主張がはっきりしているようですね」

そうして三人は、飼い主が迎えに来るまで楽しい時間を過ごした。

しばらくすると、飼い主がミルキーを迎えにやってきた。


ミルキーは飼い主の姿を見ると、嬉しそうに尻尾を振った。

そして、飼い主が近づく前に、再び仁のほうへ歩いてきた。


仁はミルキーを見つめてから、手を差し出した。

ミルキーは仁の手を一度舐めた。

「また会おうな」


仁が静かに声をかけた。

ミルキーは返事をする代わりに、尻尾を振った。

「あら」


飼い主は笑った。

「ミルキーが自分からこんなふうに近づくなんて、本当に珍しいんですよ」


花子は微笑んだ。

「今日は安心してトリミングを受けられたみたいで、よかったです」

「本当にありがとうございました」

飼い主はお礼を言ってから、ミルキーを抱き上げた。


ミルキーは飼い主の腕に抱かれたまま、フォレストの中を見渡した。

彩香が手を振った。

「またね、王様」


ミルキーは少しの間、彩香を見つめたあと、再び仁のほうに目を向けた。

そして、飼い主と一緒にフォレストを出ていった。


チリン


ベルの音とともに、ドアが閉まった。

花子はドアを眺めながら微笑んだ。

「本当にかわいい子でしたね」

「はい」


仁もうなずいた。

彩香はミルキーが出ていったドアを見つめ、くすっと笑った。

「王様って呼んでたけど、本当に王様だったね」

「それでも、おとなしくトリミングを受けてくれてよかったです」

花子が言った。

「そうだね」


彩香は振り返り、カウンターのほうへ向かった。

「じゃあ、ちょっと待ってて」

「どこへ行くんですか?」

「すぐ戻るから」

そう言って、彩香は奥へ入っていった。

仁と花子は顔を見合わせた。

「何でしょうね?」


仁が尋ねた。

「さあ?」

しばらくすると、彩香がカップを二つ持って戻ってきた。


カップからは、ほのかに温かな香りが漂っていた。

彩香は仁と花子の前に、それぞれカップを置いた。

「仁くん、これ飲んでみて」

仁はカップを見つめた。

「これは?」

「私が作ったんだよ」

「この前いただいたカフェラテとは違うみたいですね?」

「うん、今回はバニララテだよ」


彩香は自分のカップを持ち上げた。

「花ちゃんも飲んでみて」


花子もカップを手に取った。

「ありがとう、彩香」

「どういたしまして」


仁もカップを持ち、一口飲んだ。

口の中に、ほのかなバニラの香りとまろやかな味わいが広がった。


仁は少しの間、カップを見つめた。

「おいしいです」


彩香はすぐに笑顔になった。

「本当?」

「はい、おいしいです」


花子も一口飲んでみた。

「本当においしいね」

「花ちゃんも?」

「うん、おいしいよ」


彩香の顔に、満足そうな笑みが広がった。

「次も期待しててよね!」

「はい、それじゃあ楽しみにしています」

「私も楽しみにしてるね、彩香」

彩香はいつもより機嫌がよさそうだった。


仁はもう一口飲んだ。

フォレストの中には、静かで温かな空気が漂っていた。


花子はカップを手にしたまま、窓の外を眺めた。

「今日もいい天気ですね」

「そうだね」

彩香が答えた。


仁も二人を見つめてから、カップを置いた。

今日も、特別なことは何もない平凡な一日だった。

犬の世話をすることも、人と話をすることも、そしてフォレストで一日を過ごすことも。


仁は目の前に置かれたバニララテを見つめた。

そして、もう一口飲んだ。

疲れが癒やされていくような気がした。

窓の外では、風がゆっくりと吹いていた。

フォレストの一日は、そんなふうに穏やかに過ぎていった。

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