26話
ゆっくりと瞼を開く。小さく欠伸をしながら体を起こし、寝ぼけ眼でどうして寝ていたのかを思い出していった。
確か、朝にはちょっと早い時間に目が覚めた。二度寝するには微妙か、と判断して、ふらりと外に出た。団欒室によって、飲み物を買った。飲み物の容器を投げ捨てて、ゴミ箱に入らなかったところに……ナトゥラに扮したあいつが来たのだった。そしてあたしは身体の自由を奪われた。
「……バカだな、ほんと………」
ここは人族が多い。それがどういうことか、わかっていなかったわけではないはずなのに。油断して、馬鹿正直に信じて、あの様だ。
あたしがしっかりしていなければいけなかったのに。何をしていたのだろう。逆に迷惑を掛けてしまっているではないか。
「あの後……何があったんだっけ………」
少し、記憶が混濁している。身体の自由を奪われた。そこまではしっかりと覚えている。あんなに屈辱的なことを忘れられるわけがない。だが、その後がぼんやりとしていた。まるで夢でも見ていたかのように、上手く思い出せない。
もしかして、捕まってしまったのか?いや、それなら体は拘束されているはずだ。加えて、裸に引ん剝くなり怪しげな何かに繋ぐなりしていてもおかしくない。それがないのだから、おかしいと思う。
「そもそも、ここはあたしの部屋だしな………」
今では見慣れた天井。家具も自分の使いやすいように配置を変えたり、買い替えたりしていた。すべて見覚えのあるものだ。どこかに連れて来られたわけではなさそうだった。
だとしたら夢だったのか?それにしてはリアル過ぎた気もするのだが……やはり寝起きのためか、記憶が混濁している。何があったのか思い出すためにも、もう一度あの場所に向かおう。そう思って、ベッドを降りようとしたところで気付くことができた。何があったのかも。
「……!そうだ、あたしは………」
助けられたのだ。罠に嵌めたのが人族であるのなら、助けてくれたのもまた人族だった。身体が動かなくなったあたしは誰も信じられなくなって……仲間を傷つけた。本物のナトゥラでさえも弾き飛ばし、混乱することしか、喚くことしかできなかった。
そんなあたしだったのに、手を差し伸べたやつがいた。自分が傷つくことも厭わず、何度も迷惑を掛けて、嫌な女だったはずだったのに。
「あたしは………!」
その人族は床に倒れていた。夥しい量の血で、床は血の海と言っていいほどの血が溜まっている。血は止まっているようだが、どう見たって助かる量じゃない。
ふと、自分の手に目が行った。偶然だった、と思う。だがそれを見て、あたしは罪悪感に押し潰されそうになった。
「なんで、お前は………!」
手には床に倒れている人物の手が重なっていた。ひどい手だ。何をどうすればここまでになるのか。手の甲は雷に焼かれ続けたためか、肌の色が変わってしまっている。それだけならまだいい方だが、皮膚がただれ、火傷の跡がくっきりと残っている。魔法を使って処置したところで、ここまで来ると傷跡はどこまで頑張っても残ってしまうだろう。
けれど、本当にひどいのは手の甲ではない。ずっと握っていた手の平の方だ。皮は破れ、肉がむき出しになっている。肉が薄かったであろう所などは、骨までもが見て取れる。肉の焦げる臭いが発生している。それもそうだろう。しっかりと焦げた跡が残っている。
「……もう、どうしようもねえよ。これは………」
ここまでの傷であると、完全に治すことなどできるわけがない。きっと傷ついた方の手は一生使うことができなくなるはずだ。利き腕がどちらかはわからないが、ほとんどの人族は右利きだ。利き腕を潰してしまったことになる。あたしのせいで………
それ以前に、あたしはこいつの命を奪った。助ける必要なんてなかったはずだ。価値なんてなかったはずだ。意味なんてなかったはずだ。なのに、そうするのが当然だと言うように、こいつは動いていた。名前もちゃんと覚えてないのに……こうして、ずっと手を放さないでいてくれたのだ。
「……ハッ、あたしも何も変わらねえじゃねえか………」
恩人に迷惑を掛けておいて、何を平然としていたのだろう。いつも向けられていた善意を突っ撥ねておいて、最後まで何も返すことはなかった。これでは、どちらが悪人かわからない。
「せめて、綺麗にしてやって………!?」
最後に。せめて、最後にだけはきちんと礼を尽くしたい。そう思って、倒れていた人族を抱き起したときだった。
微かに胸が上下している。口元に耳を近付ければ、弱々しくはあるものの息をしている。まだ、生きている。
何故生きているのか、今はそんなことを考えられなかった。このまま放っておくことなど、それこそ耐え切れるわけがない。
「待っててくれ、すぐにどうにかするから………!」
抱えたそいつをベッドに寝かせ、部屋を飛び出していた。血みどろでベッドが汚れるとか、そんなことはまるで頭になかった。ただただ助けたい。それだけだったのだ。
廊下を駆ける。使える技術をすべてつぎ込んで、今は急ぐ。その甲斐あってか、さほど時間を掛けることなく目的の相手を見つけることができた。
「ナトゥラ!」
「ティオ!?よかった、目が覚めたのね」
振り返って姿を確認するなり、安堵の表情を浮かべた。そんな彼女に申し訳なく思い、頭を下げた。
「悪い、あのときは………」
「ううん、昨日は仕方ないことだったから。悪いのはあの人族でしょ?」
落ち着かせるように目線をあたしに合わせてくれた。ゆっくりと触れれば、いつもと同じように触ることができた。その事実に微笑む。
「よかった、落ち着けたみたいね」
「ああ。迷惑掛けちまったな」
「大丈夫。でも、みんなも心配してたからすぐに会ってあげてね?ずっとそわそわしてるもの」
「そう、だよな………」
仲間にも悪いことをしてしまった。きちんと謝らなければ。
「ところで、大丈夫だった?昨日、あの人族と二人っきりだったでしょ?」
心配そうな彼女の声で思い出した。血だらけで倒れていたあいつのことを。
「そうだ!ナトゥラ、助けてくれ!」
「え、ええ。何かされたの?」
「逆だ!あたしがしちまったんだよ!」
戸惑った様子の彼女に、一から状況を説明していった。あいつは部屋まで運んでくれたこと。一人になるのが嫌だったのを感じ取ってくれたこと。それだけには止まらず、自身が傷つくことを承知でずっと見守ってくれていたこと。けれど……自分のせいで、傷つけて。今は衰弱し切って、大怪我を負っていること。だから、唯一精霊に働きかけることで回復させてやることができる、ナトゥラを呼びに来たことを。
「頼む、お前しか頼れるやつがいねえんだ!」
「……わかったわ。私もあの人族には借りがあるもの。助けに行く」
「……!ありがとう!」
返事をもらって、すぐに移動を始めた。体調が急変しても困る、いち早く治してやりたかった。
「おい、大丈夫……え?」
「どうしたの………って、何これ………?」
あたしの部屋に残っていたのは、血の付着した布団とどこかへと向かっていくかのような血の跡だった。あたしたちが治療しようとしていたやつは、どこにもいなかったのだ。




