19話
振るった腕はリャナンシーに当たる前に止まった。止めることができた。荒い息を繰り返していると、鎧の形が徐々に崩れていく。腕や足の先から光の粒子が昇る。1分ほど時間が経つと、完全に元の状態へと戻っていた。黒い刀がずるりと手から抜け落ち、地面に転がる。体調も状況もあまりよくはないが、最悪ではないだけマシだろう。これでここにいるみんなが全滅しているのは取り返しがつかない。
落ちた『紫月』を拾い上げる。鞘に納め、アイテムボックスから封印用の魔道具を巻きつけた。2回目ともなり、僕の声を聞けば鞘から直に手へと移動できるようになってしまっている。危険極まりない状態であるが、封印は必要だ。誰かの手に渡ってしまえば、またあの悲劇が襲う。しかも、前回と違ってここには師匠がいない。今度こそ手が付けられなくなる。
「……ごめん、迷惑掛けた」
絞り出すような声でリャナンシーに告げる。彼女はホッとしたように座り込む。確かに、あんなことをされれば力も抜けるだろう。今はゆっくり休んでいてほしい。彼女の肩を軽く叩いて歩き始める。
辿り着いたのはヴァンパイアのところであった。虫の息という言葉が正しいほどに弱々しい呼吸。あれだけ悪夢のように思っていた再生力も今は面影がない。ヴァルハラでどれぐらいで死んでしまうのかを見て、体験してきたからわかる。このヴァンパイアはもう助かることはない。僕が手に掛けた。否定しようのない事実だった。
「落ち着けたかい?」
「……どうかな。まあ、不思議とホッとしてはいる」
「あのリャナンシーから聞いたんだ。貴族クラスのヴァンパイアともなると、簡単に死ぬことはできないって。自殺もまず不可能だ、とも」
憎しみが大きくなり過ぎた、というのも盲目になっていた原因じゃある。けど、それにしてはどうもおかしな点があった。人族を憎んでいるのであれば、どうしてわざわざ僕を選んだのか。言い方は悪いが、ここには奴隷とされていたドワーフだっていたはずだろう。そちらを選んで魔道具の発展に活かせばいいはずなのに。それに、そもそもがジョゼフがいるんだ。あいつに技術の発展を急がせればいいだけの話。
それをしなかったのは気持ちにある程度の整理がついていたからだ。きっと憎い相手を、その相手を呼び出した元凶を殺せたことで、止まることができたんだと思う。そして、そこから空っぽの日々が続いた。婚約者は死んでしまったのに、自分はその後を追うことはできない。どれだけの辛さだっただろう。その辛さが彼を変えてしまった。何もかもがどうでもいい、と思うようになったのだ。
「そうだ……彼女にもう会えないのならば、何がどうなってもよかった」
「そう」
「礼を言うぞ。これでようやく会うことができる」
穏やかな顔だった。憎しみや怒りはない。礼を言われるようなことでもないのだけどな。
ふと、扉の方を見る。もうそろそろか、と思ったときに扉が開く。そこには通常のものよりさらに小型の『龍機兵』があり、中から一人の女性をヴァンパイアの隣に下ろす。
「これは………」
「最期ぐらい好きな人の傍で、ね?」
正しくは人ではないのだけど。そう冗談を言う。そして、その場に座る。と言っても、休憩のためにじゃない。この二人に渡したいものがあるからだった。アイテムボックスを探り、この作戦が始まる前に作ったそれを掴む。
「二人にこれを」
「なんだ、それは?」
それは指輪であった。この二人に渡す物であれば、やはりこのアクセサリーしかないと思ったのである。結婚と言えばやはり結婚指輪とイメージするのが普通だろうし。別に他のものでもよかったのだが、強くイメージをすることができる指輪の方が魔道具としての効果は強い。二人を強く結びつけるために、万が一があってもいけないし、こうなるのは当然であるだろう。
二つの指輪は対となるようなデザイン。片方は右だけの翼にシンプルな装飾。もう片方は左だけの翼に可愛らしい装飾。二つの指輪が揃って初めて効果が生じる魔道具であった。
「『比翼の指輪』って言うんだ。これを付けた二人は離れ離れになっても、いつかまた出会えるんだ。姿形を変えたとしても、どこかで必ず」
「それを、私たちに渡すと?」
「ああ。これからの君たちのためと……謝罪の気持ちも込めてね」
「……律儀な男だ」
ヴァンパイアが苦笑して、一つを自分の指に、もう一つを婚約者の指に嵌める。まだそれだけの力が残っている辺り、流石は有名な魔物なだけはあるものだ。もう動けなくなりそうな僕とは大違いである。
「そうだった。一つ頼み事がある」
「なんだい?墓ぐらいなら作るつもりだよ」
「それはどうでもいい。いや、妻のものぐらいは作ってほしいがな。そうではない」
「じゃあ、何を?」
彼が指さしたのはようやく立ち上がったリャナンシーであった。彼女も驚いたようにヴァンパイアを見ている。
「あいつの面倒を見てくれないか?」
「……聞くまでもないんじゃない?」
「まあ、一応言っておきたかっただけだ。心配はいらないとわかっていてもな」
「むしろ僕の方が面倒を見られてるけどね。気には掛けておくさ」
薄く笑い、リャナンシーの顔をしっかりと見る。
「そういうことだ。お前にはこいつが主の方が性に合っているだろう」
「それは………」
「お前の生き方はこれから自由だ。好きに生きていけ。それが元々の主からの最後の命令だ」
彼女は戸惑っていたようだが、一礼する。顔を上げたときには迷いも見受けられない。満足そうに笑い、目を閉じる。
「さらばだ。次に生を授かるときは静かであることを祈っている」
「うん。そうしてみせるよ」
僕の命を懸けてでも。最後まで聞いていたかはわからない。だけど、彼の顔には辛さや苦しみや憎しみがなかった。安らかに目を閉じていた。
こうしてまた背負うものが増えた。けれど、それを悪いとは思わない。彼の気持ちを無駄にしないためにも歩みを止めるわけにはいかない。そこまで考えて、気を失った。




