23話
ノックの音が響く。ちょうど一段落したときであったので、扉の元へと向かう。開けた先に立っていたのは、想像通りというか何というか。ゲイムロルさんがいた。
予想と異なっていたのは、その表情。何故かどこか不満そうな、納得いかなそうな顔になっている。
「どうしました?」
「いえ、特には。模擬戦の時間なので、呼びに来ただけです」
「そうですか。ちょっと待っててください。すぐに着替えてくるので」
ササッと着替えて、動きやすい格好になる。気付けば使っていた服も汚れて、色あせている。それだけ長い時間をここで過ごしてきたということだろう。
お待たせしました、と戻れば、すぐに移動が始まる。いつもと違い、話し掛けて来ることはない。ただ、不機嫌オーラを出すのみだ。
「……決まったんですね。異世界行き」
「………聡いですね、あなたは」
「それぐらいしか誇れるものなんてないですから」
苦笑するも、彼女の機嫌は直らない。正義感が人一倍強い戦乙女なのだ。これは当たり前のことなのかもしれない。
「他にもあるでしょう。私は知っていますよ」
「あはは、そう言って貰えると嬉しいですね」
また、しばし無言の時間が続く。今度は長く、とうとう訓練所に着くまで口を開くことができなかった。
「準備運動は入念に。今日は厳しめに行きますので」
「はーい」
アキレス腱を伸ばしたり、屈伸運動をしたりして、ちゃんと体を温める。ゲイムロルさんの厳しめは通常の人で言う、鬼とかスパルタとか辺りのレベルなので、しっかりやっとかないと死ぬ。いやマジで。それに、きちんとやらなければやらないでまた指導が入るので大変なのだ。
彼女の前に立ったときは、精神集中を終えていたようだ。まるで一本の槍のよう。凄まじいまでの闘気に、怯みそうにもなってしまう。自分を叱咤するために、軽く頬を叩いた。
「……最初に言っておきます」
「はい?」
槍を構えたこの戦乙女には隙がない。10年間向き合ってきたし、攻撃ぐらいしたらどうだとも言われたことがある。自分のポリシーがあるから、結局攻撃したことは一度もない。ない、のだが……攻撃できていたとしても、それが届くかどうかはわからない。それほどに圧倒的な実力だし、それ以前にこの人の本気など見たことがない。恐ろしいことだ。一生を懸けたとしても、ゲイムロルさんに追いつくことはできないのだろうな。そう思うほどには強かった。
ヒヤリ、と首筋が冷たくなった。それは僕を見ている彼女の目が冷たいという精神的なものでもあった。また、恐ろしいまでに速く突き付けられた槍の感触という物理的なものでもあった。
「今回、私はあなたを殺す気で行きます。いつもよりも痛みは大きくなるでしょう」
「へ………?」
冗談かと思って彼女を見るも、その瞳に冗談の色は映っていない。そもそもゲイムロルさんは冗談が嫌いなのだ。
「この程度どうにかできないようであれば、異世界に行ったところですぐに死ぬことはわかり切っています。ならば、ここで諦めさせるのも師としての役目でしょう」
「ええ………」
「安心しなさい。神々とて、あなたが怪我をした状態で行けなどとは言わないでしょう。治るまではここにいられるはずです」
槍を握る力が強まった。あまりにも強く握るため、関節が白くなっている。
ああ、そうか。彼女はあまりにも無謀な転移に、反対していたのだ。何があるかわからない。何が待ち受けているのかわからない。それなのに、悪いところだけはわかっている。そんなところに、弟子を送りたくなどなかったのだろう。
それがわかって、尚更負けるわけにはいかなくなった。だって、僕はあの頃のままじゃないから。
「何か、おかしなことでも?」
「いえ。結局、ゲイムロルさんはいい人だったな、と。それと負けられないと思うんです」
意外に感じたのか、彼女は眉を上げた。槍を握れば、そうそう感情は顔に出してくれないのだ。今みたいに、ちょっとしか見せないことがほとんどである。
「異世界に行きたいからですか?」
「それもちょっとはあります。でも……あなたがしてくれたことは、無駄にはならなかったということを証明したいと思ってるんです」
僕は知っている。ゲイムロルさんの修行はきつい修行ではあったが、僕を見限るなんてことはしなかったことを。ずっと全力で指導してきたことを。途中で意識を失うことがあれば、必ず部屋や医務室まで連れて行ってくれたことを。もっといい教え方はないのか、ずっと探し続けていたことを。こんなに努力を続けた人を、がっかりさせたくなんてなかった。それが僕の偽りない気持ちだ。
「………馬鹿ですね、あなたは」
「馬鹿でいいですよ。それであなたが笑えるなら」
ようやく、ほんの僅かな笑みを見せてくれた。それだけで終わらせないよう、僕は意識を集中させた。思い出すのは、魔道具を作るときのあの感覚。応用さえできれば、なんとかできるはずだ。
「いいでしょう。そこまで言うのであれば、避けてみなさい。これより放つのは神速の槍。これを躱せたのなら、あなたをもう止めることはしません」
「はい」
意識が永遠に引き延ばされたようにも感じる。勝負は一瞬。それだけでいい。一撃にすべてを注ぐ。今まで教わってきたこと、すべてを。
槍が動き始める。狙いは心臓。抵抗する暇もなく、一撃で殺すつもりか。それはこの人らしい。どこまでも生真面目な、戦乙女の槍だ。
「……………………」
「……………………」
時が再び動き始めた。ゲイムロルさんの腕は伸び切っている。槍は放たれたのだ。彼女の言った通り、まさに神速という言葉が正しい速度で。
「……見事」
槍は止められていた。ただし、僕の顔のすぐ横を。槍を握った腕には、僕の手が添えられている。これで動かせなくはあると思う。それなりに力もついたから。
心臓への攻撃はフェイント。きっとそれで騙して、脳天を貫くつもりだったのだ。それがわかった僕は重い身体を無理矢理動かして、なんとか攻撃を回避。追撃を避けるために、手を掴んでいた。
「……もう止めはしません。準備をしてきなさい。私は報告をしてきます」
「はい。今まで、ありがとうございました」
頭を下げて、訓練所を出る。ここでの生活も、もうそろそろ終わりなのだ。




