百六十九話
腕を斬られたヴィッシュ・リトルは床に蹲り、笑い声をあげていた。
どうしてか、腕から血は出ていない。リンゼイは切り落とされた腕を見る。
それは、真っ黒な木のように見えた。
「なに、これ……」
リンゼイは腕を持ち上げ、服を捲る。
そこには、びっしりと呪文が書かれていた。
それは魔術ではなく、魔法。
かろうじて、それが呪いを意味する古代語だと読み取れた。
リンゼイは気持ち悪くなって、ヴィッシュ・リトルの腕を投げ捨てる。
おそらく、妖精召喚の引換えに腕を差し出したのだろう。
妖精が親切の振りをして、代わりに使えばいいと差し出したのは、呪いをもたらす義手だった。
そもそも、彼が長い間召喚していた、黒き友と呼んでいたのは妖精ではない。
悪魔か何かの類だろうとリンゼイは思った。
依然として、ヴィッシュ・リトルは腕の欠陥を気にすることなく、笑顔でいる。
恐怖、怒り、痛みなど、様々な感情や感覚が欠如しているので、笑うしかないのだろう。
クレメンテは体を拘束しようとしたが、部屋の奥からの妙な気配に息を呑む。
「――ああ、そうだ。さっき、鎖を、取っておいたんだった……」
ヴィッシュ・リトルは起き上がろうとしたが、体が上手く動かずに、再び倒れることになった。
その時、深く被っていた頭巾が捲れる。
クレメンテとリンゼイは瞠目した。
頭巾の下の顔は、人のものではなかったのだ。
顔色は黒く、目は真っ赤。髪や鼻、唇はなく、鳥のくちばしのようなものがあった。
耳は尖がっており、その姿は、悪魔と呼ばれる存在そのものだった。
これも、悪魔と交渉した結果だと思い、背筋をゾッとさせるリンゼイ。
「さあ、わたしの研究の成果を報告しよう」
ズル、ズルと、地を這う音が聞えてくる。
「まだ未完成だから、首も八つしかないけれど、お客様の相手は十分に出来るはず……」
リンゼイの作った光球に照らされ、その姿が露わとなる。
そこには八つの頭を持つ、水蛇が居た。寸法は大きいものではない。二枚扉をすんなりと通ってしまう。本来の十分の一位だった。
鱗は黒く、赤い目が不気味に光っている。
「なんだか上手く作れなくって、九個目の首が再生しないんだよねえ……。他の首はいくら切っても再生するんだけど。……不死の首はあるのに、どうしてかな? やっぱり、本物の水蛇の首をくっつけないとだめなんだ」
ヴィッシュ・リトルはぶつぶつと呟く。
「まあ、いいや。お客様も待っているし」
おもてなしをするように言えば、蛇のような胴体に複数の頭を持つ魔物はもぞりと動き出す。
水蛇はクレメンテとリンゼイに毒の牙を剥いた。
弱点は不死の首。
八つの頭が複雑に絡み合い、どれがそれに該当するのか分からなくなっていた。
とにかく首を切り落として確認をするしかないと、クレメンテは剣を振り上げた。
古代の伝説によれば、不死の首は他の首よりも再生が早い。
襲い掛ってくる水蛇の首を撥ねていった。
一方で、リンゼイは知りうる限りの祝福の術を紡ぎ、クレメンテに守護力を付加させる。
それから、周囲に被害が広がらないように、得意の大ざっぱなの結界を展開させた。
水蛇は口から瘴気を吐き出しながら、攻撃を仕掛けている。
毒無効化の鎧を着ているために、クレメンテには意味のないものと化していた。
八つの頭が同時に襲い掛かる。
クレメンテは後方に跳んで避けつつ背後に回り、動きに付いてきた首を切り落とす、という戦い方を繰り返していた。
水蛇の首の再生は想像よりも遅かった。三つ切り落とせば、一つ再生する。
補助呪文を終えたリンゼイも攻撃に加わった。
精霊石の力でマグマを噴き出し、水蛇の行く手を妨害する。
途中、再生の速さが異常に早い首を発見した。
それが、不死の首である。
唯一の倒し方として、首を切った瞬間に傷口を火で炙り、再生不可能状態にさせること。
他の首は傷口を焼いてもすぐに再生するが、不死の首は再生できなくなってしまうのだ。
問題は再生が早すぎるということ。
水蛇は再生するたびに、首が大きくなっていった。
だんだんと攻撃を回避する余裕もなくなる。
横から伸びてきた首が、クレメンテの右腕に噛みついた。
すぐにリンゼイが魔術で水蛇の首を破壊する。
魔術の爆風に煽られ、クレメンテの体は吹き飛んだ。
ごろごろと地面を転がり、壁にぶつかる。
そこに猛追を掛ける水蛇。
リンゼイは精霊の力を借りて、地面よりマグマを噴き出した。水蛇の行動を阻む。
マグマが足止めをしている間に、リンゼイはクレメンテに駆け寄った。
急いで霊薬を飲ませる。
「あ、ありがとうございます」
「立てる?」
「はい」
未完成体とはいえ、伝説の勇者と聖女でさえ勝てなかった魔物だ。
簡単に勝てる相手ではなかった。
クレメンテは次々と首を落としていたたが、再生速度も上がりつつある。
焦りながら戦闘をしていけば、どれが不死の首であるかも、分からなくなってしまった。
体が大きくなるのと同時に、鱗が強化されて、魔術も効かなる。
マグマが噴き出しても、気にも留めずに突進して来るようになった。
戦えば戦う程学習して強くなる。
水蛇は最低最悪の敵であった。
二人だけでは間に合わない。早く、手助けが欲しい。
クレメンテの剣は水蛇の血と肉がこびりつき、使い物になっていなかった。
首を絶ち切ろうと斜めに入れた剣は、途中で止まり動かなくなってしまった。
剣を引くのは即座に諦める。
距離を取って、小型の剣を投げた。ダメージは微々たるものであった。
だんだんと追い詰められるクレメンテとリンゼイ。
「トラン兄上、あんまり役立ちそうにないけど、早く来て……!」
そう思っていたら、あることに気付く。
リンゼイは道具箱の中から、ある品を取り出した。
それは、『妖精の鐘』だった。
「リリットじゃないから、召喚に応じてくれないかもしれないけど」
リンゼイは妖精の鐘をかき鳴らした。
リリットのように、すぐには出てこない。
諦めずに、鐘を振り続ける。
「お願い、一生のお願いだから、助けて!!」
すると、奇跡が起きる。
部屋に、大きな薄紅の蕾がいくつも現れたのだ。
数は十以上あった。
少女の唇のような色合いの蕾は、ゆっくりと綻び、大花を咲かせる。
中から出て来たのは、屈強な戦士のような体格を持つ筋肉妖精。
数は二十。
今までの中で一番多く来てくれた。
妖精達はリンゼイに穏やかな微笑みを向けると、自らの拳を振りかざし、水蛇に戦いを挑む。
筋肉妖精は舞うようにクレメンテと水蛇の間に割って入った。
八人の妖精が、まるで子犬を手懐けるように水蛇の首を抱き寄せた。
四人の妖精は身動きが取れないように、胴と尾をしっかりと押さえる。
手の空いている八人の妖精が優雅な足取りでやって来て、水蛇の口先を掴むと、一気に捻った。
「ぬん!」
「ふん!」
「どい!」
「それ!」
「えい!」
「こら!」
「はい!」
「でい!」
力強い掛け声が部屋の中に響き渡る。
筋肉妖精は一気に水蛇の首を捻り取った。
八体同時に、水蛇は首を失った。
リンゼイは精霊の首飾りを取ると、首のない水蛇に向かって走った。
「リンゼイさん!」
「これ、炎の宝石を不死の首に入れて焼いてしまうの!」
「毒があるので、私が」
既に不死の首は復活を遂げていたが、筋肉妖精の手によってすぐに捩じり取られていた。
クレメンテは水蛇の首に、精霊の宝石を沈める。
リンゼイの合図で皆、水蛇から離れた。
最大火力で術式が展開される。
だが、水蛇も最後の力を振り絞り、抵抗していた。
赤い宝石を中心に、炎系最高位の魔術が完成していた。
なのに、浮かんだ術式を押し返すように、傷口から血肉が盛り上がっていく。
「精霊石を媒介にした術でもだめなの!?」
「……」
リンゼイは焦っていた。
他に水蛇の首を焼き切るには、どうすればいいのか。
頭を抱えている隣で、クレメンテがある提案をする。
「火竜の炎で焼いてきます」
「あなた、手から離れた炎を操ることは出来ないんでしょう?」
「直接焼けばいいんです」
「でも、私の術式の上に手を置いたりしたら、火傷をするわ!」
「大丈夫です。リンゼイさんの魔石があるので」
「え、待って、そんなの、使い物にならな――」
精霊石の力を使った最大出力の魔術だ。それに触れたら腕が吹き飛んでしまうかもしれない。
リンゼイはクレメンテを止めたが、聞く耳を持っていなかった。
幸い、水蛇の首は再生していない。
クレメンテは手甲を外し、水蛇の傷口に浮かんだ術式に手を当てた。
ジワリ、というほど優しい感覚ではなかった。
一瞬にして、手が炭と化したのではないか。
そんな激痛がクレメンテを襲った。
だが、火竜の呪文が浮かんだ手は傷一つ付いていない。
さらに、リンゼイの術式は威力を増していた。
全身から火が噴き出るような熱を感じていた。
その場に立っていることすら厳しい状態である。
このまま水蛇と共に燃え尽きてしまうのでは。そんなことさえ、頭の中に浮かんでしまった。
頭がぼんやりとしてきて、意識が遠のいてくる。
倒れそうになったその時、助けの手が差し伸べられる。
「クレメンテ!」
「……リンゼイ、さん」
リンゼイはクレメンテが倒れてしまわないように、体を支えた。
緊張がじわじわと解れ、熱も引いていったように感じる。
それと同時に、水蛇の蠢いていた肉は動かなくなり、首の傷口が燃え出した。
痙攣していた尾は力なく垂れ下がり、生命活動を停止させる。
火は炎となり、勢いが大きくなったので、クレメンテは手を離し、水蛇から距離を取った。
炎は千切った首にも飛んでいき、火柱を上げている。リンゼイは商人から購入した水蛇の首も道具箱から取り出して投げる。
精霊と火竜が作り出した炎は、あっという間に水蛇を焼き尽くし、焼け跡には何も残さなかった。
一瞬の出来事である。
『リンゼイ、クレメンテ!』
リリットが戻って来た。背後にはリンゼイの兄、トランを先頭に、国家魔術師団の団員を引き連れている。
部屋の隅に倒れているヴィッシュ・リトルを拘束していた。
「リリット!」
『うわああん、二人共、無事で良かったああああ!』
「お陰様、でね」
「なんとか、危機一髪で助かりました」
『うううう、本当に、良かったよおおお!』
感動の再会の最中、リンゼイの兄が空気も読まずに割って入って来る。
「リンゼイ、お前、本当に帰って来ていたんだな」
「兄上……」
らしくもなく、弱々しい妹の様子に、トランはぎょっとした。
「な、なんだ!? どっか怪我をしているのか?」
「いや、兄上、来るのが遅かったなって」
「上に報告してたり、師団の出撃要請をしていたり、いろいろしていたんだよ! つーか、あの女装したおっさんの集団はなんなんだ!?」
「妖精」
「嘘をいうな!!」
とりあえず、事情を聞きたいのでと上の部屋に行くように言われた。
くたくただったので、言葉に従う。
宿の一番いい部屋に通された。
扉を開けて中に入った瞬間に、白い光に包まれる。
『あ~、これまた、突然』
「な、なんですか、これは!?」
「多分、世界が修正されているんだと思う」
水蛇を倒し、未来は大きく変わった。よって、この世界に在ってはならない一行は排除されようとしていたのだ。
『なんていうか、不思議だねえ』
「頑張った結果、消されるってね」
「……」
こうなることは理解していた。
だけど、実際にその瞬間がやってくれば、受け入れることなど安易に出来ることではないとリンゼイは思う。
『あ、わたしからだ』
リリットの体はどんどん薄くなり、足元から消えていく。
「リリット……」
『リンゼイ、わたしのこと、やり直しの未来でも、呼んでね!』
「……」
『悲しい顔しないでよ。リンゼイの笑顔が見たいのに。いつもの、不器用でぎこちない笑顔でいいから』
リンゼイは微笑む努力をした。
『うん。素敵な笑顔だ。ありがとう、リンゼイ。クレメンテも!』
リリットは大きく手を振る。
リンゼイは引き止めようと手を伸ばしたが、小さな妖精の体は光の粒となって消えていった。
「リリット……」
別れの時を見守っていたクレメンテの体もまた消えようとしていた。
「次は、あなたの番なのね」
「そうみたいです」
リンゼイはしっかりとクレメンテの手を握りしめた。
「こういう時、なんて言っていいのか分からないわ」
「そうですね」
世界を救うなどとんでもない話だと思っていたが、皆で協力をして、なんとか達成することが出来た。
勇者でも聖女でもない二人が果たした偉業である。
「でも、消えるのはあなたが先で良かった」
「え?」
「だって、私が先に消えたら、あなたはひどく悲しむでしょう?」
「ああ、そうですね。絶望をしていたかもしれません」
「そう。だから、良かった」
リンゼイはクレメンテを抱き締め、耳元でお礼を言う。
「私、あなたのこと、探すから」
それは、新しくやり直す世界での話。
二年前はまだ、リンゼイはセレディンティア王国の国家魔術師をしている。
勿論、記憶が残っている訳ではない。
叶わないかもしれないことを口にしていたのだ。
途方もないことを言っていると分かっていた。
けれど、そうなればいいと、願わずにはいられない。
リンゼイは、震える声で宣言する。
「絶対に、約束するから」
「楽しみにしています」
最後に約束の儀式をすれば、クレメンテの体は消えていった。
白い光に包まれる中、リンゼイは一人立ち尽くす。
堰を切ったように、涙が流れ落ちた。
やらなければならないことは、理想的な形で終わった。
なのに今、彼女は大切な人達との別れを経て、打ちひしがれている。
一人、誰も居ない空間に膝をつき、泣き崩れた。
リンゼイの体もしだいに薄くなり、消えてなくなった。
そして、新しい世界は作られる。
アイテム図鑑
全てのものを失った。




