四話 再談 Ⅱ
すでに背後を取られ前方は壁、左はキッチン。圧倒的不利な状況でヤオトは戦い(ケンカ)をいどまれた。
しかし、ヤオトは少女が接近したと同時に前の壁に向かってとび両手を高い位置につき、手の摩擦と腹筋で下体を持ち上げて両足で壁をけり、後方に大きくとんだ。パームフリップからの壁バク宙だ。
少女は勢い良く飛び出したせいか、髪を乱れさせ壁に激突してひびを入れていた。
「ああ~、また逃げられました……」
少女は特にガッカリしているわけでもなくなぜ失敗したのかを考え、反省していた。一方ヤオトは壁にひびが入ったことに嘆息していた。
「なぜ、ヤオトさんは私の突進を避けれたのですか?」
ヤオトの方へ振り向き、右肩からたらしたウエーブのかかった空色の髪を整えながら少女は物凄く不思議そうな顔をして首をかしげていた。だが、その瞳には野心があふれていて相手をおびえさせようとしている。しかし、その程度でヤオトは怖気づかない。
「お前はここぞってときに気配がデカくなるんだよ。てか、お前また偽札を宿代に出したな!……いいかげんに働いたらどうだリリル。さっきヴェシュナにも言ったが」
ヤオトは半眼で、半分あきれた口調で少女、リリル・ローズフラに働くよううながした。すると――
「つまり、お金を出せば働かないですむ。ということですね」
と、妙な理屈で返してきた。
「はぁ~。つまり、金持ってるってことだな」
「……仕方ありませんね」
ヤオトはもう何回目かわからないため息を吐き、リリルの理屈の裏を突くと彼女は言葉のトーンと反対に笑顔でお金を彼に渡し、いやらしく動きながら上目遣いで誘惑する。
「で、この金はどこで手に入れたんだ」
「セードさんからいただきましたっ」
「…………」
リリルはぱっと明るい表情で即答した。その満面の笑みは男性なら誰もが目を惹くほど美しく清らかだった。もちろん言うまでもないがその笑顔にヤオトは心を動かさない。
――アイツか……とヤオトは心の中でつぶやき手で顔をおおい、リリルに惚れているセードを少しうらみ、哀れと感じた。
なぜなら彼女は夢魔族、サキュバスであるため男性の精を吸う。そして優良な遺伝子を見つけるとそのものと交わり子を産む(その子は必ずサキュバスとなるため混種にはならない。また、姿、声、性格を自在に変えることができるためインキュバスと同一ではないかといわれている)といった種族で、男性を惑わすためにその男性の完全な好みの姿、声、性格までも変化させることができる。
それだけならヤオトは怒ったりしない。しかし、彼女たちサキュバスはただ種族の繁栄を第二の欲求とし、次から次へと優良な遺伝子をもつ男性を探し、交わる。つまり、愛さない。それがヤオトだけでなく人間、魔族両種族から忌み嫌っている理由だ。
各地で夫をとられた。関係が壊された。純情を踏みにじられた等の被害者の声が出ている。
皆から忌み嫌われ、それでも抗えるものはいない。心と体を虜にされ、天国を味わい、そして裏切られたことと喪失感への地獄を味わう。
今は戦争で人間の数をじょじょに減らすという策略に使われていたりするため、魔族側の被害は少なくなっている。
「……まぁいい。あと、俺を襲うのはやめろ。そうすればお前は正式なお客様だ」
「いやです。ヤオトさんは私の魅了が効かないうえに好みの姿になれないので、きっと優良な遺伝子を持っているはずです。最強の魔法使いと呼ばれていたくらいですから」
ヤオトは毎回襲うのをやめろと言うがリリルは毎回同じセリフで返してくるのでどうすれば諦めてくれるか日々奮闘している。
「っく、なら今日の朝昼晩のメニューは全部エビ料理にしてやる」
「――――――――――っ!!?」
ヤオトがエビ料理と言ったとたんに口元に手をやりリリルは絶句した。
「サキュバスなら好き嫌いはないだろ」
「ありますよ!今はセードさん好みの姿をしているだけで性格はもうリセットされてるんですから!」
リリルはエビ料理を阻止するため頬をふくらませて文句を言う。本当に性格はリセットされているようでさっきとはまるで別人のようだ。これが彼女本来の性格となるので、とてもめずらしい光景でもある。
「だからエビは――」
「お前が俺を襲わないと誓うまでエビ料理を無料サービスしてやる」
ヤオトはリリルをさえぎり、エビ料理の念をおした。するとリリルはエビという嫌いな食べ物と無料という自分にはありがたい言葉に思考が矛盾し混乱してさらに頬をふくらませ涙をまぶたに溜め――あふれだす。このようにどちらも大切な考えが互いに矛盾している状態を心理用語で認知的不協和という。
「ヤオトさんのいじわるぅ~。ぅあああぁぁぁぁぁぁ~ん」
涙があふれて理性が押さえれなくなったのかリリルは子供のように泣き叫んだ。
ヤオトもさすがに偽りの人格ではなく本来の人格で泣かれると許してしまいそうになるが、身の安全のためもう少し追い詰めてみる。お客様に対する接し方ではないが誘惑してどうにかなるサキュバスに誘惑してもどうにもならないことを教えたいとひそかに思っているがゆえの行動でもあった。
「エビいやぁああぁぁぁぁぁぁぁぅぅうああぁぁぁぁぁん」
ヤオトのそんな思いを知ってか知らずかリリルは泣き続け――
「はいはい、そこまで。……うるさくて眠れないわ」
手をたたく音と低音の女性の声が二階から聞こえた。ヤオトとリリルはその声の方を見上げた。そこには栗色の髪が無造作に伸びて左目を隠し、右目は重たそうなまぶたから緑色の瞳をのぞかせていた。
「まったく……あれ、なんていうんだっけ……まぁいいか」
女性は該当する言葉が見つからないようですぐに諦めた。
「あぁーリリル?だっけ、いくら十九歳で若いからっへ、えー……とにかくうるさぁい」
女性はあくびをしながらリリルに説教をした。
リリルは少し落ち着いたのか黙っていてまるで人形のように動かない。ヤオトはそんなリリルにでこぴんを食らわすとその場に倒れた。どうやら眠ったようだ。
ヤオトはリリルを担ぎ部屋に寝かせようと階段を上った。二階につくとさっきの女性がうつろな目つきで仁王立ちをしていた。さらに裸足であった。髪は無造作に伸ばし手入れをまったくしていないのに対して足のつめはきっちりと丸く整えられて、緑のマニキュアを塗っていた。
「ヤオト。その子あたしのところに運んでくれない?ちょっと話したいことがね」
女性はうつろな目つきのままでヤオトを直視しようとしない。ヤオトが黙って見ていると女性は首をかしげ、手招きをした。
「ノウル。お前――あんたはどの国の言葉もろくに使えないのは知ってる。だがな、ボディーランゲージ(身体言語)くらいしっかりやってくれ」
ヤオトは女性、ノウル・ノーコレットを半眼でにらむがまったく聞いておらず、あくびをして部屋へとふらついた足取りで歩いていく。
あきれながらも、しかたなくリリルをノウルの部屋にヤオトは運んだ。ベッドに寝かせ、鼻をつまんでみるとふがっふがっとなるが起きる気配はなく、すやすやと眠っている。眠っているリリルは赤ん坊のように無邪気な寝顔できれいな人形のようであった。もちろんセードの理想の姿ではあるが。
「あぁーそうそう。ヤオト、朝食まだ?」
ノウルはリリルの寝ているベッドに座りたずねてきた。
「あーすっかり忘れてたな」
それにヤオトは棒読みで返した。するとノウルはため息つき立ち上がった。そしてヤオトの肩に顔を下に向けたまま手を置きまたため息をついた。
「なんだケンカ売ってんのか」
あまりに失礼なのでヤオトは半眼でにらみたずねる。
「いやー別に、毎日ご苦労様で」
ノウルは顔を上げてヤオトの肩に置いた手でぽんぽんと叩きながら相変わらず眠たそうなまなざしで答えた。他の客より落ち着いているそんな彼女にヤオトはあきれながらも内心では癒されている。それをノウルは見透かしているようでヤオトによく頼みごとをする際にはいっそう優しくなることがある。
「ん、なに……いやみ?……じゃないわよ」
「わかってるって」
「今日の朝食は、えー、えー……あれ、わからない。なんだっけとうもろこしできたチョコ?味の……ほら牛の乳かけるやつ……がいいな」
ノウルは空中に指で小さな円をたくさんえがき、何かを器に入れる動作をした。彼女はこの島には長い間住んではいるがまったくと言っていいほど言葉を話せず、あまりコミュニケーションをしてこなかったせいか身体言語も少ししかできないため、会話をする際は苦労する。
「朝食シリアルチョコ味だな」
「そうそれ、しりある」
ヤオトが答えを言うとノウルは無表情ながらもはっとひらめいた表情をした。そして彼女はヤオトに抱きついた。
突然のことでびっくりするヤオトだがノウルが抱きついた状態で背中をマッサージしだし、それが意外に気持ちがよかっため振りほどくという思考が一瞬停止しまった。それと、横目でヴェシュナが宿を出て行くのを見かけた。
「おい。ノウルなにやってんだ」
「いい?こうやって相手を油断させておいてから……突撃するのよリリル」
「はいっ。勉強になりますっ」
「てめぇらグルかー!」
いつからなのかリリルはノウルの部屋から出てきてそこにいた。さっき乱れた髪をていねいに整えながらノウルの言葉にぱぁっと目を輝かせる。そしてノウルは気がつくと離れていた。
ヤオトはいいかげんに飯抜きにしようかと思うが宿代を払ってくれている以上お客様として扱わなければならない。と、またため息をつく。
「ヤオト。朝食まだできないの?」
「どう見ても今料理してねぇよな?」
「エビは……かんべんしてくださいね」
「しるか!」
「いやぁぁぁぁぁぁぁ!」
ノウルは頭をかきながらうつろな目でヤオトに問いかけ、リリルが朝食の交渉をするが失敗に終わり悲痛を叫ぶ。普段この宿に人がこない理由のひとつである立地に不満を感じるヤオトだが、もともとこの宿は人種、種族、文化の壁をこえて皆で楽しく過ごすために作られているため、町中では近所迷惑なこの状況ではここの立地でよかったと思っていた。そんなとき――
ピロロロロロ……ピロロロロロロ……
この騒がしい宿に携帯電話の着信音が混ざった。ヤオトはすぐに携帯を取り出し通話ボタンを押した。
「もしもし俺だ。なんかようか、エフ」
『あぁ、そうだお前に話しておかないといけないようなことがある』
携帯のスピーカーから落ち着いた、語尾に無声音が混ざった声が聞こえた。電話の向こう側の相手はヤオトの幼馴染のエフ・リインだ。
「は?」
『は?じゃない。お前に頼みがある』
「なら最初からそう言え」
ヤオトがツッコミを入れるとエフは少し沈黙した。彼はヤオトとはあまり仲が良いほうではないためか、いつも遠まわしに言ってくることが多い。
『俺の生徒会メンバーの書記、イォフィ・コートの様子がおかしいんだ』
「どういうことだ?」
『詳しく言うとだな――』
エフはヤオトに説明を始めた。エフが言うには、昨日書記のイォフィ・コートが生徒会に遅れてきて、途中で目がだんだんとうつろになっていき、魂の抜けたような、まるで人形のような雰囲気を出していた。そして体調がすぐれないのかと肩に手を置いたとき以上に冷たかったという。だが、次に声を発しようとした瞬間、まるで何事もなかったかのように目ははっきりとして顔色も元に戻っており、なんですか?と聞かれ冷たかった感触も消えていた。と説明を終えた。
「幽霊か……」
『ん、どうかしたか』
「や、なんでもない。今イォフィはどうしてるんだ」
『実はさっき母親から俺と同じことが今朝あったと連絡がきてな、学校を休むように言ったそうだが不思議がられてそのまま学校へ行ったらしい。そこですぐにお前に連絡したわけだ』
「そうか。……なら今すぐ学校に行く。そっちでもっと詳しく話そう」
『あぁ』
ヤオトは携帯の切ボタンを押し、ポケットにしまった。最近はタッチ操作の携帯があるらしいがヤオトは持っていない。因みにヤオトはこの町で二番目にお金持ちである。
エフは特に焦った様子はなかったがヤオトは最近の幽霊のうわさが気になったため、急いで支度をした。
「あら?ヤオトさんどちらへ――」
「学校だ」
リリルの問いに即答でヤオトは返した。彼女はさっきの電話のことだろうと納得したが、なにかに気づいたのかぴくっと固まったあと、絶望の表情を浮かべた。
「ヤオトさん!朝食は!?」
「あぁー、今回の罰もかねて自分でしろ」
ヤオトの答えを聞いた瞬間、額に手を置きよろけて倒れそうになる。が、となりにいたノウルがそれを受け止めた。そしてノウルは私は関係ないじゃないとつぶやいた。
「お前はシリアルだから大丈夫だろ」
「あぁ……」
ノウルは無表情のままヤオトにピースをした。そして、リリルを仲間にしてヤオトに朝食を作らせようと思っていたのか、用済みになったリリルを受け止めていた手を離し床に落とした。どんと重たい音が短い悲鳴と一緒に響く。
哀れとヤオトはつぶやいた。
「いたた……で、でもヴェシュナさんはどうするんですかっ?」
リリルが床に突っ伏したまま反論を唱える。
「あいつは宿代払ってねぇからしらん。それにさっき出てったし、なんか拾い食いして腹でもこわしてるだろ」
「それでもあんたは人間かー」
リリルが半分泣きながらうったえるが相変わらず床に突っ伏したままの状態でこちらに顔を見せない。
「そうだ」
「オーマイゴッツ……」
そう言ってリリルは脱力した。
「いいかげんに起きろ」
「いやですー」
リリルはすねて駄々《だだ》をこねる子どものように動こうとしない。相手の理想の女性になれるため年齢は関係のないサキュバスだが、素ではまだ十九歳(人間年齢?でたぶん六、七歳ほど)のようだ。
ヤオトはその場でため息をつくと、早足で宿を出て行った。




