第40話 俺は、ヤツを止める
ヘシオドスの外界と通じる、バルブゲートへ侵入してから間もないところ。
注水ダクト内を往く三機のGSは、速度を揃えて真っ直ぐ進んでいた。
先頭には、どう猛な海洋生物の威容を宿す〈アズール・ジョーカー〉の姿。
『兄貴、シュルプリーズの作ろうとしてる世界って、どう思う?』
ナイアの藪から棒な質問に、フィン、ジョニーともに意識を向ける。
『ど、どうした妹……』
「ナイア……」
『え? ああいやいや! そういうんじゃなくって!』
〈グラベル〉が水面で立ち止まり、両手をバタバタと振った。
『ほら、私たちクライアントの都合で使い捨てられそうになったこと、何度もあるじゃない?』
再び推進を始めつつ、彼女は言葉を続ける。
『難しくてよく分かんなかったんだけど、シュルプリーズの作ろうとしてるのは、人それぞれが、自分の意志で、自分の頭で考えて、自分のために戦える世界ってことを言ってるわけだよね?』
「ヤツが言うには、そうだな」
『それってさ、なーんか違和感があってさ……なんていうか、自分のための戦いってなんだろうって』
『そりゃあ、何のしがらみにも囚われず、気に入らないものはぶん殴って、好きなだけ生きて、好きなところで死ぬ………みたいな感じじゃないか?』
「ジョニー・バーシュ……」
『いやいやいや! 俺の願望とかじゃねえって!』
今度は〈ライカントロピー〉が足を止めて、メインカメラを振った。
それを無視して機体を推進させつつ、ナイアは「うーん」と呻る。
『でもさ、それって結局、一人ぼっちってことじゃない?』
ダクト内を反響する脚部ポンプの駆動音に混じって、ナイアの真剣な声が響いた。
『誰の命令も聞かない。誰のためにも戦わない。自分の命の責任は自分だけで取る。……それって、開拓者がよく口にする「海の掟」みたいなものだけどさ。でも、いざ本当に誰も助けてくれない、誰のことも信じられないって状況になったら、それってすごく寂しいし、ただ虚しいだけな気がするんだよね』
『……違いねえな』
ジョニーが短く同意した。彼ら兄妹は、かつてその「虚しさ」の只中にいた。
日銭を稼ぎ、明日の保証もないメルヴィルの海原で、ただ生き延びるためだけに機体を駆っていた日々。企業に使い捨てられそうになったことも一度や二度ではない。完全な自由とは、誰からも必要とされない孤立と裏返しであることを、彼らは肌で知っている。
「シュルプリーズが憎しみは、自分の運命そのものだ」
フィンの静かな声が、暗い注水ダクトの闇を縫って通信帯域を流れる。
「作られた命。与えられた役割。企業の、あるいはカシウスの思惑通りに動かされるだけのチェスピース。ヤツはそれを嫌悪し、誰も先の読めない混沌こそが、あらかじめ用意された操り糸を断ち切る唯一の手段だと信じ込んでいる」
『……でもさ、フィン』
ナイアは〈グラベル〉の重装甲の腕を、前を往く蒼い機の背中へと向けた。
『誰かのために戦うことって、操り人形になることと同じなのかな。私は、今、セレジアさんのために戦ってる。世界を救うとか、この星の未来がどうとか、そういう大層なことより、あの人が泣いてるのを放っておけないから戦ってる気がする。もちろん、お給料も弾んでもらうけどさ』
溜め息をついて、ジョニーも口を開く。
『……俺たちは誰かと繋がることを自分で選んだんだ。それを「運命の奴隷」だなんて嘲笑われる筋合いはねえよな』
フィンは、〈アズール・ジョーカー〉のコクピットの中で小さく息を吐いた。
自らの設計図は、リブル・リングという失われた少年のコピー。
ソフィアが温もりを取り戻すための代用品であり、戦場で消費されるための生きた部品。シュルプリーズが絶望した通り、その生まれには何の自由もなかったのかもしれない。
だが、胸の奥底で確かに熱を放っている、この感情はどうだ。
先ほど、セレジアの涙声を聞いたとき、心臓を鷲掴みにされたようなあの痛み。彼女の不器用な優しさに触れたとき、彼女の背中を抱きしめ返したときの、あのぎこちなくも温かい感触。
それらは、遺伝子に組み込まれたプログラムの産物ではない。
カシウスが設計したものでも、ソフィアが望んで刻み込んだものでもない。
フィンという個体が、この海原を巡り、仲間たちと出会い、血を流し、笑い合った時間の中で、少しずつ降り積もってきた主観の蓄積に他ならないのだ。
「……ナイア、ジョニー」
フィンの声には、かつてないほどの確かな温度と、揺るぎない意志が宿っていた。
「誰かに縛られることと、誰かと繋がることは違う。ヤツは、その違いがわかっていない。設計された運命から逃れるために全てを壊そうとしているが、それ自体が、己の過去という鎖に縛られている何よりの証拠に過ぎない。……俺は、ヤツを止める」
『主殿の言う通りじゃな』
不意に、コンソールからAIカティアの古風な声が割り込んできた。
『論理演算では導き出せぬ不確定要素。己の意志で選択した絆こそが、いかなる強固なシステムをも凌駕する。……ふふん、我ながら人間臭い計算式になったものじゃ』
「頼りにしてるぞ、カティア」
『任せておくがよい! 当機のステルス・フィールドの維持、リアクターまでのルート解析、共に完璧じゃ。間もなく、最終隔壁を通過するぞい』
重厚な金属の軋む音が、注水ダクトの奥から響いてきた。
ヘシオドスという巨大な弩級浮揚都市の心臓部を、外界の海から隔絶している何重にも連なった隔壁。
その最後の巨大なゲートが、カティアのハッキングによってゆっくりと開いていく。
『あれが……』
ゲートの向こうに広がっていたのは、深い暗闇を灼き尽くすような圧倒的な光だった。
巨大な地下空洞の中央に、天を貫くようにそびえ立つ一本の柱――リアクター・シャフト。それはまるで地下に幽閉された太陽のように、白く、そして暴力的なまでの熱と輝きを放っている。
その絶大なエネルギーを冷却するため、空間の四方に口を開けた巨大な注水ダクトから、膨大な海水が滝のように絶え間なく注ぎ込まれていた。フィンたちが辿ってきたダクトも、その一つである。
轟々という水流の咆哮が、機体の装甲を、そしてパイロットの腹の底を直接震わせる。開いたゲートの縁から機体を乗り出して見下ろせば、遥か眼下には底知れぬ深さを持つ冷却水のプールが、リアクターの光を浴びて青く透き通っていた。
「通信用の電力供給を断ち切るには、あのシャフトを物理的に破壊するしかない」
フィンの静かな宣告に、バーシュ兄妹が通信の向こう側で力強く頷いた。
「行くぞ――降下開始ッ!」
〈アズール・ジョーカー〉が、煌々たる人工太陽の足元、海水で満たされた注水リアクタープールへと向けて、ダクトの縁から静かに機体を躍らせた。
それに続くように、後衛二機もまた跳んだ。
この星の運命を決する最後の戦いが、始まろうとしていた。




