第39話 お前のために戦うために
ヘシオドスの最終防衛ラインを突破していく、三機のGSたち。
その戦場を僅かに外れた、暗い海原の端を漂う採掘艦インスマス号。
艦橋のセレジアのヘッドセットに響くのは、妹の悲痛な声音だった。
『お姉さま……私は、取り返しのつかないことを……』
セレジアは、息を呑んだ。
ゼニット・コンツェルンの中枢、リング・タワーのラボにいるはずの妹、ソフィアだ。かつて自らに銃口を向けた妹の、幼子のように泣きじゃくる声音――。
「ソフィア……? 一体、どういうことですの?」
『お姉さま……私、お父様を……撃ったわ。……死んだ』
操舵席のバートラムが鋭い視線をモニターに向け、先行して海中を潜行している三機のGS――パイロットたちとの通信リンクも、一瞬の静寂に包まれる。
絶対的な「王」であった父、カシウス・リングの死。
だが、ソフィアの口から紡がれる言葉は、それでは終わらなかった。
『ヘイロー・プロジェクトの強化兵士たちは、皆、リブルよ、お姉さま……』
「……え?」
セレジアの思考が、脳を行き交うシナプスが、唐突に停止する。
リブル。幼い頃に母が連れ去って共に姿を消した、たった一人の弟。
『お父様が、リブルの細胞から素体を復元したの。私は……あの子を取り戻したくて、この計画を継いだけれど……でも、間違っていた。私は手術台の上で、未完成な弟の成り損ないを何人も殺し続けて、出来上がったのが、あの仮面の怪物……!』
ノイズ越しに響く嗚咽が、セレジアの鼓膜を、脳髄を、抉る。
「どういう……ことですの……」
強化兵士が……クローンが……シュルプリーズが……――フィンが……?
彼女が名を与えた、いつしか恋情をも抱くようになっていた青年の顔が浮かぶ。
彼ら全員が、自分の実の弟のクローンだったというのか。
父と妹は、家族の欠片を兵器として消費し続けていたというのか。
血の気が引き、視界がぐらりと揺れる。吐き気にも似たおぞましい胸の内のうねりが、食道と胃を行き来する。セレジアは思わず、その場に崩れ落ちそうになった。
ティーテーブルの縁を強く握りしめ、辛うじて立ち尽くす。
だが、残酷な現実は、彼女が絶望に浸る時間すらも与えてはくれなかった。
『ごめんなさい……私を恨んでもいい。でも、お願い、今だけは聞いて!』
ソフィアが泣き叫ぶような声で、次なる言葉を叩きつけてくる。
『シュルプリーズが、タワーの全システムを掌握したわ! 彼はナサニエルの戦場に、あの弾頭――“ソリス”を積んだ自爆艦を向かわせているの!』
「なんですって……」
ソリス。
ツグルク設計局を跡形もなく溶解させ、オメルタすらも沈めた戦略兵器級の弾頭。
『ゼニットの補給艦に偽装した自爆艦が、いま、両軍の密集地帯の最深部へと進んでいるわ。目標座標への到達まで、四十分。到達と同時にすべて起爆するつもりよ』
「そんなバカな……ゼニットだって少なくない戦力を投入しているはずですわ……」
『信じて、お姉さま! 彼は……あの男は、本気なの……!』
シュルプリーズの狂気を間近で見てきたソフィアの言葉には、確信が籠っていた。
『彼は、企業の主戦力をすべて潰した後に、誰の管理の手も及ばない、個々人が力を行使できる世界を実現するつもりなの……その予測不可能な混沌とした地獄こそが、真の自由だと……そのために、あの海域をまるごと蒸発させるつもりよ……』
あと四十分。
弟が……フィンが……いや、それは、いい。たった四十分後には、惑星メルヴィル最大の資源地帯が、数万人の命と生態系を巻き込んで真っ白な地獄へと変わる。
だが、フィンは……リブルは……。セレジアは震える唇を噛み締めた。
指揮官として決断を下さなければ――どうすればこの状況を止められるのか。
「……シュルプリーズが、そこに居るということは」
搾り出すようにして、セレジアは訊ねる。
「タワーのコントロールの掌握が必要だったということは、補給艦の自爆は、おそらくは彼自身が起爆の指示を行うつもりなんですのよね、ソフィア」
『お姉さま……? え、ええ……』
「……わかりました。……ソフィア、お姉ちゃんに、任せてちょうだい」
それだけを告げると、セレジアは通話を切断した。
チャンネルをパイロットたちの通信リンクに繋ぐ。
「状況が変わりましたわ。工廠の破壊は中断し、目標を変更します」
セレジアの声は、驚くほど冷たく、そして震えていた。
『セレジア嬢? どうした、ひどいノイズだぜ』
ジョニーの怪訝そうな声。セレジアはヘッドセットに爪を立て、嗚咽を殺しながら状況を説明した。父カシウスの死。そして、ナサニエル大鉱脈に向かっている自爆艦と、四十分というタイムリミット。
『なんだと……!? じゃあ、工廠を叩いても意味がねえ!』
「ええ。作戦目標を変更します。リング・タワーの地下中枢、冷却海水が流れ込む巨大な核融合リアクター……これを破壊し、タワーの持つ長距離通信システムへの電力供給を断ち切ります。起爆信号そのものを、物理的に発信不可能にするのですわ」
『了解した。ルートを再検索する』
フィンの冷静な声が響く。いつもと変わらない、頼もしい声。
だが、セレジアの胸は張り裂けそうだった。
「待って……フィン。貴方に、伝えなければならないことがありますの」
『なんだ』
「貴方は……ヘイロー・プロジェクトの強化兵士たちは……」
言葉が喉に詰まる。言えば、全てが壊れてしまうかもしれない。彼が自分を憎むかもしれない。だが、欺瞞のまま彼を死地へ送ってしまえば、父や妹と同じだ。
「貴方たちのクローンのもとは、私の弟、リブル・リングだと判明しました」
通信回線に、重苦しい沈黙が落ちる。
ジョニーもナイアも、言葉を失っているのが気配でわかった。
「父と妹は、昔、母が連れ去った弟を取り戻すために……貴方たちを造り出し、兵器として消費してきた。そして私は、そんな貴方に戦いを強要し、あまつさえ……」
――恋情を抱いていた。共に夜を過ごした。弟の代替品とも知らずに。
いや、知性は知らずとも、本能が知り、彼を欲していたのかもしれない。
自らの血筋が犯した罪の深さと、行き場のない感情に顔を覆った。
「ごめんなさい……この作戦が終わったら、私は」
『セレジア』
言葉を断ち切り、空気そのものを裂くように、フィンの声が響いた。
悲嘆も、怒りも、そこにはなかった。ただ、真っ直ぐな熱だけがあった。
『俺は、誰の生まれ変わりでもない。お前の弟であるリブルでもない』
「フィン……」
『俺は、お前を愛する、たったひとりのフィンでしかないんだ』
その言葉は、セレジアの肺胞を締め付ける呪縛を、一瞬にして砕いた。
彼がインスマス号で過ごした時間、共に戦い、傷つき、語り合った日々。
その過程で生じた主観こそが、彼を「フィン」というひとりの人間にした。
だからこそ、彼は迷いなく告げた。彼自身の、自由な意志で。
『俺に命令をくれ、セレジア。俺の意志で、お前のために戦うために』
堰を切ったように、セレジアの目から大粒の涙が零れ落ちた。
『……はぁ。ちょっと、クランの回線で堂々と何やってんのさ、全くもう』
ナイアの呆れたような、しかしどこか照れを含んだ声が響く。
『作戦が終わったら、お給料もっと高くしてよね! こんな気恥ずかしいの聞かされた慰謝料込みでさ!』
戦術マップの向こうで、V2――〈グラベル〉が迷いなく加速した。
『やれやれ。妹を置いて逃げられねえな、こりゃあ』
ジョニーも軽口を叩きながら、〈ライカントロピー〉のスロットルを開く。
「お嬢様、どうか、お心のままに」
背後では、バートラムが静かに頭を下げていた。
セレジアは涙を乱暴に拭い去り、顔を上げた。
その瞳には、かつてないほどの強い光が宿っている。
「……ヴァルハラ・ホライズン、全機に通達! これよりリング・タワー最下層、中枢リアクターへの突入を命じます! みんな、必ず生きて帰還してちょうだい!」
『――命令了解。作戦を開始するッ!』




