第26話 私が始めたことですわ
「戦況は……! 戦況はどうなっていますの、バートラム……!」
セレジアが、よろめきながらインスマス号の艦橋に入ってきた。
艦長帽を脱ぎ、老執事は不確かな足取りで立つ主の身体を支える。
「お嬢様……まだお休みを……!」
「いいえ、これだけは私がやらなければ……」
そう言い、サロンの脇のフックにかけてあったヘッドセットを被る。
吐き気は――まだ落ち着いてなどはいなかった。
あの並べ立てられたプランターの“中身”に、怖気を抱いたのではない。
何食わぬ顔で、生命を弄び、造り出した家族の真の姿をそこに視た。
舐めていた。自分たちの血統が背負う“業”というものの姿を。
そして、いまとなっては、新しい怒りが沸き上がってすらいる。
これまでに抱えていた、高潔な義憤のような澄んだ類の熱ではない。
あんな醜悪なものの完成の為に――私は、我が家を追われたのか。
無論、フィンを兵器として行使した以上、自分とて同じ穴の貉だ。
だからこそいまさら、正義を語ったりはするつもりはなかった。
そうだ、とセレジアは思う。気に入らなかったのは不正義ではない。
不公平、だったのか。
それと気づいた途端、セレジアの胸の吐き気が一挙に鎮まった。
胸の内に残されたのは、冷徹で、鋭い別種の怒りの形態である。
これを復讐心だとは思わない。言うなれば、これは報復の心だ。
報復と復讐、ふたつの言葉の違いは、実際のところ曖昧ではあるが――。
いまのセレジアには、報復の定義がひとつだけ思い当たった。
失われた公平性を回復するための、破壊と攻撃。
自分が真に欲していたものは、高潔さでも、尊厳でもなかった。
それはあくまで、公平で公正な自分を保つための“装飾”に過ぎない。
故に、父の不条理な力の論理を、妹の狂気の科学を許せなかった。
――それは、決して公平な行いではないから。
「バートラム。いまの戦況はどうなっていますの?」
「……お嬢様?」
気配がふと、重たく、低い温度になったと、老執事が気付く。
「教えて。どうか、ここからは私に指揮に取らせて頂戴」
「……わかりました。現在、V2、V3が設置作業を完了。同時に艦を襲撃した〈アラクネ〉一機とV1が交戦し、これを制圧したところでございます」
「皆……さすがに優秀ね。本当に自分が不甲斐ないですわ。艦の被害は?」
「営巣区画が破損、警備クルーが一名軽傷。浸水の危険は無し」
「襲撃してきたGSが、シュルプリーズの脱走を?」
「それをフィン様が無力化し、諸共、抑えたところでございます」
セレジアは痛みを抱えた頭の中に、それらの情報の全てを流し込んだ。
「ナイアたちにチャンネルを繋いで頂戴」
帽子を被り直し、バートラムは操舵コンソールを叩いた。
「……通信リンク確立。ふたりとも、聞こえますかしら」
『セレジアさん? ……もう大丈夫なの?』
『おーおー。ようやくお目覚めかよ、お嬢様』
ダイアルを回して、音量ボリュームを上げる。
「謝罪は後で致します。作業は全て完了したんですのね?」
『爆弾ならちゃーんと完璧に仕掛けられたし、別にいいよ』
「なら直ちに引き上げて、表のほうで敵GSの拿捕を支援して」
『それはいいけど――』
返ってきたナイアの声がトーンひとつ下がって、言った。
『起爆のトリガーは、お願いしても大丈夫だよね。セレジアさん』
「……――もちろんですわ」
試すような声音に、屹然と返す。
『お、おい。ナイア……』
『黙ってて、兄貴。……信用、させてよね、セレジアさん』
それだけ告げると、二機のGS反応は設計局の外へと向かった。
彼らの脱出を確認したら、爆弾を起爆し、この施設を葬り去る……。
スマート・パッドを撫でるセレジアの手は、震えはしなかった。
(……構わない。たとえ偽物の正義でも、誰かから見た悪だとしても)
冷徹に、一切の迷いなく、指先が跳ねるように動く。
パスコードを入力。最終承認の画面が立ち上がった。
YES?/NO?
ふと戦術マップの味方マーカー表示へ目をやると、ナイアとジョニーが施設のゲートを抜けて、フィンと合流しつつある。
開拓者などと口当たりの良い言葉で置き換えているが、彼らは所詮、傭兵。
自分は、そんな彼らにカネを払って、実力行使で目的を遂げようとしている、独立武装組織の指揮官なのだ。
虐殺。企業テロ。偽善。エゴイズム。
いまの自分の行いを言い表す言葉はいくらでもあるだろう。
(それでも、これは私が始めたことですわ。――……さようなら)
この指先の動きひとつが、あの曖昧な生命たちをきっと葬る。
生まれたのか、そうでないのかすらも定かではない臓物と脳たち。
これは見方を変えれば、虐殺と呼べるのかもしれない。
だが、そんなものは今更のことだった。自分の作戦でフィンやナイア、ジョニーが、これまでに何人の命を奪ってきただろうか。海洋民兵に、ゼニットの強化兵士。
セレジアは、もはや意味のない白手袋を捲って、テーブルに放り捨てた。
“YES”
ディスプレイが赤く明滅し、起爆のカウントダウンが開始される。
60秒前、45、30、20、10、9、8、7、6、5……。
――……ゼロ。
瞬間、艦橋の窓を、衝撃波が叩いた。
ツグルク設計局の内部に仕掛けられた数多の爆弾が炸裂したのだ。
正面に浮かぶ浮揚施設の内側から、巻き上がる巨大な炎。
ナイアたちが侵入した搬入水路、ダクト、煙突。
ありとあらゆる所から爆炎を吐き出している。
それでもこらえきれなかった炎が隔壁を突き破って、噴いた。
遅れてきた荒波に船体が揺すられるが、セレジアはよろめかなかった。
彼女はその業火を、破壊の痕跡を自分の眼にしかと焼き付けている。
◇
燃え盛るツグルク設計局を背に、三機のGSが敵機を囲んでいた。
片腕を喪った〈アラクネ〉は、抵抗もせず彼らをカメラで睥睨する。
『半端に焼け残ったではないか。火薬の量が足りなかったのでは?』
シュルプリーズがスピーカー越しに、含み笑いの声音で言った。
〈ライカントロピー〉が、短銃身化した“カトラス”を突きつける。
『そうかもな。ま……テメェを黙らせるのは、弾丸一発で事足りるぜ』
兄・ジョニーが言いいながら、銃の先端でつつく。
この状況に、ナイアはどこか妙な既視感を感じていた。
(……なんだろう。……コイツを捕まえたときと同じだ)
嫌な予感がすると、開拓者として生き抜いてきた彼女の勘が囁く。
〈アラクネ〉がフィンとの闘いに負け、GS三機に囲まれる。
これは海洋民兵のプラント外洋でやったのと、まるで同じだった。
襲撃者の側が、自ら過去のシチュエーション内に収まりに来た。
(……偶然じゃない。絶対に何かある……セレジアさんに伝えないと)
この違和感をどう言い表そうかと、ナイアが悩んだそのときだ。
〈ブルー・ブッチャー〉の蒼い機影が、唐突に視界の隅で揺れる。
『――なッ!? ……テメェ、なにしやがる!』
煌めく銀刃が、〈ライカントロピー〉の腕を切り落としていた。
斬撃の軌道を通ったのは、見間違えようもなく“藍銅”の刃だ。
「……フィン?」
『フィン! どうしたんですの!?』
ナイアとセレジア、ふたりが同時に呼びかける。
ナイフを掴んだまま、蒼色の機体は応えない。
代わりに、笑い声がスピーカーから響いてきた。
『フフフ……リンク構築、自律行動権限をカット……』
――こいつだ。
〈アラクネ〉がフィンに何かをしたんだ。
ナイアは操縦グリップを倒して照準し、トリガーに指をかける。
その射線の間に〈ブルー・ブッチャー〉が入って、咄嗟に庇った。
「フィン……! どいて、撃てない!」
『……不明な指揮系統を確認。実行不可』
『アーキタイプ、この海域を脱出する。盾となれ』
『……ゥ……了解――』
呻き声の後、電子音声が耳を裂いた。
『は、離れるんじゃバーシュ兄妹! 主殿が敵味方識別を切りおった!』
「カティアちゃん……!?」
言われて戦術マップを見やれば、V1のシグナルが消失していた。
目の前に在るはずの機体を――所属不明機を意味する黄色が指している。
『ぅ……が……ぁ……』
〈ブルー・ブッチャー〉はナイフを、自機の胸郭に擦りつけてみせた。
刃は高周波振動を作動させたまま、海原に激しい火花を散らしていた。
「フィン……ッ! お願い、正気に戻って!」
『んふふ、動くなよ。彼は潔く腹を切るぞ』
『テメェ……、青いのに何しやがった……!』
〈アラクネ〉が、残ったほうの腕を〈ブッチャー〉の肩にかける。
『私のインプラントは指揮官仕様の特別モデルだ。都合次第で下位にあたるモデルの強化兵士を自由自在に傀儡化できる。……さあ、アーキタイプ、貴様の主は誰だ?』
『LA-23、強化兵士シュルプリーズが上位命令系統であることを確認……』
『ふふふ……ふははは! セレジア・リング! 見えているか、この姿がァ……!』
インカム越しに、ナイアはセレジアの奥歯を噛み潰すような声を聞いた。
『この……ッ』
『“高い玩具をくれてやって、この体たらくとは失望した”……と、お父上は仰っていたぞ? セレジア・リング。哀れなことだが、アーキタイプは返してもらおうか』
『なんですって……!? ナイア、ジョニー! シュルプリーズを行かせないで!』
〈ブルー・ブッチャー〉の肩を引いて、〈アラクネ〉の機影が通ざかる。
その後を追おうとナイアがペダルを踏みこんだ、その瞬間だった。
アラート音。莫大な熱量を持つ巨大な質量が、高速接近している。
濁り、淀んだ海面から、何かが急速で這いあがる気配があった。
ぶくぶくと水のあぶくが浮いて、徐々に巨大な影がせり上がる。
白んだ水壁をかき分けて起き上がったそれは、まるで──剣だった。
一振りの大剣が、水底から突き上げられるように、その威容を現す。
『何……ですの……!?』
『うおお……ッ!』
霧が晴れてみれば、それは巨大な海戦兵器の姿だった。剣に見えたものは巨大な船体であり、切っ先めいた船首のセンサーアレイが、赤い妖光を湛える。
流線形のボディは黒光りし、湿った装甲に独特の色気を与えていた。柄にあたる部分には、集約された無数のハイドロ・ジェット・ポンプが唸り声をあげている。
「協議会の会合を襲ったヤツ……? いや、違う……!」
ナイアがそう見違えたのは、船体の上に巨大な砲が積まれていたからだ。
だが、あの〈ダインスレイフ〉が放っていたプラズマ収束の光は見えない。
しかしながら本能的に、だからこそ彼女は砲の中身を警戒した。
『そうとも……これは新たなる魔剣……その名も〈グラム〉……!』
〈グラム〉と呼ばれた艦の一部が解放され、ハッチが開かれる
その内部に〈アラクネ〉たちを収容しようとしていた。
ダブル・ガトリング砲を構えるが、やはりフィンが邪魔をする。
「どいて……ッ!」
フィンは答えない。
彼はシュルプリーズを護るようにして艦に移乗した。
やがて声が海原に響き渡る。それは宣告だった。
『お前たちのおかげで少しやりやすくはなったが、念には念を入れる』
『なんだとォ……?』
『――ソリスを撃て、灼き尽くせッ! 我らが、忌まわしき故郷をッ!』
「……何か来る! 兄貴! セレジアさん! 気を付けて!」
ナイアの怒声混じりの警告と共に、〈グラム〉の背負う砲が撃たれた。
空を駆けたのは漆黒の、六角推の形の弾頭である。
およそ弾やミサイルの類として、撃ち出されるような姿ではない。
どちらかといえば、あの成り損ない強化兵士の培養身体の代わりに、ガラスケースに収められているのが相応しい――といったような造形をしている。
六角柱の弾頭は、中枢にかけてグラデーションのように透けていて、向こう側の太陽の光を透かしていた。アビサル・クォーツの暗い、昏い色をした青色だった。
ハイスピードカメラのようなナイアの認識能力が捉えたのは、その一瞬だけだった。異様な姿の弾頭は視界をすぐ通り過ぎ、ツグルク設計局の上空へ到達する。
それと同時に、彼女が奥歯を食いしばり、機体を防御姿勢に変えたのは最適な判断だったと言えるだろう。
激しい閃光が降り注ぐ。
ナイアは、遠くにあった太陽が、眼前に降りてきたような錯覚を覚えた。
否、錯覚ではなかった。
振り返った景色の向こうでは、網膜を刺すような輝きが炸裂している。
カメラのフィルターが減光していて、これだというのなら。
実際にどれほどの輝きが、コクピットの向こうにあるのだろうか。
丸く、球状に膨張した光が、ツグルク設計局の遥か上空に光り輝く。
「なっ……!」
光は、瞬く間に“熱”へと変わった。触れもせずに、その光球の放つ莫大な熱量が、足元の浮揚施設を――巨大な海上構造物を見る見るうちに溶かし始めたのだ。
合成建材が蒸発しながらガラス化して、鉄骨のフレームがオレンジ色に歪む。
「熱ッ……!」
その熱は、コクピットの中にいたナイアの肌にすらも痛みを与えた。
あの太陽のようなものに、機体の装甲が焼かれているというのか。
次いで、カメラ視界が歪む……熱でレンズが溶け始めたに違いない。
ノイズが酷くなって、インカム越しの声も聞き取れない。
それは兄の悲鳴のようでもあるし、セレジアの慟哭のようでもあった。
機体を旋回させ、この凶行を為した〈グラム〉の艦影を見やる。
これら全ての元凶は、惨状を見届けるまでもなく、遠ざかっていた。
「逃がすか……ッ!」
ガッとペダルを踏むが、愛機〈グラベル〉は唸るばかりで動かない。
機体ステータスに目をやれば、リアクター炉が超加熱状態にあった。
「クソ……ッ! 海水が沸騰して……」
建材がガラス化し、鋼鉄が溶けるほどの温度だ。
周辺の海水が沸き立たないわけがなかった。
ましてや、それをとりこんで炉の冷却など――できるわけがない。
「……動け、動け、動け!」
警告、無数のアラート。深刻なダメージ表示を示すUI。
それらを理解していながら、ナイアはペダルを何度も蹴りつける。
一瞬だけ凪いだノイズの合間から、セレジアの悲痛な声がした。
『フィン……! 戻ってきて……ッ! フィィンッ!』
ほとんどモザイク画のようになったモニターの向こう。
〈グラム〉と思しき巨影は海面に沈み、消え去ってしまった。
「…………クソッ!」




