第25話 また怒った人間の振りか?
ツグルク設計局を飛び出してすぐ、フィンの目に信じ難いものが映った。
彼が、GSパイロットたちが帰るべき母艦、インスマス号が燃えている。
〈ブルー・ブッチャー〉は“カトラス”を構えつつ、船体へ接近を開始。
天へと昇る炎と黒煙は、船体後部に負った損傷から生じているようだ。
その付近に、一機のGS――〈アラクネ〉が静かに佇んでいる。
紅い色をした機影が、ふいに腕を突き出して貫手し、船の装甲を破った。
あの向こう側の区画には、確か……。
強引に引き抜かれた〈アラクネ〉の手のひらに立つ人影があった。
拘束具と、仮面。営巣に閉じ込められていたシュルプリーズだ。
この距離からの射撃は……無理だ。インスマス号に当たってしまう。
それを分かってのことか、緩慢な動きでコクピットが開かれた。
〈アラクネ〉を駆っていたのは、見たこともない黒髪の少女だった。
少女はナイフを使って、シュルプリーズの拘束具を解いていく。
見届けられたのはそこまで。コクピットは再び閉ざされてしまった。
そうしてすぐ、機体から声が鳴らされる。
――ヤツの上ずった含み笑いの声音だった。
『さあて、ルグレ。替わってくれ。彼ともう一度、闘いがしたい』
『……計画にないわ。時間稼ぎのつもり?』
『いや、これは……ちょっとした余興だ。構わないだろう?』
シュルプリーズの声に、少女の溜め息が応える。
〈アラクネ〉は腰元の鞘から、一本の太刀を引き抜いた。
「シュルプリーズ。いまさら逃げられると思うのか?」
『私がどう思おうと、これから起こることに何も変わりはない」
太刀の刃をくるりと返し、敵機が好戦的な構えをとる。
インスマス号を背にしたポジションだった。
ここから撃てば、間違いなく船体を傷つけてしまうだろう。
そして〈アラクネ〉は、ショットガン片手でコッキングし始めた。
一発、二発、三発と繰り返され、弾薬が海原へと沈んでいく。
そうして、空っぽになった銃身を、つまらないもののように捨てる。
『どうやら斬り合いがお望みのようじゃの……』
カティアが呻るように言う。
「……くだらないことを」
そう言いつつ、フィンの胸中には燃え盛るような感触があった。
あの夢の中で浴びせかけられた言葉は、ヤツ自身の言葉だ。
今、コイツを否定しておかなければ、そうしなければならない。
フィンは操縦グリップを弾いて“カトラス”を海に放り捨てる。
『それでいい、アーキタイプ。さあ、私たちの“本質”を晒し合おう』
「お前と、俺を一緒にするな……ッ!」
ノズルを全開にして、ハイドロ・ジェットの出力を一気に引き上げた。
抜刀した“藍銅”の刃を水平に構えながら、紅い影に高速で肉薄する。
対するシュルプリーズの〈アラクネ〉は、インスマス号の装甲を蹴った。
その勢いを利用して加速し、太刀を大振りに薙ぎ払って、打ち付ける。
長短、二振りの得物が爆発的に激突し、鋼の慟哭を海原に鳴らす。
異なる周波数で高速振動する二つのブレードは、耳障りに響き合った。
刀身から返り散る火花を浴びて、二機のGSは殺意を押し付け合う。
『もはや手加減は抜きだ……ふははははっ……!』
ふと視界モニターの向こう。ナイフを握る手元に、赤い光が降りる。
〈アラクネ〉の機体の上部に発現した、ヘイローの光の輪だった。
その途端に、機体のフレームへの負荷が倍加し始め、警告が鳴る。
単純に、敵機体の駆動出力が上がったというわけではない。
太刀を圧す刃の角度、握る柄の位置、ヤツ自身がそれらを調整している。
ヘイロー・インプラントの演算によって行われた、精密な力押しだ。
〈ブルー・ブッチャー〉の構え、腕の角度、アクチュエータの配置。
それらを見て、リアルタイムに押し付ける力のバランスを変えている。
(……押し切られる)
フィンはペダルを踏み抜き、素早いステップで下がった。
一旦の間合いの確保と、それと水飛沫を使った目潰しが狙いだ。
この僅かな猶予を使って、こちらもヘイローの力を発動する。
祈るように閉ざした瞼の内から、膨れ上がるような光を感じた。
〈ブルー・ブッチャー〉の機体の頭上に、白い光輪が生じる。
“あの時”と同じ、最大出力――機体の半身を包むほどの光だ。
『そうだ、それでいい……もう一度、私を斬り伏せてみろッ……!』
挑発と共に、狂気を剥き出しにした太刀の乱打が一挙に降りかかる。
約4メートルにも及ぶ長大な刃渡りが、瞬く間に距離を詰めてきたのだ。
“藍銅”のブレード長は、敵の振るう太刀の半分にも満たない。
だが、演算に基づく行動予知との相性で言えば、ナイフのほうが優位。
取り回しの利きの良さと、ピンポイントでの防御と、攻撃への反転。
長大な太刀による攻撃など、どれほど繊細な計算を含めても大味になる。
そして〈アラクネ〉もまた、第三世代GS。パイロットの能力は同格。
この条件下の刃の打ち合いにおいて、フィンは僅かに圧していた。
「――殺してやる……ッ!」
澄み切った脳髄、思考、計算され尽くした手捌き。それとは裏腹に――。
ペダルを交互に踏み、操縦グリップを手繰る、フィンの胸中が燃える。
『ほお、また怒った人間の振りか? アーキタイプ!』
その挑発の言葉に、再び胸の灼けるような炎が燃え上がった。
これは、俺の感情だ。本物の感情だ。俺の意志で憶えた怒りだ。
“それこそ無い話だ”
ふいに、あの夢の中でシュルプリーズが放った言葉がよみがえる。
“怒り”とラベリングされただけの闘争本能。ヤツはそう言った。
フィンはいま、自分が浅い呼吸を繰り返していることを実感している。
ヤツは、感情ソレそのものの存在を否定していなかった。
むしろ、その感情を選び取ったという“意志”にこそ、懐疑を向けた。
挑発を受けると、人は学習の成果としてそれを「侮辱」として受け取り、脳の反応を引き起こす。その後の確率論的に予想される“闘争”に備えて、肋間筋や横隔膜を硬くすることで心臓や肺を護ろうとする。手順として、身体が臨戦態勢に入るのだ。
そんな胸郭の拡張を阻まれた状況下でも、思考のために、脳は多くの酸素を要求する。必然の結果、呼吸は浅くなり、血流が加速して筋肉や神経を“熱”を憶える。
これは交感神経が全身器官に分布し、学習を得た人類ならば誰でも再現可能だ。
『主殿、フェイントじゃ! 死角からくるっ!』
「……くっ……そこかッ!」
凌いで弾き返したはずの刃が、ヤツの背中を廻って左から斬り込んできた。
それをもう一度弾いて、胴へタックルを捻じ込み、退き際、斬りつける。
コクピットを狙ったはずが波頭に押され、刃は〈アラクネ〉の顔を抉った。
削げ落とされた八ツ目のカメラ・アイのいくつかが、火花を散らす。
『ふはははっ! 強いな、お前は……!』
「――黙れッ!」
この斬り合いの中で感じる、胸が詰まるような、呼吸の浅苦しさ。
その正体は、兵器である自分に残された「闘争本能」という“機能”。
それを、選び取った怒りなのだと誤読してしまっただけというのか。
もしかすると、自分が笑えないことが、その証拠のひとつかもしれない。
……フィンはふと、そんなことを逆説的に思った。
笑い――というのは、予測と観測のズレに基づく緊張の発散の現象である。
これは敵ではない、安全だ。そういう認知の違和感を解消した、その瞬間。
人は、エネルギーの回復のために笑い声を出し、同胞に“平和”を伝える。
常に戦場に立つ兵器。それも使い捨ての強化兵士に、笑う必要などはない。
目的のある生理現象として、ヘイロー・インプラントがそれらを選別している。
笑えるか笑えないか、などというのは、仕様の違いによる生理現象の発露。
きっとシュルプリーズの設計要綱のどこかには、笑いを実装しろとあったのだ。
だから“本物の意志”に基いた感情を発しない自分たちに、自由意志などない。
それがシュルプリーズの論理だった。なら、自由意志の行使とはなんだ。
カシウスも、ソフィアも、セレジアすら、それを行っていないとヤツは言った。
生身の人間である彼らには、ヘイローが埋め込まれているわけでない。
だが、周囲の環境が、彼らの感情を生じさせている。
倫理や思想といった概念が、感情の発露を取捨選択している。
外部から注がれる想いと、それを選別する手順書が彼らの内にある。
この構造は、強化兵士に与えられたそれと何ら変わりはない。
“定められた始まりと終わり。その従順な奴隷に、意志などあるのか?”
“力”そのものを教義とするカシウス。娘たちは“父”を基準に道を違えた。
作用に対する反作用。反発と結合。確かに――すべてが予定調和だ。
誰しもがそれを、自分で選び取った気でいる。叛逆を、服従を、支配を。
それすらも、紀元前から続く流動に、従わされているのかもしれない。
流動の正体は、力強さ、恐怖、道徳……であったりするのだろう。
だが。フィンは操縦グリップの、複合カーボン材質の手触りを確かめる。
ハイドロ・ジェットのペダルを踏み締めれば、ブーツの先に圧迫感があった。
ポンプの駆動――唸り声が腹の底の響く感覚を、確かに身体が受け止める。
古の時代から続く物事の道理だ。奴隷に選択の権利はない。
奴隷が唯一持ち得るのは、ただそこにある手触りのみである。
時代の奔流から、世界という枠組みから、この檻から。
きっと人間たちが抜け出せる日は、永遠に来ない。
たとえ、そうであっても今。
ここにある“質感”までもが不自由だとは――。
フィンは決して思わない。それすら誰かの筋書きだとしても。
『さあ、来い……アーキタイプ……ッ!』
「……――」
絶え間なく連続する太刀筋に、僅かばかりに出口が見えた。
この男の、一見するとランダムに見える斬撃の乱打には癖がある。
水平位置まで時計回りに、そこから反時計回りで一周し、再び正転。
これこそがヤツの太刀筋の癖だ。
右から袈裟斬り、直上直下の唐竹割り、持ち替えての左突き――。
「はぁッ!」
海面を蹴って右脚を前に、返し刃の太刀筋を掻い潜る。
その刹那に、〈ブルー・ブッチャー〉はナイフを滑らせた。
ブレードは狙い澄ましたように〈アラクネ〉の肩に刺さる。
そのまま、刎ねあげた。
太刀を握った深紅の機腕が、天高く舞って、着水する。
「――……シュルプリーズ」
勝敗が再び決した――二機のGSは、背中合わせに立つ。
フィンは高まっていた熱を振り払うようにして、訊ねた。
「これもお前の目論見の通りか?」
ヤツは振り向くことなく、笑い声を反す。
『……やはりお前も、私も、何も選べはせんのだな』




