【3】愛されなかった僕と、気にしなかった君―友情が告げた正体―
アリスは躊躇もなく答える。
「母親が僕を生むのを嫌がったんだ。
母親は重い精神病で、薬を飲んでいれば普通だけど、それでも症状がひどい時は、お祖父さまの言うことしか聞かなくなるんだ。
しかも僕を妊娠して薬を止めなくちゃならなくて。
それでお祖父さまは、母親が自分を傷つけて孫を失うことを恐れて、お腹の中には母親の大好きな小説の『不思議の国のアリス』のアリスがいるから、頑張って産もうって説得したんだよ。
だから無事に生まれた僕は、自動的にアリスになったわけ。」
僕は子どもながら、言葉を失った。
それは同情でも何でもなく、こんなに悲惨な身の上話をさらりと僕に打ち明けてくれたアリスに感激したからだ。
そしてアリスは「レンは何でレンなの?」と訊いてきた。
僕の瞳から涙が溢れた。
僕は生まれて初めて、自分も母のお腹の中にいた時から嫌われていて、名前を付けることすら面倒だった父母は、たまたま僕が生まれた時に病院の窓から見えた蓮の花を見て「蓮」にしたんだと“人”に説明した。
弟妹にも話したことは無い。
アリスの反応は、パンダがコロリと転がって「へー!」と言っているスタンプ一つだけだった。
その薄い反応に、僕はまた感激して泣き笑いしてしまった。
アリスは母親から産むことすら嫌われていることなんて、全然気にしていないんだと、“疎まれている子供”の直感で分かったからだ。
僕は父母を憎むよりも、『罰』が怖くて行動していたが、あんな父母に嫌われているのはむしろ嬉しかった。
ベタベタと可愛がられる弟妹を気の毒に思うくらいには。
幼い弟妹は、父母の悪魔のような本性を知らない。
僕は父母に触られるくらいなら、無視されていたい。
父母に触られたら、そこから腐るような気がする。
それはドロドロとした感情だけど、アリスは違う。
アリスは清々しいまでに気にしていない。
祖父を「お祖父さま」と呼ぶのに、母親は「母親」なのだ。
いわば、記号。
当時、そこまでは気づかなかったけれど。
それから僕らは毎夜メッセージをやり取りしていた。
本当はアリスに直接逢いたかったけれど、門限を破れば『罰』があるし、僕は習い事も複数させられていて、それらも成果を上げないと『罰』を与えると脅されていたので、中々時間が取れずにいた。
それでも僕とアリスは、僕が父母に毎晩のように温室に行かされ、時には朝まで過ごさせられ、そこで将来のために必死に勉強していることを話すぐらい親密になっていた。
アリスは僕の話を聞いても大袈裟に驚いたりしない。
いや、そもそも驚かない。
ただ「聞いているよ」という合図のように、アリスのお気に入りのパンダのスタンプを押してくるだけだ。
そして僕は、アリスに自分の置かれた状況を伝えることで、自分が父母に“嫌われている”のではなく、“愛されていない”のだと、初めて自分自身で認めたのだった。
そうして五日間が経った頃、アリスが「ビデオ通話しよう」とメッセージを寄越してきた。
僕はもう、アリスは僕が温室にいることを知っているのだから、いいよと答えた。
画面で見るアリスは美しかった。
僕の心臓が早鐘を打つ。
アリスは画面に映った途端、クスクスと笑い出した。
僕が「どうしたの?」と訊くと、アリスは「レンのお父さんとお母さんって甘いね〜!」と言ったのだ。
僕は驚きを通り越し、不思議だった。
こんな残酷な仕打ちを僕にしている父母が甘い?
アリスは煌めくように笑い、続ける。
「だってさあ、鉢植えがみんな枯れてる!
レンが神童で気まぐれだからって、こんな枯れた花に囲まれた不気味な温室で過ごしたがるかなあ?
レンは気まぐれな神童かも知れないけれど、常識はあるよ。
それは日頃レンに接してる大人なら誰にだって分かるよ。
誰かがこの温室に入ったら、異常な状況だって分かっちゃう。
僕なら蘭を完璧に育てるね!」
――僕はハンマーで思い切り頭を殴られた気分だった。
僕は父母を狡猾な悪魔だと信じていた。
それこそ“完璧な悪魔”だと。
だけど、違った。
それは真っ暗だった僕の目の前に、一筋の光が差した瞬間だった。
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