8.姐さんはどんな人生を選び取るのだろう
杏は、後宮全体に探りを入れるため、入り込んだ間者だ。姐さんと組織にいる頃は、本物の姉妹同然に暮らしていた。
「姐さんは、王の周りを探るために、王の身の回りの世話をする女官として入り込んでいたんだ」
竹にもたれかかり、少し懐かしく杏は語った。
「なるほど。そういう場合、お互いの存在は知っているのか?」
「少なくとも、私は知っていた。でも組織の存在が知られるのを恐れて、連絡を取ったりはしなかった」
そんな中、杏の組織が瓦解。二人は命令系統を失い、取り残されてしまった。
「どうしよう、と思ったね。このまま一生、洗濯下女をするのか?って。さすがに姐さんと接触しようと思った」
その矢先――姉弟子が消えた。
「最初に疑ったのが、王だった。王が誰かに命じて消したんだ。そう思って王を張った。そうしたら、翠、あなたの存在が浮かび上がってきた」
今までの宮妃とは、雰囲気が全く違う女。見事な手腕で、猫を捕まえたところも見た。ただものじゃない――そう考えた。
「私が王に頼まれて、あなたの姐さんを消した、と」
「ああ。でも、違うんだな……」
そう思い込んでいただけに、予想が外れた落胆も大きかった。
「うん……。あの王は、あまり苛烈な処断を好まないように見えるんだ。あなたの姐さんは、自分の意志で出て行ったという可能性はないかな」
「自分の意志で」
考えたこともなかった。自分の意思など、隠密には必要のないものだ。後宮に入り込めと言われれば入り込む。洗濯など好きでも得意でもないが、下女として自然に見えるように、せっせと働く。
組織が瓦解してからは、命令がなくなり、どうしたら良いのかわからず、とりあえず服を洗い続けた。
「姐さんは――」
組織の瓦解をきっかけに、自分の意志で、自分の足で歩き始めた?
(それなら、私に何か一言告げてから……)
いや、今まで連絡を取ったことがなかったのだ。向こうが自分の存在に気付いていたかもわからない。ならば、何も言わないのが自然だろう。
「姐さんは――どこへ行ったのか知りたい」
やむなく消されたのか、自分の意志で出て行ったのか。自分の意志だったら、姐さんはどんな人生を選び取るのだろう。
「知りたい」
絞りだした声は、竹林のさざめきに消えていった。
しばらく、そうしていただろうか。翠が口を開いた。
「杏、洗濯は――楽しい?」
「楽しいと思ったことは、ないです」
ほかにすることがないから、やっているだけだ。
「そっか。今ちょっと考えていたんだ。――もし杏が嫌でなければなんだけど、私の近侍になってくれないかな」
「近侍――」
近侍は宮妃の身の回りの世話だけでなく、文書作成や外部との折衝まで行う。女官の中でも優秀な者が選ばれる役目だ。
「下女の私が――ですか?」
近侍が下女から取り立てられるというのは、異例中の異例だ。
「うん。別に、誰がなったっていいんだ。一人置くように言われているんだけど、誰に頼んだらいいのか分からなくって。杏は字も読めるし、能力もある。問題はないと思う。どうかな」
「ちょっと考えさせてください」
突然降ってわいたような話だった。
「そうだね、ごめん。急だった。さっきまで戦ってたんだもんな、私たち」
翠はちょっと笑った。
「ニャンケイを一緒に捕まえたとき、とても頼りになった。元隠密ってのも私と同じで気が楽だし、さっきので杏の強さも分かった。私の近侍になってくれれば、心強い」
「なるほど」
「それに、鍛錬の相手も欲しかったんだ。ごめん、私の都合ばかりで」
(――頼りにされるって、こんな感じなのか)
命令されるのとは違う。
――自分が必要とされている。
(なんて嬉しいんだろう)
戻る場所も、もうない。
隠密ではなくなった自分が、これからどう生きるか。
(好きでもない洗濯をし続けるよりは)
出自も似ている、この変わり者の宮妃に仕えてもよいだろう。
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