7.王を張っている隠密を探せ!
王は約束通り、宮中に来た。王妃と護衛を伴い、前庭を散歩する。美しい庭で花を見てほほ笑む二人は、絵画のようだ。
翠は、庭全体を見渡せる、少し離れた建物から王を見守っていた。
(昨日は、失敗だった)
王の前に出ただけで、あんなに緊張するとは思っていなかった。前半は、ほとんど記憶がないくらいだ。
(隠密として呼ばれただけなのに)
盛大に勘違いをし、いざとなると固まってしまった自分が情けない。
(修業が足りない)
部屋に戻ってから、いつもより多くの鍛錬をした。恋愛書物も取り寄せた。それでも、情けない自分は消えなかった。
(隠密として、しっかりと任務を果たそう)
さすれば、痩せっぽちの自分でも、宮中に置いてもらえるだろう。
(ここのご飯は、うまいからな……)
王が、すっと耳を触った。そして、翠とは反対方向に、目線を向ける。
(合図だ。向こうを見たということは、こちら側にいるのか?)
同じ建物に潜んでいるかもしれない。翠はゆっくりと移動を始めた。
◆
翠がいる建物は、女官たちが執務をする場所だ。
書き物をしている女官、そばの下女が、硯に墨を足す。洗濯をしている下女、掃除をしている下女、書物を運ぶ女官。
全員を注意深く観察する。
(方角的に、おそらくこの中の誰かだ)
そうして、一人に目を付けた。
(あいつ――)
翠は書き物をしている女官に近づいていった。
「すみません、少し筆をお借りできますか?」
女官は戸惑いながらも、筆を差し出す。翠はそれで、手のひらに文字を書いた。
「ありがとう」
そして、洗濯をしている下女に近づく。彼女は、一生懸命布のしわを伸ばしている。その肩を、ちょんちょんと触る。
振り向いた下女に、手のひらの文字を見せる。彼女は文字を見た瞬間、地面を飛び退った。
「蛇はどこ!?」
下女はそう言い、翠の顔を見る。その後の下女の表情は、まさに百面相だった。まずは、訝しみ、次に驚き、さらに悔しさ、一瞬諦めの表情を見せたが、すぐに憤怒の表情に変わる。
翠の手のひらには「足元に蛇がいますよ」の文字。
「杏、下女として潜り込むなら、文字を読めちゃあマズいよ」
翠はにやりと笑った。明鈴妃の屋敷で、一緒にニャンケイを捕まえた下女だ。隠密の類かといぶかしんでいたが、その時は確証がなかった。
杏は洗濯物を放り出し、逃げ出した。その足取りは、十分訓練されたものだ。
(同業者を追うなんて、久しぶりだな)
杏は、人気のない竹林へと逃げ込む。それを追う翠。と、杏が止まって振り返った。戦闘態勢に入っている。
(武器は持っていなさそうだ)
単純な体術なら自信がある。翠も構えた。
「あなた、姐さんをどうしたの!?」
「あ、姐さん?」
「あなたが来てから、姐さんが消えた。あなたが始末したんでしょ? 汚らわしい、王の狗め」
「王の狗」
そんなものになった覚えはない。
「杏こそ、王を付け狙うとは、どういうつもりだ」
「狗に答えるつもりはない!」
杏がとびかかってくる。
速い。
飛んできた手刀をいなし、足を狙う。が、かわされた。
もう一度飛んでくる手刀。かわしたつもりが、肩に当たった。
「ぐぅっ……!」
なかなか強い。
間髪入れずに、石が飛んできた。
(狙いは、目か――!)
大きくよければ、隙を作る。
石をつかめば、片手がふさがる。
(ならば)
石つぶてをあえて額で受け、次に来る攻撃に備える。
思った通りのタイミングで、手刀が来た。
それを腕ごと絡めとり、投げを打つ。
杏は背中を強かに打ったが、すぐに起き上がった。低い体勢で、まだ戦闘の姿勢を崩さない。
(生け捕りは、難しそうだな――)
彼女を動かしているのは、怒りのように見える。普通だったら、先ほどの投げで、倒れていただろう。
(姐さんとは、誰だろう?)
誤解されているようだからそれを解きたいが、相手は話に応じない。
(ならば、話す気にさせるしかないか)
翠は、相手の間合いの一歩手前まで前進する。そして、足元の落ち葉を思いきり跳ね上げた。
杏の視界を一瞬奪い、その隙に、体へ蹴りを入れる。
一瞬崩れた体勢を逃さず、首元へ手刀。
これはかわされた。
反対の手で、衿をつかむ。そのままギリギリと締め上げた。
「話す気になったか?」
杏の顔がみるみる赤くなる。翠を見る瞳は、怒りに燃えている。
「あなたが来てからなんだ。あなたが王の周りをちょろちょろし始めてから、姐さんが消えた。あなたが王に頼まれて、姐さんを消したんだ」
「私は、あなたの姐さんを知らない。王に頼まれて誰かを始末したこともない。本当だ」
少し瞳の力が落ち着いた。衿に込めた力を少しずつ抜く。
「ではなぜ今、王の狗をやっている」
にらみつける瞳は、まだ力が宿っている。
「その狗っての、やめてほしいな……。私は今回だけ、王に頼まれたんだ。自分を付け狙う目線を感じるから、その者を捕えてほしい、と」
「じゃあ、誰が姐さんを……」
杏は崩れ落ちた。
「分からないけど、私も調べてみるよ。詳しく教えてほしい。その代わり、王を付け狙うのはやめてくれないかな。私も――やりづらいから」
目線を感じるたびに、王と至近距離で話さなくてはならないのでは、たまったものではない。
しかしそれを、杏は別のほうに捉えたようだった。
「――確かに、寝所までのぞくのは趣味が悪かった。昨日も気まずくて、途中でやめたんだ。次からはのぞかないから、思い切り楽しんだらいい」
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