5.主上、近いです
寝所の入り口で平伏する少女は、小さく震えていた。彼女を呼ぶのは、10日ぶりくらいか。
「面を上げよ」
王が言うと、翠はゆっくりと頭を上げた。小さな頭には、多すぎるくらいのかんざしが刺さっていて、それが慣れぬようでフラフラしている。
「楽にして良い」
「ありがとうございます」
彼女はひょいひょいとかんざしを抜き、領巾と上着を脱ぎ去る。
まったく、王を目の前にして、なんと伸びやかなことか。
「あの、本日はどのようなご用件で」
「宮妃を寝所に呼ぶ理由をわざわざ聞くのは、無粋だと思うが」
「そ、そうでございますか。その、主上は、ふっくら専門と伺っているので、なぜ私なのかと思いまして」
「ふっくら専門?」
「ふっくらした女性が好みなのかと。ですので、私のように痩せた者は、お好みではないと思っておりました」
後宮に集める女性は、基本的に大柄な女性にしている。なぜなら、そのほうが大きくて健康な子を産めると言われているからだ。
「それは勘違いだ」
自分の好みなど、考えたことがない。
味方にすべき外戚を持つ女性に、丈夫な子を産んでもらう。後宮の役割とは、そういうものだ。
「あ、でも大丈夫です。私は、房中術を修めておりますので。手技や体術はお任せください。さらに最近では、男女の心の機微をとらえるために、市井で流行っている『お色気三姉妹の珍道中~ポロリもあるよ~』も全巻読み、学んでおります」
男女の心の機微を学んだものは、寝所でこのようなことを言わない。
「それは頼もしい。近う」
翠は立ち上がり、近づいてくる。繰り人形のようなぎこちなさだ。房中術を修めたのなら、せめて妖艶な色目でも使うべきであろう。
(真面目なのだろう。不器用なほどに)
翠の証言をもとに、彼女が属していた組織を探らせている。少なくとも10箇所以上の拠点を持つ、大きな組織のようだ。王の暗殺を任されるということは、彼女はその中でも確かな実力と信頼を得ていたのであろう。
(こいつを使ってみよう)
近づいてきた少女は、元暗殺者とは思えぬくらいあまりに頼りなく、目線を泳がせている。どこまで近づいたらいいのか分からず、距離を測りかねているようだ。
「もう少し近う」
恐る恐るといった足取りで、翠は手の届くところまで来た。が、それ以上には近づいてこない。
小さな手でぎゅっと裾を握りしめ、顔はうつむいたまま。荒い息がここまで伝わってくる。
王はため息交じりに苦笑した。
「それでは話ができぬ。座れ」
細い腰を抱き、寝台に座らせる。布越しに、彼女の体がガチガチに緊張しているのが、ありありと伝わってくる。
顔を寄せる。その顔は、哀れなくらい耳まで真っ赤だ。その名の通り緑がかった翡翠の瞳は、落ち着きなくあちこちへと動き、潤んでいる。
「無理をさせてすまない。ほかの者には、聞かれたくないのだ」
この状況は、はた目には、睦言をささやいているようにしか見えないだろう。
少女は、この寝台の上で男女が何をするのか分かっていて、覚悟の上で来ている。今から自分が提案しようとしていることは、その覚悟を裏切るようで、少しだけ気が引けた。
「余からお前に頼みたいことがある。隠密として、だ」
泳いでいた瞳が見開かれる。そうして一回瞬きをすると、少女は王の目をじっと見つめた。
「隠密として」
その瞳は凪のように静かで、こちらの真意などすぐに見抜かれてしまいそうだった。
一瞬気圧され、気圧された自分に驚いた。
「主上には、ここに置いてくださっているご恩があります。良いでしょう。して、どのような」
落ち着き払った態度は、初めての寵愛を受ける宮妃ではなく、一人の隠密だった。
うまそうにまんじゅうを頬張ったかと思えば、変な本でズレた知識を学び、閨事に臨めば湯気が出そうなくらに茹った顔をする。そんなありのままの少女の顔と、隠密としての翠。
(同じ人物とは思えん。いったいどんな暮らしをしてきたんだ)
王自身、他人の生い立ちに興味を持つのは初めてあったが、この時はその違和感に気づくことはなかった。
お読みいただき、ありがとうございます!
感想、ブクマ、リアクション、評価★★★★★などとても励みになりますので、よろしくお願いします!!!




