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4.猫を見つけたご褒美は

「翠さん、一緒に猫を探しに行かない?」


 中庭で鍛錬をしていると、紅がひょこっと現れた。宮妃になっても、日課の鍛錬は欠かせない。


「猫を?」


「明鈴妃さまの猫、ニャンケイちゃん。いなくなっちゃったから、探してほしいって頼まれちゃって」

「明鈴妃さま――」


(第三夫人だ)


「いいよ」


 翠は汗を拭き、手ごろな石に腰かけた。宮中の暮らしは暇だ。平和であり、ご飯が美味しいのは素晴らしいことだが、圧倒的に退屈だった。


「じゃあさっそく、明鈴妃さまのお屋敷に行ってみましょうか!」

「え? 今から?」

 第三夫人のお屋敷など、先触れもなしで翠のような下っ端が出入りできる場所ではない。女官にすら、口を聞けないだろう。

 

「もちろん。私、けっこう気に入られていて、何度も伺っているのよ。今回頼まれたのも、そのつて」


◆


 明鈴妃の屋敷には、あっさり入れた。門にいる女官が紅の顔を見て、通してくれたのだ。紅は、当然の顔をしてズカズカと屋敷に入る。その度胸の良さに、翠は感心してしまった。


「どなたに聞いてみましょうかね……」


 と、紅はキョロキョロと周りを見渡す。ふと、洗濯物を運んでいる下女が目についた。彼女を呼び寄せてみる。


「あなた、お名前は?」

「杏《キョウ》でございます」

「杏さん、このお屋敷の猫について聞きたいんですけど、知っていらっしゃいます?」

「お屋敷の庭の北側に、庭具を入れておく小屋があるんですけど、その近くで何度か見たことがあります」


「そう、ありがとう」


 杏は一礼すると、その場を立ち去った。


「翠さん、お庭の北側ですって! ほかの人にも聞いてみたいわね」

「うん……。それよりあの下女――紅さん、気づかなかった?」

「もちろん気づいたわ。たぶん、めっちゃトイレを我慢していたわね。落ち着きがなかったもの」


(そうじゃないんだけどなぁ)


 翠は曖昧に笑った。あの下女、おそらく隠密の類だ。同類である紅ならわかるかと思って聞いてみたが、当てが外れた。翠の勘違いかもしれない。


「次は、誰に話を聞いてみましょうか」


 辺りを見渡した紅は、別棟の小屋から煙が上がっているのを指さした。なにやら美味しそうなにおいがする。

 

「ちょうど午後のおまんじゅうを蒸かしているみたいね。こういうところ、猫がちゃっかり来ていそうよね」

「おまんじゅう」


 このにおいは、まんじゅうのにおいなのか。


(第三夫人ともなると、専用の菓子が用意されるのか……。食べてみたい)


 中では、数人の下女が、忙しそうに働いていた。彼女らに、紅がニャンケイの行方を尋ねる。


「よく、おこぼれをもらいに来ますね」

「特に、おまんじゅうの皮が好きで」

「お庭の北のほうで、見たことがあるわ」


 紅の手際の良さや、人に近づくハードルの低さに、翠は感心しきりだ。


「やっぱり、お庭の北みたいね。行ってみましょうか」


◆


 屋敷の北側には、ほとんど使っていないような物置があった。


「こういう場所を、隠れ家にしていそうだな」


 翠は、物置をぐるりと見渡した。扉は開いていて、中は薄暗い。庭具だけではなく、壊れた樽や、割れてしまった甕が置かれている。薄暗い室内に入ってみると、思ったより埃っぽさが少ない。空気の流れを感じる。


「下からだ」


 床を注意深く見ると、床板がずれている場所がある。そのあたりに、猫の足跡が多く残されていた。

 床板を動かすと、そこには地下への階段があった。


(隠し通路だ――)


 貴人の家には、襲撃に備えて、隠し通路が多く存在するから、これもその類か。


(ニャンケイはここにいるのかも)


 暗い階段の先を覗き込む。


 その奥で、何かがキラリと光った。


(なんだろう)


 階段を降りていくと、その先は果たして通路になっていた。北のほうまで、ずっとまっすぐ続いている。


(さっきの――)


 鈍く光っているのは、爪の先ほどの大きさの、青い玉であった。猫の毛がまとわりついている。


(何の玉だろう)


 なんとなく摘み上げ、通路の奥を眇めつつ見る。


(いる)


 たぶん、猫だ。暗い通路の足元に、丸い影。


 近づいていく。


 影がピクリと動く。


 お互いにらみあいつつ、ゆっくりと間合いを詰める。


 すると、影はパッと逃げ出した。奥へ奥へと逃げる。翠も追う。


 途中の十字路に見向きもせず、猫は北へと駆けていく。しばらく走ると、通路は行き止まりになった。行き止まりには、降りてきたときと同様、上への階段。天井はぴったりと閉じていた。


 翠は猫を追い詰めたと思い、捕まえようとしゃがみこむ。


 猫はひらりとジャンプをすると、来た道を返し始めた。そして、小屋への階段を上る。


「紅さん、猫を見つけた!今そっちへ行った!」


 大きな声で言いながら、猫を追いかける。


「きゃあっ!」


 紅の声だ。


 小屋を出ると、紅が猫と対峙している。白い毛に、茶色のぶち。想像より大きく、でっぷりと太っていた。


(まぶしいな)


 闇に慣れた目に、光がささる。翠は、上着を脱ぎ、ニャンケイに覆いかぶさろうと地面に滑り込む。それをニャンケイは、からかうように避けた。


 猫が走っていく先を見ると、立ちはだかるように誰かがいた。大きなかごを持っている。洗濯かごだ。先ほど、ニャンケイの行方を聞いた下女だ。


(たしか、杏といったか――)


 彼女は、かごでニャンケイを捕えようとする。その身のこなしは、日々の洗濯だけで身につくものではなかった。


「こちらへ……!」


 翠が言うと、杏は心得たようにうなずき、もう一度ニャンケイに振りかぶる。逃げる先が、翠がいるほうになるように。


 意図通り、ニャンケイは翠のいるほうへと駆けてきた。ジャンプで包囲網を突破しようとする猫へ、上着を広げ、逃げ道をふさぐ。ニャンケイの爪が、上着に引っかかる。その隙を逃さず、翠はそのまま上着でニャンケイを包み込んだ。


「よーし、よし」


 なだめるように抱きかかえ、おしりをぽんぽん叩くと、ニャンケイは観念したのか、されるがままとなった。


 杏は一礼すると、そのまま立ち去ろうとする。


「待って! あの……!」


 ――あなたも元隠密?


 そんなことを聞けるはずもなく、翠は礼を口にした。


「ありがとう。あなたのおかげで、ニャンケイを捕えることができた」

「それは、ようございました」


 杏はほんの少しだけ微笑んで、その場を去った。


「やったぁ! 翠さん、大手柄よ!」


 紅は翠に近づき、ニャンケイの顎を撫でる。猫は、面倒そうに目線だけを紅に向ける。


 抱いた猫はずっしりと重い。歩くつもりがないのか、降りようともしない。ニャンケイは退屈そうにあくびをすると、目を閉じて寝てしまった。


◆


 第三夫人の明鈴妃は、大柄で華のある女性だった。ニャンケイを抱きかかえ、あごの下を撫でる。かしこまる紅と翠に、にっこりと笑いかけた。


「よう捕まえてくれた。紅」

「恐れ入ります、明鈴妃さま」

「頭を上げよ。この間、そちが見立ててくれたかんざし、主上が褒めてくれてな」

「それはようございました。ところで、ニャンケイを捕らえたのは、こちらの翠でして」

「ほう。翠、とな。頭を上げよ」


 明鈴妃は、貴人にしては珍しく、しっかりと翠に目線を合わせる。そうして肩をぽんと叩き、

 

「翠、ようやった。礼を言う」


 と、気さくに礼を述べる。

 

 翠は恐縮のあまり、何も言えずに、ただただかしこまった。

 

「そちらに、礼を取らせねばな。そうじゃ、ちょうどまんじゅうが蒸しあがった頃じゃろう」


 明鈴妃は侍女を呼び、何かを言いつけた。


「翠と言ったな。そうかしこまる必要はない。そこへ座れ。今、まんじゅうを持たせるからな」


 紅は何のこだわりもなく、近くの椅子に座る。翠もそれに倣った。


「まんじゅうってもしかして、さっきのかな」


 翠は、ごく小さい声で紅に言う。


「たぶんそうよ。明鈴妃は、午後のお菓子を専用で作らせるくらい、こだわりがあるの。きっと美味しいわよ」


(やったー!)


 降ってわいたご褒美に、翠は無邪気に喜ぶ。袖に入れた玉など、すっかりと忘れていた。


◆


「明鈴。そういえば、猫は見つかったのか?」


 王の問いに、明鈴妃は、お茶を一口飲む。明鈴妃は、王に呼ばれるときには、特別に作らせた菓子を持っていく。そうして茶を飲みながら話すのが、王との習慣になっていた。


「覚えていてくださって、ありがとうございます。無事、見つかりましたわ。このかんざしを見立ててくれた宮妃と、その下女が見つけてくれたんです」

「ああ、紅か」

「そう、紅。主上はよく覚えていらっしゃるのね。下女は――翠といったかしら。見覚えがないから、最近入った子だと思うわ」


「翠、か。余が最近入れた宮妃も、同じ名前だが」


 王は、焼き菓子を二つに割って、片方を口へ放る。


「宮妃?まさか!痩せっぽっちだし、上着も着ずに、土まみれでしたわよ」

「そうか」


 王は、残りの焼き菓子も口に入れ、かみ砕いた。


 明鈴妃がふと見れば、口元が緩んでいる。


 ――笑っている。


 余裕のある太い笑いは、よく見せる。しかし、このように何かを懐かしむかのような穏やかな笑顔は、見たことがない。


 何を考えているのか聞いてみたかったが、彼の機嫌を損ねそうだったので、明鈴妃は何も言わずに、その笑顔に見入った。

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