3.王の寝所に呼ばれた!もしかして、そういうお誘いってことですか?
「翠でございます」
女官が刺しまくったかんざしが重い。こうべを垂れればますますだ。何枚も重ね着した衣装で、肩が重い。
(なんでこんなに服を。もっとエッチな、スケスケ衣装かと思ってた…)
翠の耳年増ぶりは、書物を与えられてから、さらに加速していた。
平伏する翠の目の前にある戸の先は、王の寝所だ。
「入れ」
王の声に、戸が開けられる。平伏したまま、薄暗い寝所へと入る。後ろで戸が閉まった。
「緊張しておるようだな」
王の声が降りかかる。暗殺しようとした日とは、また違う緊張だ。あの日のミッションは暗殺と逃亡、あるいは自決。とても分かりやすかったし、初めてのことではなかった。でも今回は――。
(なんだかんだで宮妃になっちゃったということは、ついにエッチなことを……!)
めくるめくあんなことやこんなことを妄想し、翠はおろおろと目線を泳がせた。
「楽にせよ。何もせぬ」
「な、何もって、え、え、エッチなことはしないってことですか?」
「なんだ、したかったのか。では」
衣擦れの音がして、王が立ち上がったのが分かる。
「ち、ちちち、違います!」
「では楽にせよ」
「はい、では失礼して」
翠は、近くの座卓にもたれかかった。頭が重いし、重ね着した衣装が分厚くて、動きが取れない。それで、かんざしをいくつか外し、衣装を数枚脱いだ。
「楽にしすぎだ」
王は苦笑した。
「そこにあるものを食え」
卓の上を見れば、透明な器に水が張ってある。その中に、白い豆腐のようなものが沈んでいる。おずおずと器を手にし、添えてあった匙で、その豆腐をつついてみる。
それは思ったより弾力があり、ぷるんと匙を跳ね返した。
(なんだこれ!? 豆腐じゃない! ぷるんぷるんだ……!)
ちらりと王を見上げると、早く食せと促された。今さら毒は入っていないだろう。言われるがまま、口に入れてみる。
(冷たい……! 甘い!!!)
最初に驚いたのは、その温度だ。ひんやりと冷たい。冷たい菓子など初めてだ。白い豆腐はつるりと入っていき、喉越しが良かった。甘いが、爽やかな香りがして、いくらでも食べられそうだ。
(初めての味! こりゃうんめ~~!!)
がつがつ食べてしまえば、また嘲笑される。本当はもっと早く食べてしまいたいが、その気持ちをなんとか理性で押し込んで、上品に見えるように口へ運ぶ。
「うまいだろう」
王は、太い笑みを浮かべる。
「お前は甘いものに弱そうだったからな。用意させた。まんじゅうと違って、なかなか品よく食べるではないか。少しは宮妃らしくなってきたな」
王が何か言っているが、翠は無視して食べ続けた。なるべくゆっくりと、品よく見えるように。
豆腐を食べ終わり、透明で甘い水もずるずる飲み干したころ、王が口を開いた。
「さて、毒気はすっかり抜かれたようだな。では聞くが、お前は少府監の紹介ということで入り込んできたな」
「はい」
そうだった。頭領はどのようなつてか分からないが、最終的には「少府監の紹介」というお墨付きを持ってきた。
「少府監のまわりについて、少し調べさせた。いくつか、余を暗殺しそうなルートが見つかった」
翠は内心ドキリとしたが、頭領について、口を割る気はない。
「まあ、余を殺したがっているやつはたくさんいるから、驚くことではない。お前は今のところ、口を割る気はないのだろう?」
それには翠は答えない。何かを返答すれば、それが仇となる可能性がある。ここは沈黙が正解だ。
「お前のような孤児を拾って、暗殺者として育てている輩を何人か知っている」
頭領のことだ。同じような集団はいくつかあることを知っている。
「そいつらが、どんな暮らしをしているか知っているか?」
「え?」
思わず声が出た。知らない。兄さまたちとは寝食を共にしているが、頭領については分からない。どこからともなく現れ、修行を言いつける。そして、暗殺や間諜の計画を持ってくる。
それに応じれば、金銭がもらえた。成功すれば弟子たちのなかでのランクも上がり、少し良いものが食べられるようになる。失敗すれば、懲罰か死だ。
そんな暮らしを、物心ついてからずっと、翠はしてきた。
「暗殺は儲かるんだ」
王は笑みを浮かべていた。
「お前たちは、暗殺が成功するといくらぐらいもらえるんだ? 銀貨3枚くらいだろう」
王の言うことは、だいたい合っている。
「知っていたか? その元締めは、暗殺するごとに、銀貨2百枚くらいを受け取っている」
「……っ!」
思わず息をのむ。下級役人の年収に匹敵する額だ。まったく知らなかった。
「それを何に使っていると思う?もちろん、自分と家族に使っている。毎日贅沢なものを食べて、風呂にだって入るし、寝台で毎晩違う女と寝る。お前らの育成にも使うが、元締めにとってお前らは使い捨ての家畜だから、最低限の小屋と飯しか与えない」
翠は、頭領を思い出す。いつもボロボロの同じ服を着ていた。杖だって、ずいぶん前に兄さまがプレゼントしたものを、ずっと使っていた。
王はうそを言っている。頭領は違う。ちゃんと私たちと同じように貧しい暮らしをしていた。
「もちろん、弟子たちに贅沢な姿は見せない。ぼろ服で、いかにも同じ暮らしをしているように見せるんだ。そうしないと、弟子たちの心を掴めないからな。単純な方法だが、効果は抜群だ」
心を見透かされたようだ。
「お前の師匠はどうだ? ぼろ服から出ている手足の血色は良かっただろう? 髪の毛はふさふさと艶があっただろう? たまに気まぐれで、高価なものを分けてくれたりしただろう。例えば――まんじゅうとか」
一つのまんじゅうを、兄さまたちと分けた。その時は15人ほどだったか。翠が口にできたのは、皮のかけらとそこにこびりついた餡。
そのころ頭領は、家族と一人一つのまんじゅうを、悠々と頬張っていたのか。
(いや、王は私を懐柔して吐かせるつもりだ! 乗ってはいけない! 頭領は違う!!)
そう強く思っても、翠のなかで、疑心暗鬼がぬるりと入り込んでくる。
「今日は下がれ」
王の声は聞こえたが、あまりの衝撃に動くことができなかった。
(頭領の暮らし――考えたことがなかった。でも)
心当たりがあった。
一度、町で頭領に似た老人を見かけたことがあった。隣には、同じ年くらいの裕福な婦人。
頭領に似た老人は、量の多い白髪をしっかりと整え、仕立てのいい絹の上着を着て、金の指輪が光る手で、宝石を散りばめた杖をついていた。
いつもの、ぼろい麻の服に、素朴な杖をつく頭領とは、まったく違う様子だったため、他人の空似だと思っていた。ただ、その老人の足運びは、暗殺者として訓練したことのあるそれだった。
それ以降意識の外にあったが、一度だけ頭領が、金の指輪をしてきた時があった。あの時とまったく同じ指輪に見えた。
兄さまに指摘され、それは頭領の義理の父の形見であり、今日が命日だから着けてきたと言っていた。しかし、1年後の同じ日には、指輪はつけていなかった。忘れたか、形見を売ってしまったかと、その時は思っていたが――。
「下がれ。それとも抱かれたいのか?」
からかうように言われ、翠はやっと我に返った。
(今、全部つながった)
「私をお抱きになる前に、私をここへ遣わせたものの話をさせていただいて、よろしいでしょうか?」
「うむ。許す」
王は、満足げにほほ笑んだ。
◆
(面白いやつだったな)
元暗殺者が退出した扉を眺めながら、王は思った。
――懐柔か、厳しい取り調べか。
捕らえたときの感触で決めている。
隠密稼業の連中は、たいてい暮らしが貧しい。普通の暮らしすら知らないから、懐柔策は意外と効果的だ。
(しかし、あんなにうまそうに食うか?)
粥を口にした時の目の輝き、まんじゅうを頬張るときの口のゆるみ、杏仁豆腐の汁まで飲み干した。
(仲間の情報を、すべて吐いたな)
そうなれば用済みだ。さっさと宮妃をやめさせ、路銀を持たせて故郷に帰す。いつものパターンだ。
(あいつは――)
暗殺者としての腕はなかなかだった。
王は外にいる侍従を呼ばわった。
「さっき辞したものだが」
「はい。路銀を渡して帰しますか?」
「いや、気に入った。そのまま宮妃としておいてやれ」
意外だったようだ。侍従はすこし訝った。
「そういうことでしたら、あのもの、今呼び戻しましょうか」
「そういう意味ではない」
(――そういう意味では)
かんざしをぽいぽい外し、うまそうにまんじゅうを食べるあの娘を、なんとなく、もう一度見たいと思っただけだ。故郷に帰すのはそれからでも遅くまい。
◆
宮妃としてゆったりと過ごしてしまうと、いよいよ元の生活には戻れそうになかった。しかも、頭領の情報を吐いてしまったから、帰る場所がない。しかし自分の行動は、本当に正しかったのだろうか。
頭領は憐れみで自分たちを拾って、生きる術を身につけさせてくれたと、ずっと心の底から感謝し、尊敬していた。だからまだ心のどこかで、頭領に限って自分たちを駒のように使うはずがないと叫んでいる。
鬱々と考える日々が続いたが、ある日、お茶をいっしょに飲んでいた紅が驚くことを言い始めた。
「翠さんって、元暗殺者なんですって?」
あまりの衝撃に翠が答えられずにいると、紅は話を続ける。
「私も、実は暗殺者だったんですわよ。主上を討とうとしていたの。でも失敗しちゃったの。あなたもそうでしょう?」
紅はにこやかに言う。紅は、商人の出と言っていなかったか。湯呑を持つ白くふっくらとした手は、およそ人を手にかけたことがあるようには見えない。
「で、でも紅さんはたしか、最初商人の子って――」
「あれは嘘。初対面の人に、暗殺者だったなんて、言うわけないじゃない」
紅の言う通りである。
「主上は武芸もお達者で、お体を鍛えられていて、うっとりするような筋肉で、あの筋肉に抱かれるともうくらくら~っと――あ、それは置いておいて、つまりは主上はお強いので、暗殺には至らなかったの。でも主上はお許しくださって、こんないい暮らしまで与えてくださって――。うちの師匠、ひどい人だったから、チクってやったわ」
「ひどいって、例えばどんな……?」
話に乗ってしまった。これでは肯定したようなものだ。
「だって、私たちには全然お金をくれないのに、一人で儲けているんだもん。私たちには貧乏暮らしをさせながら、自分は贅沢三昧。命がけの仕事をしてるのはこっちだってのに。仕事に失敗したら、すんごい折檻されるし、ひどくない?」
「うちも同じ。本当に、ひどいよね」
翠は笑った。紅も笑う。同じだ。みんな一緒。
「何となくだけど、翠さんって、まだ主上のお手が付いていないわよね」
「うん……」
あれ以来お召しもなく、清らなままだ。書物はたくさん読んでいるから、ノウハウは身についているのに。
「もう少し、横に大きくなったほうがいいわ。私みたいに。主上は、ふっくら専だから」
「ふ、ふっくら専?」
「そう。ふっくら専門。ほら、私のおまんじゅうあげるから、もっと大きくなりましょ。主上との伽はすごくいいわよ~」
紅にまんじゅうを押し付けられ、王との伽がどのように「すごくいい」のかを妄想しながら、翠はそれを口にする。
(あんま~い!!)
自分のしたことが正しかったのかは分からない。けれど今は、あの時皮しか食べられなかった少女に、まんじゅうを分けてあげたい。そうして、教えてあげよう。師匠をよく観察してごらん、と。
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