48.蓋をして、隅に追いやっていた
翠はしばらく、卓の上に置いた本を、なんとはなしにパラパラとめくっていた。
大好きな本なのに、今は読む気がしない。
(今日見た、午後の日差しの中の王)
自分が守りたかった命が、確かにそこに存在していた。
(失いたくなかった。失うのが怖かった)
だから、王を傷つけてくるものを憎んだ。全力で排除した。
自分はどれだけ傷ついてもいい。王が無事ならば。
そして、そんな大切な命を、一瞬でも手放そうとした王が許せず、叱責した。
あの人を大切に思うのは、主だからじゃない。兄のように慕わしいからでもない。
気が付くと、夕方になっていた。部屋が橙色に染まる。窓から斜めに落ちる日差しが、卓の隅へ追いやった文箱の蓋を照らす。
(もうだめだ)
文箱をちらりと見る。あの中には王からの手紙が入っている。内容だって全部覚えている。
目を閉じれば、ありありと浮かぶ。
金飛糖を噛む口元、松明を受けオレンジ色に輝く瞳、いたずらっぽい笑顔。
(心のどこかで、もうとっくに分かってた)
(でも、この気持ちに気づいてしまったら――名前を付けたら戻れなくなる)
そんな予感がしていたから、怖がって、逃げて、ごまかして、気づかないふりをしていただけだ。蓋をして隅へ追いやった、この文箱みたいに。
(私は、なんて臆病で卑怯なんだ)
でももう無理だ。
温かい体、心臓の音、髪を撫でる指。
思い出すだけで、胸が締め付けられる。
これだけあふれてしまっては、もうごまかせない。
(私は――)
卓に突っ伏す。
(あの人が好きだ)
(どうしようもないくらい好きで、大切だ)
ついに、認めざるを得なかった。
(なんだこれ)
涙がじわりと出てくる。
(好き、だけじゃない。相手にも、同じように思ってほしい――会いたい、声を聞きたい、独り占めしたい、守りたい、守られたい、触れたい、触れられたい。なんて欲深いんだ)
全部ひっくるめて、苦しいくらいの、「好き」。
(ほらやっぱり)
堰を切ったら、欲が止まらない。
これが怖かったんだ。
(でも――あの人は私に興味がない)
痩せっぽちな自分がここに置かれている理由は、便利な隠密だからだ。
――王の狗め。
杏がいつか言っていた言葉だ。
(その通りだ)
翠は自嘲気味に笑った。
(一晩いても、何もなかったんだ)
さすがの自分にもわかる。
どれだけ思っても、思いは返ってこない。
この気持ちを、どうしたらいいのだろう。
(そばを離れたほうが良いかもしれない)
この欲深い気持ちを抱えたまま、彼の近くで暮らすことはできない。
(もう宮妃はやめにしよう)
どこでだって、暮らしていける。杏の姉弟子のように、職人に弟子入りするのも良かろう。
(ああ、でも今日)
呼ばれている。
会いたいのに会いたくない。思いを告げたいのに返事を聞くのが怖い。矛盾だらけだ。
(どうせ、そばを離れるんだ。最後に言おう)
自分は、幸い宮妃だ。そばに侍ることができる。
(一度だけでいい)
王と宮妃なのだから、触れ合ったって不自然ではない。そこに、彼の心がなくても。
(そうしたらきっと、未練なく離れられる)
ここまで読んでくださってありがとうございます。次回、最終話。そのあとエピローグ掲載予定です。
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