32.今夜はここで寝ていくか?
「そうだ、翠。俺は動けないから、お前がこちらへ来い」
「はあ?」
「寵姫として何度も呼ぶと、いろいろと角が立つ。しかし、俺はもう身動きが取れん。だから、用があるときは、お前がこっちに来るんだ。お前なら、できるだろう」
「できますが――嫌です」
「なぜ」
「主上がほかの女とお楽しみの最中というところに、出くわしたくないからです。人の情事など、正視に耐えない」
と、嫌悪を露わにする。
(そういえば――)
(暗殺者の女と触れるのを、見せてしまったことがあったな)
あの後、むかむかすると、さんざん睨まれた。
(情事というほど生々しいものでもなかったと思うが――翠にはひどく汚らわしいものに見えたのだろう)
「大丈夫だ。最近は一人になりたいことが多くて、誰も呼んでおらん」
「そうなんですか。とはいえ――このお部屋まではさすがに難しいかと。出入口が一つしかありませんので。お庭なら、うかがえそうです。夜市のとき、服を置いていた場所はいかがですか?」
「わかった。頼む」
ここ最近、本当に気詰まりだ。どこへ行くにも、警護がついてくる。もはや、監獄だ。少しでも、息抜きできる時間がほしい。
(さすがに、自由にしすぎた)
その代償がこれだ。
翠に傷痕が残るような怪我を負わせ、自分は監獄行き。
「本当は来年も夜市に行きたかったが――もう無理だろうな」
――年に一回、この月に行われる夜市には参加しよう。そう決めていたのに。
すると、翠に背中をさすられた。いつの間にか、背中を丸くしてしょげていたらしい。
「ふ……ありがとう。――お前、今日はここで寝ていくか?」
言ってしまってから、自分でも驚いた。
(俺は、何を――)
息が抜けない日々が続き、さすがに参っている。その気の迷いか。
「はあ?――それって……エッチなことをするってことですか?」
「せぬ!いるだけでいい」
(そういうことではない。そういうことでは――)
「わかりました。添い寝をすればいいんですね」
「お前なあ……」
(こいつ、本当に俺が男だってことを忘れてるな)
それは翠らしくもあるが、さすがに度を過ぎている。
翠の頬をつかみ、むにゅむにゅと握る。
「お前、もう少し危機感を持て。さすがに、襲われるぞ」
「ふぁい」
理解したのかしなかったのか、頬をつかまれたまま翠は返事をした。
「俺は長椅子で寝るから、添い寝もいらん」
「でしたら、私が長椅子で。主上は寝台のほうがいいんじゃないですか?私はどこでも寝れますので」
「俺は毎日寝台で寝ているから大丈夫だ。お前が寝台で寝ろ」
「……分かりました」
そうしてまた、足をぶらぶらさせ始めた翠を、改めて見る。王の前で許される中で、最も簡素な服装だ。領巾は省略、上着も一番短いもの。
支度をする女官へ、なるべく簡単で、と注文をつけているのだろう。
(こいつ――本当に、ここを何だと思っているんだ)
女として気に入られようという気概が、一切感じられない。香油もつけず、化粧も薄い。その頭についているかんざしは、たったの一本。夜市のときのかんざしだ。
それで、なんとなく夜市を思い出す。
橙色の明かり、イカ焼きの耳をすすめてくるいたずらっぽい笑顔、弓を引き絞る真剣な眼差し、月を見上げる横顔。
(――何か引っかかる)
――何かがつながりそうだ。
火事、疑われた雪蘭、宮女の証言。イカ焼き、弓、月――。
(弓――。矢か!)
「おい、翠。あの音――炊事の下女と、見回りの女官が聞いたという音、矢ということはありえんか?」
「矢――なるほど」
放たれた矢が、空気を切り裂きヒュッと鳴る。聞きなれないものが聞いたら、悲鳴のように、あるいは金属をこすったような音に聞こえるかもしれない。
「……火矢ですか」
「うむ」
下女が小屋を去る、火矢を放つ、小屋が燃える。
「ありえます。ありえますが――弓矢を扱えるような女官が、そうそういますか?」
「いると思う。お前は使えるだろう?」
「ええ。得意です」
「じゃあ、いる。お前のような隠密は、他にも潜んでいる。全員、表立っていないだけだ」
「……知りませんでした。それらは――処罰なさらないので?」
「やりたいものにはやらせておけば良い。水面下でお互いにやりあって、結局つぶしあっているから、たいして害もない」
(下手に手を出せば、力の均衡が崩れる)
だから、放っておくのが一番だ。
「なるほど――。もし……もし主上のまわりに」
「ん?」
「隠密がいたら、どうされますか?」
「俺のまわりか。そうだな……あまり近くをうろつかれても居心地が悪い。うまく取り込んで寝返らせるか、それが無理なら故郷へ帰らせる」
「……主上らしいです」
そう言って、翠は少し考えるしぐさをした。
「矢の件ですが――普通の女では少々難しいやもしれません。私は弓矢もたしなみますが、火矢となると、腕力が足りず満足に飛ばせません。火矢は重いので。なので、女官に扮した隠密が火矢を放ったとしたら、かなりの膂力を持った女ということに」
「うむ――確かにな」
つい、場所は後宮内であることを忘れていた。軍事訓練での弓矢隊を思い浮かべてしまっていた。
「とはいえ、矢の可能性はかなり高いかと思います。なにより、女官たちとの証言と合います。ですので、力のありそうな女官に気を付けてみます」
◆
「そろそろ寝るか」
と、王は立ち上がって長椅子へ向かった。寝転がってみると、硬いが寝心地は悪くない。
「では」
と、翠が枕もとのろうそくを消す。それで部屋は真っ暗になった。
「おやすみなさいませ、主上」
「ああ」
目を閉じるが、頭が冴え冴えしている。
ままならぬ自由、ふくらはぎに残された傷痕、火事と雪蘭。そして、寝台で寝る翠――。
悩ましいことばかりだ。
しばらく、真っ暗な天井を見つめる。そうしていたら、寝台から声がした。
「あの……主上。起きてますか?」
「ああ」
「お話しても?」
「構わぬ」
どうせ、眠れそうにない。近くに翠がいたら安らかに眠れそうな気がしたが、実際はその逆だ。添い寝などされていたら、本当に危なかった。
「以前うかがった、私が来た前後くらいにやめさせた女官の件ですが」
「ああ」
そういえば、そんな話をした。
確か――俺がその女官を始末したという疑いを、その縁者にもたれていたというやつだ。
「先ほどの話を聞いて思ったんですが、――その女官、隠密の類だったのではないでしょうか。それに気づいた主上は、彼女をやめさせた――と思うのですが、どうですか?」
件の女官を思い出す。私文書の代筆を任せていた女官だ。字がうまく筆跡も自在。使い出があった。
(筆に、異様にこだわっていたな)
常に何本もの筆を持っており、紙や墨ごとに、筆を変えていた。
隠密組織の一つを解体した際、その名簿に彼女の名前があったときには驚いた。
「その通りだ。だから暇をやった」
知ってしまったからには、放っておけなかった。使い出はあったから、そのまま使っても良かった。が、本人が望まなかった。
――では、どうしたい。
――筆を、作ってみたい、と。
「どこへ行ったのかはご存じですか?」
「なぜそれを聞く」
「その女官の縁者が知りたがっていたので」
「――あのものは、どこかに嫁して、それでおさまる器でもなかった。本人に聞いたら、筆職人になりたいと。だから、その道をつけてやった」
「……ありがとうございます。このこと、その縁者に伝えてもよろしいでしょうか?」
「ああ、構わん。伝えてやってくれ」
縁者というのは、おそらく同じ組織の隠密だろう。
(ひょんなことから後宮に入れた翠が、いつの間にか妙な人脈を持ちつつある)
感慨深いものだ、と王は心でつぶやいた。
お読みいただき、ありがとうございます!
感想、ブクマ、リアクション、評価★★★★★などとても励みになりますので、よろしくお願いします!!!




