31.褒美のまんじゅう、ありがとうございます
王の寝所に呼ばれるのは、もう何度目だろう。毎回かんざしを外すのも面倒になってきたので、支度の女官に頼んで、最低限の数にしてもらった。服も、許される限りの簡素を極めている。
今回は、依頼主と隠密という感じだから、とても気が軽い。
「近う」
「はい。ご報告いたします」
すたすたと寝台に近づき、ひざまずく。翠は下女と女官から聞いた話を報告した。
それを聞いた王は、深くため息をついた。
「話を聞く限り、その炊事の下女が火をつけた、という結論は納得できるな」
「はい。今のところ、噂をひっくり返すのは難しい、と思います」
「そうだな。――その、二人が聞いた音というのが気になるな」
「私も気になります。お化けではなさそうなんですが」
ピコリンのことは、報告しなくていいだろう。
(それにしても気になる。王はどうしてそこまで雪蘭妃さまを)
王からは、どうしても雪蘭妃を守りたい、そういう意思を感じる。
「主上は、なぜ雪蘭妃さまを、そんなにお気になさるので?」
「雪蘭は――かわいそうな女だ」
王は膝に肘をつき、苦渋の表情を浮かべた。
「あいつは、左丞相の娘だ。左丞相殿は、前の王から謀反を疑われていてな。忠誠の証に、娘を人質に出すしかなかったんだ。四姉妹の長女雪蘭は、家と妹たちを守るつもりだったんだろう。たった11歳で、まだ東宮ですらない俺のところに来た」
「11歳で――」
「うむ。以来、あいつは宮に囚われたままだ。本人は俺のことを好きでもないのに、家を守るために犠牲となったんだ。雪蘭には、申し訳ないと思っている」
「それは……全部が、主上のせいではないかと」
「……ふ、そうだな。ありがとう」
王はわずかにほほ笑んだ。
「とはいえ――責任を感じている。だからせめてこの宮が、居心地の良い場所であってほしい。疑われているのは不憫だ。あいつは人づきあいが苦手で、誤解されやすい」
「なるほど。お気持ち、理解しました。私も、不憫に思います。この件、引き続き気にかけておきます」
「頼む。――ともあれ、今回はご苦労だった。褒美をやろう」
「褒美!?」
一瞬喜ぶが、すぐに口元を引き締める。
最近読んだ書物では、「ご褒美」と「お仕置き」、両方がエッチなやつだったからな――。
ちらりと王を見る。何も持っていない。枕もとの卓の上には――
(おまんじゅうだ!)
白いまんじゅうがひとつ。
「はい!ありがたく」
翠は立ち上がった。
◆
王が翠に寝台の隣をすすめると、彼女は気楽な様子で座った。
(最近、こいつから緊張感がなくなっているような……)
最初はあんなにガタガタしていたのに。
(ある意味、安全だと思っているのか……?)
彼女の本心は分からない。今分かるのは、その目線が、まんじゅうに注がれていることだ。
(なんと分かりやすい……)
隠密なら、目線を相手に悟られてはいけないだろうに。
それに気づかぬふりをして、王は翠に話しかけた。
「そうだ、雪蘭からお前の話を聞いたぞ。よく本を借りにくる、と」
「そうなんです。本の趣味が似ていまして」
「そうか。――礼を言う」
今まで雪蘭に友人らしきものができたことはなかった。
(それが、翠とは)
「で、雪蘭から、『お色気三姉妹』を押し付けられた」
「読んだんですか?」
その言葉に、王は内容を思い出す。少し頭が痛い。
「読んだ。おかげで寝不足だ。それでお前――あれで男女の心の機微を学ばないほうがよいぞ……。ずいぶんと、その、特殊な傾向の物語だった」
「えっ!そうなんですか!?」
翠は、純粋に驚いている。
(男のすべてがああだとは思ってほしくない。あれが市井に出回っていること自体、心配だ……)
「それでは改めて、雪蘭の件、ご苦労だった。褒美だ」
まんじゅうをつかみ、翠の前に差し出す。
ふにゃりととろける笑顔。
――つい、からかいたくなる。
「食うか?」
そのまま、口元へ持っていく。
からかったつもりだった。
それが、まさかそのまま食べるとは。
「ありがとうございます!」
王が持ったままのまんじゅうに、ぱくりと食いつく翠。
(おいおい――)
小動物に餌付けをしているようなほほえましさと、妙な生々しさ。急に居心地が悪くなってきた。
(なんだこいつは)
一口、二口。まんじゅうがなくなっていく。
――これ以上はだめだ。
怖くなって、翠がちょうどまんじゅうを口に入れた瞬間に、手を放す。
「すごくおいしいです」
口をもぐもぐさせながら、翠が感想を言う。
「あ、主上」
なんだ、と思う間もなかった。
パッと手を取られ――。
ぺろり。
気づいたら、指はぬるりと温かい口腔内へ。そこについていた餡は、きれいに舐めとられた。
「私のです」
舐められたのは一瞬。しかし、粟立った背筋が戻らない。
(くそっ)
(なんだこいつ)
(緊張感というものがなさすぎるだろう)
当の翠といえば、寝台から出た足をぶらぶらさせている。
(こいつ――俺が男だってことを忘れていないか?)
夜市で「景兄」と呼ばせたのが良くなかったのかもしれない。
心の中で大きなため息をつきながら、何とか平静を保つ。
「あのときの怪我はどうだ」
「もうすっかり良くなりました。お手紙や高価なお薬、ありがとうございました」
「見せてみろ」
少しためらいながら、翠は足を寝台に乗せる。そして、ゆっくりと裾をまくった。
ハッキリとした傷痕が二本。
心がズキリと痛む。
「治ったようでなによりだ。巻き込んで、本当にすまなかった」
裾を直してやりながら、頭を下げる。
「いえ。少しでもお守りできて良かったです。主上は?」
「俺の傷は、お前のより浅かった。痕も残らず治ったよ」
「それは、良かったです」
翠はそう言いながら、足をまた寝台の下へと戻した。
「そういえば、侍従にはどのくらい怒られたんですか?」
「天地がひっくり返るくらい、小言を食らった。以来、警護を増やされたよ。あれは俺を守るためじゃなくて、王宮に閉じ込めておくためだな。ちょっと抜け出すにも、あれこれ策を弄せねばならん」
「王さまってのも大変ですね」
「そうなんだ。なのにやりたいってやつが後を絶たん。訳が分からん」
王は盛大にため息をついた。
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