23.翠の涙
男は焦り始めていた。
王を討つなら今日しかない。綿密に考えた作戦だった。
王は一年に一回、この夜市へ一人で出かける。その調べがついていたから、今日、この道で待っていた。
果たして王は来た。
毎年一人だったのに、今日は女連れ。城から連れてきた寵姫か、行きずりの女か。どちらにせよ、足手まといになるこそすれ、戦力にはなるまい。
しかし、逃げる女の足取りは早かった。
追いつめてみれば――翠。
(あいつは……強い)
膂力は自分のほうが上だが、体術ではかなわなかった。
(二対一か)
王の実力は、かなり上のはずだ。実際、構えに隙はない。
撤退するか?いや、来年からは警戒される。もう、王が護衛も連れずに外出するなんて、起こらないだろう。この機会を失ったら、次はない。
(翠が邪魔だな)
まずは、翠を排除。その後に、王だ。
じりじりと間合いを詰める。
これ以上詰められないというところまで前進し、最後の一歩を大きく踏み出し、突き。
これは避けられたが、計算済み。
(次が本命)
翠の胴に思い切り蹴りを入れる。
(よし!)
完全に吹き飛ばしたつもりだった。しかし彼女蹴り飛ばされながらも、足を正確に跳ね上げた。
「く……っ!」
右ひじが、つま先に弾かれる。
(こいつ……狙いは、腕か)
手がしびれ、剣を取り落としそうになる。
(どうする)
油断なく構えている王と、うずくまっている翠。
翠は、受け身もせずにひじだけを狙っていたから、蹴りのダメージはまともに食らっているはずだ。
(あいつは、すぐには起き上がれないだろう。その間に)
王だ。
狙いを王に定め、切りかかる。一合、二合。
(強いな)
王は男の切り込みを、しっかりと受け止めてくる。翠にやられた腕では、あまり持たないかもしれない。
(でも、俺が押している――)
王は、剣を受けるばかりで、少しずつ下がっていく。もう少し押せば勝てる。
(いや、おかしい)
攻撃の手段がなく、仕方なく受けにまわっているには、余裕がある。
(こいつ、わざと)
(でもなぜ)
自分が王を押している。いや、押させられている。
王をよく観察すると、チラチラと別の場所を見ている。そこには――翠。
(翠から俺を離すために?)
王が下がるのをやめた。その後ろは崖になっている。
(追い詰めた……のか?)
あるいは、追い詰めさせられたのか。
「ここまでだな」
と、王が攻勢に出てきた。
「くっ!」
高い上背から振り下ろされる刀は、一太刀一太刀が重い。翠から受けた腕のダメージもあり、あまり持たない。
(やばい、やられる)
なんとか攻撃に転じないと。
その時、落ち葉が目の前を舞った。
(翠――)
いつの間にか近くに来ていた翠が、足元の落ち葉を投げつけてきたのだ。
一瞬、落ち葉に気を取られている間に、王の一撃が来る。左肩からの袈裟斬りを何とかかわしたが、体勢が崩れた。
(次でやられる)
(どうすれば)
(そうだ、翠)
左腰に隠していた飛刀を、翠に投げつける。ほぼ狙いなどなくめちゃめちゃに放ったそれは、彼女の足に当たった。
王の動きが一瞬止まる。
(やはり)
(こいつは)
(信じられない)
王にとって、女など捨て駒のはずだ。ましてや相手は、ちんちくりんの翠だ。
しかし目の前の王は、翠が傷つくのを見て、明らかに動揺している。
(確定だ)
こいつは――翠が害されるのを恐れている。
体勢を整える。
(これなら、やれる)
男はにやりと笑った。
男は王と再び対峙する。そこへ、翠が構えながら割って入る。
(さっきの蹴りからは回復したか。でも足は――)
ふくらはぎには、先ほど放った飛刀が、刺さりっぱなしだ。
「お前は下がっていろ!」
「主上こそ、お下がりください」
こいつらは、お互いが弱点だ。
まずは、邪魔な翠に切りかかる。翠はそれをギリギリでかわして、跳躍。その手刀は首を狙っている。
「甘えんだよ!」
丸腰の翠が自分を倒そうと思ったら、狙える場所は少ない。予想は簡単だ。
予想通りの動きを見せる翠の腹を、思い切り蹴り飛ばす。吹き飛んだ翠を横目に王へ向かう。
(こいつも簡単だ)
目線をわざと、翠のほうへ向けながら、王へ切りかかる。何合か斬りあうが、王の意識は明らかに翠に引っ張られている。
(今度は、確実に押している)
後ろは崖。
(追い詰めた)
隙を見て、飛刀を2本持ち、一気に翠へ投げ込む。うずくまっている翠は、避けられもしない。どちらか一本でも当たれば、翠は動かなくなるだろう。
(当たらなくても)
王の動揺は誘える。
「うっ!」
一本は足へ。もう一本もかすった。
そして、大きな隙を見せる王。
(いける)
踏み込み、胴を狙う。パッと飛び散る血。
(くそ、浅かったか)
切っ先は少し狙いを逸れ、致命傷を負わせられなかった。
しかし、体勢は崩した。
(もう一回振れれば、やれる)
振りかぶる。――と、一条の閃きが腕に刺さった。
「く……っ!」
(俺の飛刀――!翠が投げたのか)
思わず剣を取り落としそうになる。
「兄さま!よくも主上を!!」
翠が恐ろしい形相で向かってくる。
(あいつ、足は)
歩けないくらいの傷は負わせたはずだ。
その瞬間、横から頭に蹴りが飛んできた。視界がゆがむ。
「ぐっ……」
(蹴り……だと?)
(あの足で?)
意外な一撃を、まともに食らってしまった。
やばい、倒れる。
捕まるわけには。
失敗したなら、素早く自刃。
隠密の鉄則だ。
剣を喉に当てようとするが、王の刀で弾き飛ばされた。
足がもつれる。
もう駄目だ。
倒れる。
捕まるわけには。
倒れるなら――崖だ。
よろよろと崖へ向かう。
視界の端で、翠が王へ飛びついたのが見えた。泣いている。
(あいつが泣いてるの、初めて見たな――)
そこで彼は意識を失い、崖へと落ちていった。
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