19.このイカの三角の部分をあげます
もう夜だというのに、城下町はにぎわっていた。あちこちで明かりが焚かれ、夜の闇に街だけが浮かび上がる。
「わあ……!」
沿道には、たくさんのお店。何かが焼けるおいしそうな匂い。楽しそうな笑い声。
心が自然と沸き立つ。
「すごい!夜なのに!こんなにお店!」
翠は思わずはしゃいだ。
「夜市は初めてか?」
「はい!」
何もかもが新鮮だ。通りの奥のほうまでずっと、市が立っているようだ。そのすべてが、見たことがない数の人で埋めつくされている。
「迷子になられても困る。つかまれ」
と腕を出される。
(確かに困るな)
翠はおずおずと腕をつかんだ。
「ありがとうございます、主上」
「おっと。その『主上』ってのはまずい。ここでは、景と呼べ」
「確かにそうですね。では――行こう、景」
「おいお前、不遜すぎるぞ。呼び捨てにするな」
(呼べと言われたから呼んだのに)
わがままな王だ。
「しかし、さまをつけるのも、大げさでしょう。うーん……景兄でどうですか?」
「それなら、まあいいか」
と、王は歩き始める。
「お、景ちゃんじゃねえか」
と声を掛けてきたのは、酒屋の主人。
(景ちゃん!?)
「久しぶりだなあ。前は、毎月来てたのに」
「最近、なかなか忙しくて」
「そうか――ん、そっちの子は、景ちゃんのいい人かい?」
「そんなところだ」
「ご冗談を!妹です。ね、景兄!」
絡めた腕を、おもいきりつねった。
「――そんなところだ」
「ちょっとだけうろついてくるから、この子を頼めるか?」
王の申し出に、酒屋の主人は「分かったよ」と返す。
そのまま王は、どこかへ行ってしまった。
どうしたらいいのかわからず、翠は酒屋の主人をちらっと見る。向こうも話をしたそうだ。
「景兄って、よくここに来てたんですか?」
「そりゃもう、毎月」
「来て――何を?」
「何をってそりゃ……うーん?あいつ、よく考えたらなんもしてねえな!ぶらぶらしてるだけだよ、ぶらぶら。よっぽど暇なんだな」
「それは――そうかもしれません」
昼に仕事を抜け出して、せっせと衣装を用意するくらいには、暇なのだろう。
「姉ちゃんは、景ちゃんとどうやって知り合ったんだ?」
「妹ですから、知り合うもなにも」
「本当は違うだろ?」
男は笑顔のまま、翠を見る。
「えーっと……仕事で、たまたま」
暗殺も、立派な仕事なのだ。
「そうか。あいつ、いいやつだろう」
「そうですね」
お菓子をくれる人は、いいやつ、という区分で間違いないだろう。
すると、王が戻ってきた。
「じゃあ行くか」
と、酒屋の主人に別れを言って歩き出す。
「何をしてたんですか?」
「うむ……」
正直に言おうか逡巡している顔だ。そして、正直に言おうと心に決めたらしい。王は口を開いた。
「私物を売って、金を作っていた」
「え?王さまって、お金持ちじゃないんですか?」
「あれは全部公費だ。俺自身は、自由に使える金を持っていない」
「そうだったんですか」
「俺は偉大だから、小遣いなしで、王というあんな面倒なことをやっている。あれこれ勝手なことを言うやつらをまとめなきゃならんし、物騒なやつらは次から次へとくるし、結構大変なんだぞ」
「――ご苦労様です」
「だから――今日は息抜きだ」
そう言って、妙に晴れ晴れした顔で歩き出す。
途中、よく声を掛けられたから、この夜市では有名な「ぶらぶらしているゴロツキ」なのだろう。
「かなり足しげく通っていたんですね」
「王子時代にな。市井の暮らしを知りたいと思って」
(耳障りのいいことを言っているが、どうせ退屈しのぎだろう)
「王になってからは一年に一回。だから、久しぶりだ」
王の横顔を盗み見て、それでようやく翠は理解した。
(ああ、この人は)
(楽しいのか)
たぶん、心から楽しんでいる。
「そうだ、何か食おう。何がいい?」
「えっ!?やったー!!」
店の半分は、食べ物を売っている。あちらこちらからいい匂いがしてくるから、気になっていた。
ぐるりと周りを見渡してみる。
まんじゅう、肉まん、串刺しの肉、焼いた魚。
(全部食べたい!)
「あれがいいです!」
と、翠はイカ焼きを指さした。手のひらほどのサイズのイカが、串にささって焼かれている。
「いいな」
と、王は歩き出し、イカ焼きを二つ買ってくる。
「食おう」
翠はイカの胴の部分にかぶりついた。
「おいしいー!」
皮は香ばしく、身は弾力がありつつも柔らかい。宮中の凝った料理とはまたちがう、素朴なおいしさだ。隣を歩く王も、がぶりと噛みついている。作法も何もあったものじゃない。
「景兄には特別に、上の三角のところをあげます」
と、翠は食べかけのイカ焼きを、かりそめの兄に差し出した。
「お前、この部分が好きじゃないから、俺に食べさせるんだろう」
「あ、バレました?」
「いいだろう」
ぱくりと、イカの耳を食べる王。こうしていると、本当に兄ができたようだ。
同じものを食べながら、歩く。ごった返す人にぶつからないように。彼と、はぐれないように。
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