14.王の元に、寵姫を装った暗殺者がきた
王が、新しい宮妃が来るといっていたその夜。
翠は言われたとおりに寝所を張った。天井裏の隙間から、寝所の様子をうかがう。
女が来た。しずしずと、品のいい女だ。
「近う」
王が女を呼ばわる。女はゆっくりと王へと歩んでいく。
(あの足運びは――)
あまり訓練されているとは思えない。
(普通の女ってのもあり得るな)
女は、王の手を恭しく取る。
(おい、女!そこだ!隙だらけだぞ!行け!)
翠なら、このタイミングで迷いなく突っ込んでいる。
上から冷静に見ていると、確かに王は、あえて隙を見せているようだ。
――そうやって、暗殺者の間合いを操っているのか。うまいな。
自分も、王が見せた隙に誘導されて、暗殺に失敗した。
しかし、女は刃を閃かせることをしない。
(おいおい……)
王の手が、女の顔を包み込む。二人の距離が縮まる。そのまま寝台に倒れこんでいく。
(なんだ、何もないじゃないか)
(えっ……このまま始まっちまうぞ。それは最悪だ)
(普通の女だったってことか……?)
(しかし、なんだこの気持ちは)
――腹の中がむかむかする。あの色っぽい女も、まんざらでもなさそうににやついている王も、まとめてぶん殴りたくなる。いやもう、ぶん殴りにいくか?
これ以上見るのをやめよう。そう思ったとき、女が刃を繰り出した。すぐさまその手を払い、制圧する王。
(良かった――)
何が良かったのか分からない。
(王が無事で?いや、違う)
あの二人が、それ以上をしなかったことに、自分はホッとしている。
(なんだこれ?でも、まだむかむかは収まらない――)
今から出て、ぼこぼこにぶん殴るか?暗殺者だったんだから、少しくらいは殴っても怒られはしないだろう。王にもうっかり数発行くかもしれないが、とばっちり。仕方のないことだ。
王が大声で護衛を呼ばわる。
(――あとは、護衛に任せよう)
翠はそっとその場を立ち去った。
◆
夜遅く帰ってきた主人は、たいそう機嫌が悪かった。珍しい、と杏は思った。
次の朝も、翠の機嫌は直らない。イライラして吐きそうだから、と朝餉を断っていた。
(さすがに――どうしたんだ?)
杏は心配になった。いつも、朝餉を待ち遠しく待っているではないか。
翠はごろごろしながら本を読んでいるが、あまり集中はしていないようだ。と思うと、庭へ行って鍛錬を始めた。「くそっ」とか、「あの野郎」とか言いながらの、個性的な鍛錬だ。
(今日はおかしいぞ)
そう思っていると、主人のもとに手紙が届いた。上質な紙に、香が焚きしめられている。「翠」と書かれた文字は、優美な筆運びだ。
(差出人は――ない。誰だろう)
疑問に思いつつ、悪態をつきながら体を動かしている翠に渡す。
チラッと見えたそれは、暗号のようだった。
「なんだ、これ」
「暗号ですか?」
杏の言葉に、翠が振り返る。
「杏、こういうの、得意?」
「得意なほうです」
「私、なんか今、考えるのが億劫だから、読んでおいてほしい。で、内容だけ、私に教えて」
「かしこまりました」
そんなに複雑な暗号ではなかった。が、内容は杏が見るべきものではなかった。
「翠さま、ヒントをお教えしますので、これはご自分で読んだほうがよいでしょう。主上からです」
「あいつか」
翠は、心底いやそうな顔をした。
それは、密会の誘いだった。時間と場所の指定、そして待っているという一言。
杏の見立てでは、王は翠を特別視している。寝所でも熱い抱擁をしていたし、この前は先触れもなく後宮の翠を訪ねていた。
(それに、この手紙)
わざわざ宮妃を、夜に呼び出すか?普通に寝所へ呼べばよいのに。おそらく、誰にも知られたくないのだ。
そして、翠もまんざらではないと思っている――そう考えていたが。
「ちっ!」
翠は手紙を読むと、こともあろうに舌打ちをし、破り捨てた。
(不機嫌の原因は、王か)
「杏。今日の夜、ちょっと外出する。ついてこなくていい」
「はい」
◆
夜の中庭は、ひっそりと静まり返っていた。
待ち合わせ場所の物置の陰には、王がひとり、立っている。
翠が近づくと、王が顔を上げた。
顔を見るだけでむかつく。
「こんなところを、護衛も連れずにウロウロして、大丈夫なんですか?」
「大丈夫じゃない。バレれば、侍従に大目玉を食らう」
「宮妃に会いたいのなら、普通に寝所へお呼びになればいいのに」
「最近お前を呼びすぎた。寵愛が偏るのも障りがあると、侍従にとめられたのだ。仕方あるまい」
「そうですか」
王の言葉は、あまり耳に入ってこなかった。あの寝所で見た、女との抱擁。それで頭がいっぱいだ。
「昨日は、その――おかげで暗殺者を生け捕りにできた。礼を言う」
「それを言いたくて、私を呼び出したんですか?」
翠は王をじろりとにらみつけた。
(このむかむかは、全部こいつのせいだ)
「うん、まあそうだ。あと、昨日はその、どこまで……いたんだ?」
思い出したくもないことを、なぜこいつは聞いてくる。腹立たしい。
「主上があの女と寝台の上で存分にお楽しみあそばせて、刃物を跳ねのけるところまでです」
「そうか」
「主上、もう私を寝室の警護にしないでください。人の寝所など、正視に耐えない」
腹立たしい。この腹立ちが、どうしたらすっきりするのか分からず、さらに腹が立つ。
「あの後、腹がむかむかしました。おかげで今日の朝飯が食べられませんでした。今もむかむかしています」
王のにやついた顔を見るだけで、あの女を思い出す。最悪だ。
「それは一大事だ。……悪かった。俺も――お前に頼むべきではなかったと思った。すまなかった。」
「あの女は――どうしたのですか?」
できれば今からでもぶん殴りたいが。
「あのものなら、処遇はお前と一緒だ」
「一緒」
ということは、自分と同じように、宮妃になって王のそばに侍るのか?それは、かなりむかつく。
「粥を食わせて風呂に入れたら、すっかり毒気が抜けて、朝飯を食べながらポロポロ泣いて、すべてを白状した。路銀を渡して、故郷へ帰したよ」
「帰したんですか」
「うむ」
(私のときと違う――)
なぜだか、溜飲が下がった。
◆
次の日になると食欲も出たので、いつもの通り、紅と一緒に朝餉の粥を食べた。
(今日はお芋だ)
宮中の粥はおいしい。ほくほくした芋を噛むと、わずかに甘い。
「どうして昨日は、朝餉を食べなかったの?」
紅の言葉に、翠は答えた。王の寝所を見たときから、腹がむかむかする、と。
「なんだ。翠さんも分かりやすい嫉妬をするのね」
「え? 嫉妬じゃないよ」
そう言って、翠は粥をもぐもぐと食べた。
「嫉妬ってのは、あれだろ?好いた男が、別の女と仲良くしているとイライラするというやつ。それとは違う」
――そうじゃなくて……ただむかついただけだ。
最後に残った芋を、つんつんと突く。
下女が王にキャーキャー言って、それに王が応えても、なんとも思わない。目の前にいる紅が、何度も寝所に呼ばれていることも知っているが、むかつきはしない。
でも、あの女と王が抱き合っているところは、本当にむかついた。今も思い出すと、少し食欲がなくなるくらいだ。
――このむかむかは、何なんだ?
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