10.侍従が見たもの
(今日は多いな)
王は心の中でため息をついた。
卓には書類が多く積まれている。一つ一つは、小さな裁定を求めるものだ。しかしそれに目を通し重要度を鑑み、自身が判断するか、他の者へと割り振るかを適切に判定するのは、集中力を必要とする。
すでにいくつかの書類は検分した。が、まだまだ半分以上ある。
(夕方までには片づけたい)
その中の一つ、西方との貿易について書かれたものに、さっと目を通す。
(西方――か)
昨日のことを思い出す。あの小さな宮妃に西方の菓子をやったら、ひどく喜んだ。素直に口を開けるさまは、小鳥のようだった。
(あんなにニヤニヤと。よほどうまかったんだろうな)
菓子を噛んだ娘は、とろけるような笑顔になった。
そして彼女は、こともあろうに、自分の口へも菓子を入れてきた。
(寝所であんなことをしたら)
誰だって、その先止まらなくなるだろう。自分だって危なかった。あの細っこい指だけではなく、すべてが欲しくなってしまう。
(あいつに、その気はなかろう)
なのに。
(あの変な本には書いていなかったのか?男の口へ指なぞ入れたら、その気になってしまう、とか)
腕のいい隠密だと思う。気配を察するのがうまいし、体術や判断力もなかなかだ。
(でも、馬鹿だ。馬鹿というより――鈍すぎる)
「主上、そちらの書類はどうなさいますか?」
完全に動きが止まった王をいぶかしんだのだろう。侍従の声で我に返る。
(いかん、政務が)
すっかり考え事をしてしいまった。集中が完全に途切れた。
「休憩する。茶を」
侍従に告げ、王は立ち上がった。
◆
主上にしては珍しい、と侍従は思った。いつもは、切りのいいところまで、しっかりと集中して政務をこなす。その精力には、いつも感嘆していた。
ところが今日は、気もそぞろだ。
(何かあったのだろうか。それとも、ご体調が?)
お茶を持ち、執務室に戻ってくると、王は窓の外を眺めていた。何となく、声をかけるのは憚られたので、少し待ってみる。
王の目線の先は、中庭――いやもう少し遠く。後宮の庭だ。
(だれか、気になる宮妃でもいるのだろうか。それで集中が?)
いや、それは主上らしくない、とすぐに彼は頭の中で否定する。
何となく、侍従も後宮の庭を見る。
一人の女――いや少女がいる。小柄で華奢な体つき、簡素な服に軽くまとめただけの髪。宮妃らしくはない。
彼女は、蝶でも追っているのか、右へ左へふらふらと走り回っている。そして、意を決したのか、勢いよくとびかかった。
しかし運悪く、その先は茂み。出ているのは、小さな尻と、バタバタもがく足だけである。
(何をしているのだ、あの娘は)
いくらなんでも、間抜けすぎる。
「くっくっく……」
王が笑った。このように、こらえきれずに笑う王の顔は、初めて見る。
(今、声を掛けたらまずいだろう)
王の笑いが収まるのを待つ。蝶を捕まえた少女が、建物のほうへと嬉しそうに駆けていったのが見えた。
「主上、お茶をお持ちしました」
「うむ」
振り向いた王は、いつもの様子だった。そして口を開く。
「あの、西方の菓子、金飛糖といったか。あれを余に献上してきたのは誰だ?」
「調べてみないと分かりませんが……お気に召しましたか?」
「ああ」
珍しい、と秘書は思った。王が献上品に執着することは少ない。大抵はこだわりなく、臣下へ下賜してしまう。
「では、調べておきます」
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