第2話ずれ始めた基準
翌日、記録は“正常”に戻っていた。
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【特別観察対象:封入維持】
【異常値:抑制成功】
【影響範囲:限定的】
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神代湊は端末を閉じる。
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処理としては完了している。
そう記録されている。
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だが、それで終わっていないことは分かっていた。
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「神代さん」
管理官が呼ぶ。
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「本日の適合業務は予定通りです」
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「了解しました」
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返答は自動的だった。
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施設はいつも通り動いている。
女性の流れ。面談の繰り返し。静かな契約。
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だが、昨日までと少しだけ違う。
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視線がある。
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誰かが見ているのではない。
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“見ているという感覚”だけが残っている。
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面談室。
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女性は丁寧に頭を下げる。
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「よろしくお願いします」
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いつも通りの言葉。
いつも通りの手続き。
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だが神代は、一瞬だけ止まる。
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その言葉が、昨日より“軽く”聞こえた。
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理由は分からない。
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ただ、基準が少しだけズレている。
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終了後。
廊下で管理官が言う。
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「昨日の件ですが」
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神代は歩きながら聞く。
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「記録上は問題なしです」
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「ただし」
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間が空く。
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「認識干渉の可能性があります」
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神代は止まらない。
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「何がですか」
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管理官は少しだけ声を落とす。
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「観察対象の発言です」
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“おかしい”
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その単語。
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神代の中で、また同じ位置に戻る。
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その日の午後。
神代は再び施設外縁へ向かうことになる。
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理由は“追加確認”。
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だが本当の理由は、説明されない。
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到着した場所は、昨日と同じ区画だった。
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そこに、男はいた。
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拘束は外されていない。
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しかし、目だけは動いている。
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神代を見る。
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「……また来たのか」
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声は弱い。
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だが、記憶はある。
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神代は記録を確認する。
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【封入対象:意識保持確認】
【反応:継続】
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「あなたは記録を保持していますか」
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神代が言う。
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男は笑う。
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「記録?」
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「何のだよ」
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少し沈黙。
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そして男は言う。
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「俺はただ」
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「おかしいと思ってるだけだ」
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その言葉が、また同じ場所に刺さる。
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神代は問う。
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「何がですか」
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男は即答する。
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「全部だよ」
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「女ばっかの街も」
「男が少ないのも」
「お前らが普通みたいな顔してるのも」
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「全部おかしい」
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その瞬間、神代の内部で小さな揺れが起きる。
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しかしまだ崩れない。
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「あなたの世界は?」
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神代は聞く。
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男は少し黙る。
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「1980年だって言っただろ」
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「普通だったよ」
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その“普通”という言葉が、逆に異質だった。
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神代は理解する。
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この男は比較している。
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そして、この世界は比較に耐えていない。
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管理官が割って入る。
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「観察終了します」
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空気が再び固定される。
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男の声が途切れる。
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だが最後に一言だけ残る。
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「お前もいつか気づく」
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処理。
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終了。
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神代は施設を出る。
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だが足取りは少しだけ遅れていた。
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“普通”が、少しだけ遠くなる。
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(第2章 第2話・終)




