第3話崩壊の観測
「今日は、見学を入れます」
管理官の声は、いつも通りだった。
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神代湊は端末から目を離さないまま頷く。
「了解しました」
それ以上の意味はない。
この世界では、予定は感情より優先される。
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向かった先は、都市外縁部の医療管理区画だった。
白い建物。静かな廊下。整えられた空気。
すべてが“正常”に見える場所。
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だが、その奥だけは違った。
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扉が開いた瞬間、空気が変わる。
音が減るのではない。
“意味がなくなる”。
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そこにいたのは、一人の男性だった。
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痩せている。
という表現では足りない。
削れている。
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ベッドに固定され、目だけが動いている。
口は半開きのまま、何かを言おうとしているが、言葉にならない。
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神代は記録端末を確認する。
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【対象:男性適合者(低耐久個体)】
【長期管理後期症状:精神・肉体同時崩壊】
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管理官が淡々と説明する。
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「適合寿命を超えています」
「機能維持は困難です」
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神代は頷く。
「終了処理は?」
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「未定です」
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未定。
その言葉だけが、この空間に重く残る。
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ベッドの男が、かすかに動く。
視線が神代に向く。
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そして、声にならない声が漏れる。
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「……たす……け」
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その単語だけが、形を保っていた。
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管理官は何も反応しない。
神代も同じだった。
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だが、ほんの一瞬。
“意味”だけが、残った。
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次の区画へ移動する。
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そこには女性がいた。
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一見すると正常だった。
髪も整い、衣服も乱れていない。
しかし目だけが、何も見ていなかった。
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管理官が言う。
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「心理崩壊個体です」
「長期適合者との関係継続による疲弊」
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神代は資料を見る。
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【長期関係:12回更新】
【情動反応:段階的低下】
【自己認識:不明瞭化】
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女性は神代に気づく。
しかし反応が遅い。
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「……あれ」
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声は、言葉になる前に崩れた。
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神代は問いかける。
「認識はありますか」
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女性は少し笑った。
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「認識……?」
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その後、沈黙。
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「わたし、まだ……必要?」
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その問いは、この世界では成立しない。
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必要かどうかではなく、割り当てだからだ。
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神代は答えない。
答えられない。
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管理官が処理を続ける。
「次へ移動します」
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廊下を歩く。
音が戻る。
しかし意味は戻らない。
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次の部屋。
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そこにいたのは子供だった。
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小さすぎる。
本来ここにいるはずの存在ではない。
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記録を見る。
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【出生調整対象】
【例外的生存個体】
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子供は神代を見る。
そして、普通に言った。
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「おじさんは、なんでここにいるの?」
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神代は止まる。
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その問いは、あまりに普通だった。
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しかしこの世界では、普通は異常だ。
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管理官が遮る。
「教育対象です。接触は不要です」
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だが子供は続ける。
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「ねえ」
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「なんで、みんな泣かないの?」
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沈黙。
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誰も答えない。
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子供は少し首をかしげる。
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「ここ、おかしいよ」
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その一言で、空気が凍る。
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管理官が即座に処理を指示する。
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「記録遮断」
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視界の一部が黒く塗りつぶされる。
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子供の声だけが、残る。
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「ねえ、変だよ」
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そして途切れる。
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移動中、神代は何も言わなかった。
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だが内部で、何かが少しずつ崩れていた。
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最初は男だった。
次は女だった。
そして最後は子供だった。
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すべてが同じことを言っていた。
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“おかしい”
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その言葉は、この世界の外側から来ていた。
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施設を出る。
空は変わらない。
人も変わらない。
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それでも神代だけが、少し遅れているような感覚があった。
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端末に通知。
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【長期管理対象:追加候補選定】
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自分の名前。
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それを見た瞬間、理解する。
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これは他人の崩壊ではない。
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自分の番が近づいているだけだ。
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そして初めて思う。
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“正常”とは何だったのか、と。
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(第3話・終)




