第5話まだ人間であるということ
封鎖フィールドの中は、音がなかった。
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正確には、音が“意味を持たなくなっていた”。
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神代湊は梨沙の手を握ったまま、動かなかった。
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逃げ場は消えた。
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視界の外側では、回収ユニットが静かに降下している。
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ゆっくりと。
確実に。
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「対象、確保フェーズへ移行」
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機械音声が響く。
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感情はない。
躊躇もない。
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ただ“処理”している。
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梨沙が小さく息を吐く。
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「……ここまでか」
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その声は諦めではなかった。
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理解だった。
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神代は手を離さない。
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むしろ少し強く握る。
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「まだ」
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声が出る。
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「まだ終わってない」
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梨沙が神代を見る。
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少しだけ笑う。
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「うん」
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その“うん”には、安心も絶望も両方あった。
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上空の装置が展開される。
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光が一点に収束する。
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【人格固定処理:開始】
【対象意識の再構成】
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再構成。
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それは“壊す”ではなく、“戻す”という意味だった。
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この世界にとって、逸脱は修正されるべきものだ。
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神代の視界が揺れる。
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音が遠ざかる。
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思考が薄くなる。
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「湊」
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梨沙の声だけが残る。
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「ここで負けたら」
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「全部、ただの記録になる」
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その言葉で、神代の中に何かが戻る。
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記録。
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適合。
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管理。
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長期対象。
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全部、“自分ではないもの”だ。
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神代は目を閉じる。
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そして思う。
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自分はずっと、“選ばれていた”。
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でも今は違う。
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今は。
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「俺が……いる」
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小さな声。
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だが確かだった。
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その瞬間。
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封鎖フィールドが揺れる。
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【異常検知】
【再構成エラー】
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管理システムが一瞬止まる。
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“意思”が、処理を上回る。
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梨沙が息をのむ。
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「……やった」
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だが次の瞬間。
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さらに強い圧力が降りる。
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【強制再同期開始】
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世界が、神代を“正しい形”に戻そうとする。
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痛みではない。
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消失に近い感覚。
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神代の中の輪郭が薄くなる。
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記憶。
感情。
名前。
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消えていく。
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それでも。
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梨沙の手だけは残っていた。
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神代はそれを握り返す。
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「離すな」
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それだけ言う。
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梨沙は強く頷く。
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「離さない」
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その瞬間。
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神代の中で、最後の境界が生まれる。
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“これは俺だ”
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その認識だけが、崩れない。
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管理システムが警告を発する。
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【対象:未回収状態】
【処理不能】
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初めてだ。
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世界が“処理できない個体”を前にしている。
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静寂。
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そして。
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回収ユニットが停止する。
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梨沙が小さく笑う。
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「まだ人間だよ」
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その言葉は称賛ではない。
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事実の確認だった。
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神代はゆっくり目を開ける。
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空は変わらない。
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都市も変わらない。
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だが。
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自分だけが、少しだけ違う場所にいる。
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「ここにいる」
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神代はもう一度言う。
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今度は迷わず。
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システムは沈黙する。
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世界は処理を止めたまま、神代湊を見失っている。
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(第4章 第5話・終)




